ケース㊶ 加藤和彦(1947/3/21) ミュージシャン、作曲家

 

『晩年は鬱病を患い、死の直前にはそれが悪化していたという。死の1週間前には、友人と電話で「今、鬱でね」「どういう薬飲んでる?」と気楽に話しており、3日前には故郷の京都で旧友らと会食している。遺書には「世の中が音楽を必要としなくなり、もう創作の意欲もなくなった。死にたいというより、消えてしまいたい。生きる場所がない、という思いが私に決断をさせた」と綴られていたという。』

 

加藤さんは、2009年62才で、突然自死している。

ユースケ・サンタマリアさんと同じ自我薄で、剋線が最多。「生きる場所がない」という遺書を見ても、おそらく、この影響が大きいと思われる。

 

宿命の特徴

①自我薄(貫索星・石門星がゼロ)

②天報星×2・天胡星のエネルギー

③亥亥の自刑+半会二つ

 

①自我薄(貫索星・石門星がゼロ)

自我薄に関してはユースケさんのところで詳しく説明したが、遺書にあるように、「消えてしまいたい。生きる場所がない」というのは、自我薄の副作用。

 

才能で世に出て、生きる場所を得、生きる意味を得、自分が背負う現実が大きくなってしまう。

才能的な意味で言えば、他者に楽曲を提供するところが役どころだと思える。自分が演者であったとしても、そこは居場所にはならない。

 

ユースケさんにも言えたことだが、才能以外で、自分自身がスター性を持つこと自体が、自我薄では苦痛のはず。

自我薄は保守本能の欠如でもあるので、「死」から自分を守ろうとする本能が薄い。消えてしまいたいという思いを抑える本能が弱い。

 

自力で生きることは難しい宿命だが、才能が稼いだお金で現実を作ることは出来る。ただ、お金に関しても、執着するわけではないので、使い方は荒っぽくなり、晩年には借金があったのではという報道もあった(噂の範疇)。

 

もうひとつは、異性への依存(執着)。加藤さんの場合、これが大きかったようで、異性の人生を借りて現実を作っていたところも見受けられた。

 

 

安井かずみさんは、小柳ルミ子さんの「わたしの城下町」をはじめ、多くのヒット曲を残した作詞家だが、男性関係や生活が派手だったことでも有名。

 

この相性、詳細はともかく、領域図に重なりがない。干合しても重ならない。

しかし、実際は、1977年から安井さんが病死する、1994年まで17年間、べったり仲良し夫婦を演じていた。

 

『「救急車のように」男をとっかえひっかえしていた安井かずみが「運命の人」加藤和彦と知り合ってから、彼女の生活は一変するのでした。加藤と結婚してからは、一心同体と言ってもいいくらい二人の生活を優先し、健康的で家庭的な生活に変えていくのです。それにつれ、独身時代の友達も離れていったそうです。さらに仕事でも、加藤が書いた曲にしか詞を書かないようになり、売れっ子作詞家の地位も未練なく捨てたのでした。』

 

安井さんの日干46・己酉が加藤さんの月干支40・癸卯を天剋地冲する。これは一方的に安井さんが打つ形。加藤さんは従う人になるが、それは加藤さんにとっても願ってもないことで、自我薄が自由奔放な安井さんの人生を借りて、居場所と生き場を得ていたと思える。

 

領域図を観れば、どうみても一心同体はあり得ない。天剋地冲で心を取られた加藤さんがとことん安井さんに同化し(自我薄で正配偶者が座下に居るのでそれは可能)、自分ではありえない人生を演じていたのだと思う。加藤さんにとっては、「女」を通すことで現実を実感するという自我薄の生き方も含まれてくる。

それを裏付ける仲間の証言もある。

 

『そんなハイソでエレガントで仲むつまじい生活も、実は演技の部分もあったのではないかという関係者の証言があります。そのひとり吉田拓郎は、加藤和彦の傑出した才能は認めながらも、二人の生活についてはかなり辛辣に語っていました。「(加藤和彦は)雑誌ではヨーロピアンナイズされた粋な男のように書かれているけれど、むしろ鈍臭くて、女から見て魅力を感じるわけがないんですよ。だから、自分より先を歩いてくれる女じゃなきゃダメな加藤がZUZUを選んだのはわかるんですけど、歴戦の兵(つわもの)のZUZUがなんでそんな頼りない男に熱を上げたのか、さっぱりわからない』

 

ZUZUというのは、安井かずみさんのこと。安井さんが加藤さんに入れ込んだのは、年干戊の石門星中殺に自分が入り込んだのだと思う。違う自分を演じて見たかったのだろう(常に演じていたか・・・)。加藤さんの、「自分より先を歩いてくれる女じゃなきゃダメ」というのは、自我薄の傾向になる。それが楽なのだ。

 

『久しぶりに会ったZUZUは、お前、そんなことしないだろう、と思うくらい家庭の中にいる女をやっていた。なんかちっちゃくなったなって。加藤のほうは立派な男になっていました。お酒が飲めなかった男がワイン通になっていて、えらく一流好みになっていた。』

 

これも友人の話。加藤さんの同化は自我薄と相性天剋地冲の合作。天剋地冲は打つ側が打たれる側をカバーするので、安井さんは、けなげな妻役もできそうだが、中殺戊に変身していたというほうが、ありえそうな気がする。

 

加藤さんが安井さんの人生を借りていたという説を裏付けるように、安井さんが亡くなったすぐ後に、次の恋人ができていた。

 

『安井かずみの死から7カ月後、二人の別荘があったハワイのカルパニアで散骨式が行われたのですが、夫の加藤和彦は翌日、「友達を待たせているので」と言ってそのままイタリアに飛び立ったのだそうです。その待たせていた友達というのが、新しい恋人の声楽家・中丸三千繪でした。葬儀の際、「僕は、ZUZUとイエス・キリストと三位一体でこれから生涯生きていきます」と挨拶して参列者の涙を誘った加藤和彦は、1周忌を待たずに中丸三千繪と再婚して周囲を驚かせたのでした。安井かずみの主治医だった東京医大の加藤治文は、成田空港で加藤和彦にばったり会った際、「僕の新しい妻です」と中丸を紹介されて、「腰がぬけるくらい」驚いたという話をしていました。』

 

きまぐれとか、薄情とかいうことではない。それが加藤さんなのだと思う。

これには、天報星×2の変わり身の早さも加わる。

 

②天報星×2・天胡星のエネルギー

また、天胡星、となるが、芸能界、音楽関係者に天胡星が多いということもあって、天胡星があると病むというわけではない。

 

天報星+天胡星+自我薄は玉置浩二さんと同じ。二人には重なる部分もある。

加藤さんと安井さんとの生活は、それが本気だったら、天報星はとっくに休息命令を出していたと思う。自我薄のどっちでも「良い」という範疇で、安井さんに迎合することを楽しんで?いたのかなとも思う。それなら、偏りにはならないので。外から見えたほど、加藤さんは熱中していたわけではなく、暗合していたわけでもないのだろう。

 

天報星はきまぐれといわれるが、気まぐれは、そうみえるという現象の描写であって、本質ではない。天性のバランスが偏ることを嫌うため。加藤さんの音楽の完成度の高さに、天胡星も天報星も大いに寄与していると思われる。

 

安井さんの一周忌も済まないうちに次の結婚を決めたのは、天報星のバランス感覚。加藤さんが本気だったら、ここは、長期休養になるところ。天報星が休んでいたら、本気で現実に偏っていたと裏読みすることができる。

本気じゃなくて、17年間も仲良し夫婦を演じられるのかだが、これには、亥亥の自刑(日年が同じ支)も加担する。

 

③亥亥の自刑+半会二つ

心を中心に両手半会。これは、中心の車騎星と公私の牽牛星が合体して、新しい役割意識を生む。個人的欲求が消えて、役割に注力する。半会すると、もっと上を目指すプライドが生まれる。

 

『作曲について、「89点から92、93点ぐらいの曲はすぐできる。でも、120点じゃないとまずい」と説明。自らを追い込む性格であることがうかがえた。』

 

これが、半会作用だと思う。私生活では、プライドの高さも生じる。

その両方の甲が配偶者干であるところが、女性関係のつながりを深める。

安井さんが日支甲なら、次の中丸三千繪さんが年支甲。天報星のバランス感覚が働く。ただ飽きっぽいわけではない。

 

この甲は日干己と暗合になる。もし、加藤さんと安井さんの17年間が本気の愛情だったら、安井さんの支は抜け殻の甲との暗合を生んで、加藤さんはここで病んでいたのではと、思う。すぐの結婚は、「良い」演技を続けていたことの証左になるだろう。

 

亥亥は自刑になるが、同じ支が二つという意味は持っている。

一つの結果(日支亥)と同じものが次の行動(年支亥)になり、それがまた、同じ結果を生む。自然な循環があって、一つのパターンができると、習慣的な持続力が生まれる。ただ、意図的なものではないので、終わると、その循環は何も残さずに、消えることもある。

 

晩年に、借金があったかどうかは定かではないが、音楽への情熱が失せて、そこに、自力で生きなければならない現実が迫ってきたとしたら、自己防衛力が弱い自我薄は「消えてしまいたい」を選択することはできそうな気がする。

 

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