天中殺という名前の付くものの中で、日居(にっきょ)天中殺ほど、わかりにくいものはない。
高尾算命でも、日座天中殺に関しては、原理的な説明があるが、日居天中殺に関しては、『甲辰と乙巳の二つの干支になります(原理は機会を改めて説明します)。』とされたまま、別のところで、その説明にはお目にかかれなかった。
ネット検索でも、原理的な説明は少なく、現象面の説明がほとんど。
これまで目にした日居天中殺の定義らしきものは、次のようなもの。
『日居天中殺というのは、東と西が欠ける天中殺です。だから、日居天中殺の特色として甲辰、乙巳は、異常性格を持つとみてよろしいです。その代り「無の強さ」といって、物凄い程の迫力があります。』
『日座というのは地上の現実界にあり、大体形を論じるといって、形を重んじるところがありますが、日居というのは天上精神界にあるために、形ではなく心に欠点があります。』
『日居天中殺は目に見えない部分で特殊性が大なのです。例えば、子供はできたけれども愛情は全然示さない、というようにです。』
『日居天中殺は精神の貴人、現実の野人といわれています。』
はじめに日居天中殺は、東と西が欠けるといいながら、日居天中殺は精神界の欠落で心に欠点があると書かれている。これは矛盾しているように思える。
また、日居天中殺を表す、「精神の貴人 現実の野人」は東西の現実が欠落して、日居(天上の精神)が与えられていると解釈すると理にあっている。
日居(天上の精神)が中殺されるという解釈から、「心に欠点がある」「異常性格」「子供に愛情を全然示さない」という答えが出ているとすると、「精神の貴人」や、「東西の欠落」が違うことになる。
「欠点、異常、子供に愛情を示さない」という言葉が、教科書に書かれていること自体、びっくりすることで、これを日居天中殺の定義に加えることはできない。
日居天中殺で子供に愛情を注いでいる人たちの例なら、いくらでもあげることができる。もちろん、日居天中殺と命名される特殊性はあって、それが子育てに表れることもあるだろうが、「愛情を全然示さない」と明言することは、あきらかになんらかの誤謬があるように思える。
そもそも、「欠点」「異常」は何を基準に述べられていることなのか?
60干支を60通りの個性と考えれば、そこに〇×を標すことは、干支側にたっての発想ではない。
異常は通常と異なるという意味なら、客観性をもっているが、欠点は否定的な表現でしかない。
では欠点のない心とは何を指しているのか? 結局、それを前提とするところから、さまざまな問題が生じているように思える。
算命学にはバランスを美とする思想がある。偏りは異常であり、欠点であり、それゆえに正さなければならない。そこに算命学の役割を置こうとするところから、こうした偏った言葉が生まれてくるように思う。
バランスが美なら、60干支など必要ない。
文献的な根拠を頼れないが、算命学の説明をもとに、もう少し、原理的なアプローチを試みて、日居天中殺とは何かを解釈していきたいと思う。