54・丁巳
*先祖が隆盛で丁巳の代から衰弱傾向が始まる。
*兄弟姉妹、仲間の影響が大きい(丁丙の合体効果)。
*縁の下の力持ち的な最大パワー(天将星)の発揮。
*孤独感。
 
このあたりをポイントに丁巳の人を観て行く。
 
 
『2歳のとき家族で満州国に渡り、新京と中華民国の北京で育ち、小学校1年生のとき鹿児島に戻る。中学校を卒業後、鹿児島市内の百貨店に勤務。1953年、『のど自慢素人演芸会』で鹿児島県代表に選ばれ優勝したのを機に、歌手を目指し上京する。1966年に萩本欽一氏とコント55号を結成、テレビを中心大活躍する。』
 
スタートは、裕福ではない環境で丁巳に合致。
自力で自分の道を作る子丑天中殺天将星らしさを発揮できる環境を得ている。
そしてその通りに単身上京し丙(欽ちゃん)との出会いに導かれた。
「自分なりの世界を造り上げて行く。それが、世の中の注目を集めるという不思議な運を持つ」の通りになった。
 
月年の天剋地冲では、月干の戊(調舒星)が甲(玉堂星)に激剋されているが、地支では戊が二つつながっている。天剋地冲には何パターンかあって、土性同士の場合は、本元土性は打ち合わない。この土性が何の星になるかが大事。
 
いわば逆納音のようになって、調舒星(表現)に対して、多様の対応ができる作用になる。
天干では自分の意志(戊調舒星)が目上、思考(甲玉堂星)によって消される。感情に玉堂星の意向が入ってくるので、目上のいうことには忠実になる。ただ、個人感情が強いと反発心が強くなる。
天剋地冲はまとまった個人感情は表出しないので、天干の戊は臨機応変に対応できる知的表現者を作る。
 
年齢は次郎さんのほうが上だが、コントでは欽ちゃんがリード役。これが玉堂星に入る。コント55号のおもしろさは、台本を無視した欽ちゃんのアドリブの連続に対して、汗を書きながらも巧みに対応する次郎さんの奮闘ぶりにあった。
天剋地冲ならではの対応力になる。
 
天剋地冲には潜在不安があって、不安に対しては努力と準備を怠らない。
次郎さんは台本があるとすべて覚えて、その通りに演じる人になる。それが不安の解消法。それではおもしろくないと思った欽ちゃんは次郎さんには台本を読ませずに、ぶっつけ本番の対応を迫った。
 
 
玉堂星が欽ちゃん(若い時は母や学校の先生)。無理難題を調舒星が呑み込んで、それに目いっぱい対応することで新しい世界(ギャグ)が生まれる。天剋地冲はこれができる。
 
天剋地冲は「不思議な魅力があって人を引き付ける引力を発する」というのが教科書的な答えだが、それは結果的な現象で実際はすぐれた能力を発揮するための仕掛け。
 
内容をみるには二連変化が役立つように思う。
天干は、調舒星と玉堂星。アイデアが瞬間に湧き出る。
月年の初元は禄存星が龍高星を激剋。これは外科医に例えられるように、目の前の問題に全力投球する。悪い箇所があればざっくり切り取る。大胆な発想と思い切りの良い対応ができる。
 
月年の中元は車騎星(使命感)が自我(貫索星)を激剋。自分の役割を忠実に果たす人になる。まじめで一生懸命。
それを本元の戊がつなぐ。これも自然一致するものではなく(正反対の季節の戊)そこにも創造力が働く。こうして多彩な表現者次郎さんが生まれる。
 
次郎さんはコントの他にも歌手として役者としてもすぐれた能力を発揮している。
 
前説が長くなったが、丁巳の関係では、コントの場合は自分が丁で欽ちゃんが丙。
一見、欽ちゃんが目立ち自分が補佐役のようになるが、そこが天将星。
丙丁を合体させたコント55号は侮光を超えて、自分自身も輝く世界を創っている。
 
 
 
『父親は左官職人。5人兄弟の次男。 田舎で生まれ育った。 小3の時、父親が心筋梗塞で他界(享年48)。母親は早朝の畑仕事を終えた後、朝7:00から夜7:00まで気仙沼に働きに出ていて、家はとても貧乏だった。教科書を買って貰えなかったり、料金滞納でしょっちゅう電気を止められてロウソクで夜を過ごした。早く母親を楽にしてあげたいと思っていた。
 
丁巳は演歌系の苦労人が何人かいた(作詞家星野哲郎、歌手冠二郎)。
千さんも父を早くに亡くし、干支の通り家系衰退の中で生まれている。
そして、子丑天中殺天将星らしく、
 
・高2の春休み、歌手を目指して家出同然で上京。
 上京資金はアルバイトで溜めたお金と仲間からのカンパ。
   上京したその足で作曲家・遠藤実を訪ね、
 何度断られても粘って内弟子にして貰った。
・内弟子時代の睡眠時間は2時間程度。 
 
という経緯で歌の世界に入って行った。
長く売れない時期を耐えて、「星影のワルツ」が大ヒットして、一躍有名歌手の仲間入りを果たした。
その後も、1979年「北国の春」が大ヒット、二作目のミリオンセラーとなり、第21回日本レコード大賞ロングセラー賞受賞。その他に「望郷酒場」「夕焼け雲」「味噌汁の詩」「津軽平野」などのヒット曲も生まれ、歌手としての黄金時代を迎える。
 
日年の納音がある。行動と結果の納音で、直訳すれば、一つの考えでいくつもの道筋を具体化する。
一つにまとめる時には空想力、想像力が働くので、「歌う」ことに特化すれば、分裂せずに自分が創り出した世界を構築して行く。想像の世界ならひとつになる。
これはどの納音にもいえる事。ただ、現実の世界だけを生きると、方向感は定まらなくなる。
 
現実世界では、色々なアイデアを出したり、次々と答えを出して行く。一つの事をじっくりやるタイプではない。
多様性が必要。これは地味な演歌歌手としてはふさわしい構造とは言えない。
作曲やプロデュースのようなクリエイティブな世界なら、この能力は生きるだろう。
 
この納音をつなぐ天干の自我には、甲の玉堂星が入る。
人物なら母、指導者(作曲家・遠藤実)。目上には従える玉堂星で、特に「甲」から生まれる玉堂星は伝統的(日本的)なものを重んじて、それを継承しようとする本能を持っている。
ヒット曲には、おふくろ、望郷、味噌汁など、日本を感じさせる内容のものが多い(「北国の春」「望郷酒場」「味噌汁の詩」など)
 
また、甲からの玉堂星は直線的なインプットになって、「自分の考えの正しさ」が強くなる。
 
 
二連変化では、この玉堂星は学問よりも現実の知恵になり、自分を正当化する(自分が正しい人)。
主星は龍高星。東にも陰陽の玉堂星がある。龍高星玉堂星はそのままでは思考に統一性がなくなるので、周囲の人と違った異質感が表に出る。なし崩し的に、まぁいいかと妥協する場合と玉龍を統合した自分独自の考えを貫く人とに分かれる。後者の独自性は文芸を生む創作力にもつながる。
 
 
二連変化は、時に位相法の働きを陽占レベルで解釈するのに役立つ。
日年の地支の対冲は、日支本元の石門星(丙)と年支牽牛星(壬)、中元の日支司禄星(庚)と年支玉堂星(甲)でぶつかる。
 
砕かれた石門星は自己欲求を抑えて、役割を迎い入れる。
日干支丁巳では、自分(丁)と役割の入った丙が合体して、求められる役を演じる(果たす)自分になる。
一方で自分が作る現実(庚司禄星)が年支の甲玉堂星を打つので、甲には学問よりも現実をより良くするためのアイデアが生まれ、それが納音の元でさまざまな答えを出して行く。
 
年支の甲は月干に透干して連動する。甲に何が入るかによって納音の行動パターンが決まる。
 
若い時は、甲は母で母を助けるために納音が稼働する。
『早く母親を楽にしてあげたいと思って、相撲取りになることを考えたが体が大きくならずに断念。続いてプロボクサーを目指してボクシング部に入るが約1年で挫折。 』こうしたプロセスを経て、演歌歌手になる道が浮上する。
 
次に甲は「遠藤先生の元で演歌歌手になる」が入る。演歌の大御所の弟子になる事は簡単ではない。納音は次々策を練ってなんとしても答えを出そうとする。
『何度断られても粘って内弟子にして貰った。 』
 
もう一つ、この玉堂星には連唐干支が加わる。天干は甲→丁と陰陽で一つ進み、地支もまた辰→巳と一つ進む。霊感に似た天啓が加わる。
 
『「北国の春」をテレビで披露する際は、よれよれのレインコートと古びた中折れ帽、丸縁の眼鏡、長靴、手ぬぐいを着用し、くたびれたトランクを提げるという奇抜なスタイルで歌唱していた。師匠である遠藤実からは「みっともないから止めろ」と言われていたが、それにも関わらず千は、「演歌歌手は滅多にテレビに出られないから、出た以上は目立たなくちゃ」とこの格好で歌い続けた。』
こうしたアイデアに連唐干支も一役買っているだろう。
 
千さんは、星影のワルツがヒットした後、印税で不動産投資を始める。次々とヒット曲が生まれると、それを次々と不動産に投資するようになる。自分の不動産会社も設立した。
80年代はバブルの勢いにのって、歌手を休業して不動産業に専念。甲に不動産投資が入ると、納音は次々と多角的な投資を続ける。
 
一直線の甲と多様性の納音は勢いづくと留まるところを知らない。
『最盛期の資産は1000億円。 ロンドン、オーストラリア、パリ、ハワイにホテルを所有。「歌う不動産屋」と呼ばれた。
 
結局バブル崩壊とともに会社も倒産。『借金総額は2500億円に達した』。
 
これが天将星を個人的に使ったことの結果だろう。丙丁の合体自我は庚を司禄星から禄存星へ変えるが、それが人を喜ばすための禄存星にならず、回転財となってしまったようだ。
天将星の陰転パターンとして、個人的に多大なエネルギーを使うというのは注意事項だろう。 
 
『父が金鉱を探して暮らすという不安定ぶりで、家族のために定住しようと農業を始めたがこれも失敗。にもかかわらず、子供には厳しい父であったため、ウォルトは成功しても長い間父子の間には交流がなかった。1930年代後半にウォルトやロイ(兄)が破格の成功をおさめた後に、彼らが両親を呼び寄せロサンゼルスに豪邸をプレゼントするまでは貧しい生活を送っていた。』
 
父は南干にいて、父への意識は強い。母は月支中元にいて、両親と対冲という関係で、しばらく音信不通になっていたようだが、子丑生年中殺はどうしても親に引っ張られるので、見放すことはできない。
 
次郎さんが欽ちゃんとのコント55号で成功したように、ウォルトさんも兄のロイさんと一緒に「ディズニー・ブラザーズ社」を興した。それが後の「ディズニー社」へと発展する。
 
兄弟の場合、丁が侮光されたり、日常性(庚)を壊されたりということも起こるが、『ウォルトは創作の面で、ロイは経営の面で会社の拡大や事業の成功に貢献していった。』というように、役割分担があって、丁丙の合体で見事な成功を収めた。
 
『外面は優雅に見えても気持ちには殺伐とした風景が宿るので、美しいものを求めてバランスをとろうとする。』

『真のエネルギーを発揮すればその業績は百年、二百年後においても高い評価を受けて行き続けることができる気を持っている。』
 
内面の孤独感はわからないが、結果的にウォルトディズニー氏はまさに丁巳を生きた人となった。
 
苦労人という感じのするグループと、才能を感じさせるグループと、人情家グループと、天将星をパターン分類できそうな多才なメンバーが揃っている。