ケース㉝ 武田鉄矢(1949/4/11) 歌手、俳優

 

 

『武田に異変が生じたのは42歳だった1991年。「101回目のプロポーズ」で主演するなど多忙を極めたころだった。「体調の変化なんでしょうね。ちょっとうつ病っぽくなって、何をやっても力が湧いてこない」というのが最初の症状だった。そして「考え方が暗くなって、何週間か事務所が休みくれるとこれっきり仕事が来ないんじゃないか、とか」と、心理的にどんどん落ち込んでいった。』

 

テレビ番組の中で、このようにうつ状態にあった過去を語っている。周囲に知られずにいたわけで、入院したりという大事だったわけではないようだ。

この宿命から、それを解読することはできそうにない。

それを前提に、宿命の特徴を見て行く。

 

宿命の特徴

①地支が全部土性(対冲刑+破)

②唯一の主観が玉堂星

③才能星(陽占)が鳳閣星

 

①12支の土性は、各季節の終わりに配置されている。

武田さんの宿命の、未は夏の終わり、辰は春の終わり、丑は冬の終わりに位置する。

終りの役割は、その季節を締めくくり、次の季節へとバトンタッチする調整役。

 

土性の4支は、すべて本元は土性になる。陰支なら「己」陽支なら「戊」。

 

通常、十二支は平面的にとらえるが、算命学では二階建ての12支を使う。

陽の支は天上にあって精神性が強く、陰の支は地上にあって現実味が強い。

武田さんの地支は、現実の場所(日支年支)に現実の12支があり、心の場所に天上の「辰」がある。武田さんの心は天上の神に近い精神を持っていて、なんというか、多少「偉そうに」なることは否めない。

 

土性は他の支の交点にあって、中央に位置する。これが調整役の意味。広がりを持たない点的な発想をして、自分中心的で、交通整理をする役割がある。

土性(丑辰未戌)は本元に土を持ち、文字通り、地に足の着いた発想をする。安定感のある支で、中元(真ん中の気)はすべて、一つ前の季節の気になっている。

夏の終わりの未の中元は「乙」で、春の旺地の気。春の終わり辰の中元は「癸」で冬の旺地の気。冬の終わり丑の中元は「辛」で秋の旺地の気。

 

土性の季節調整の方法として、過去の出来事を考慮する(未来的な憶測ではなく現実を思考の原点にする)という本性を持っている。

そのため、土性の人は地に足のついた発想をして、現実の問題点を調整してまとめるという役割がある。

 

宿命に配置されると、各季節の調整の仕方は独自なものになり、未辰丑の3支は、それぞれ「俺流」をもっていて、簡単には意見の一致を見ることはない。

そのため、土性同士には、和合性のある位相法はこない。庫気刑か対冲か破になる。

未辰のように位相法がない場合も、準散法的に考える。

 

武田さんの中には、3人の俺流まとめ役がいて、葛藤を繰り返していることになる。

これが、もともと精神の安定を得たり、まとまった感情を作って生きていくことが難しい人という個性を作る。

 

また、土性は周囲の調整役なので、この葛藤は自分の問題だけでなく、周囲の問題に対しても、ご意見番の三人があれこれ言うことになる。土性が3つあったら、だいたい口うるさい人と思っていいだろう。それが役割なので、問題に対して黙っていられない性分がある。自分が仕切りたくなり、裁判官をしたくなる。

ましてや、天上(最高裁)の名判事(辰)が心の中心にあるので、自分の正しさは、常に主張したくなると思う。

 

現実の世界では、役者なら、言われたことを演じることが役割であり、社会人としての協調性を発揮する必要は出てくる。言いたいことを我慢し(常に言いたいことはあるはず)、周囲と合わせて行くことの大変さ(3人のご意見番をだまらせる)は想像以上のものがある。これが精神を疲弊させる要因になることは考えられる。

 

例えば、ドラマ『3年B組金八先生』の先生役は、土性3支にはもっともふさわしい役どころで、これは、気持ちよくできただろうと想像するが、『101回目のプロポーズ』では苦労もあったのではないか。この宿命は指導されたり、怒られたりすることはダメージが大きい(自分がする側)。土性は中心の性で、潜在自己顕示欲は強い。協調性を発揮してというのも、自分を曲げることになる。

 

算命学では庫気刑は目上との争いとなっている。刑を人に置き換えての解釈は実践ではあまり役に立たない。庫気刑は季節を繫ぐ調整役、ご意見番という役割がいいと思う。土性には自己顕示が含まれるのと、調整するためには、自分流を通す必要があるので、和的調整よりは闘争的調整になる傾向は持っている。それも本性なので、好きで争っているわけではなく、本人は周囲のために問題を是正して、より良い環境を作ろうとしているだけ。単なる自己主張とは違う(と本人は思っている)。

 

月年の「破」は、位相法でも、それほど明確に定義されているわけではない。他の散法と一緒に考えられたりする。しかし、実際に「破」の人たちをみると、持てあまりしてる感じがするほど、コントロールの難しさを持っている。

破の定義は「美にならない」というもの。これには、二つの意味があって、自分が何かしても、美的なまとまりを得られないということと、美にならないものを何とかしようとする本能をもっていること。

 

月支(心)に破が来ると、自分では美なる心を持てないことになる。そこで、歌や芝居を演じることで美的空間を作ろうとしたり、武田さんが憧れる、坂本龍馬のような人物を自分の美学として、思い描くことでバランスをとって行く。

 

逆に言うと、日常で平穏な美的世界にいると、気持ちと現実の不一致が生まれてくる。もしかすると、病んでいる自分という発想は、心の「破」が整合性をもたせるために、作り上げた現実かもしれない。

 

②唯一の主観が玉堂星

客観星の中で、主観星玉堂星(戊)が月干と月支にあって、これが心の支えにもなっている。伝統や歴史、人物なら母親の存在が自分を支えている。

 

それはそれとして、戊のそばには、3つの己(龍高星)が並んでいる。

特に天干は役割や目的を決める大事な位置で、ここに玉堂星と龍高星という質の違うインプットラインが並ぶことの意味は大きいだろう。

 

純粋な思考力を作る作用を持つが、それが行動に出る時には、その純粋さを表現できずに葛藤を生じたり、周りと歩調がとれず単独行動を起こしたりする。現実的な意味では、中間点を作れないってことで、どこか偏った言動になって、周囲から理解されないことが多くなる。周囲と歩調が合わないことが現象的な特徴。

 

現実では時に非常識な偏りになるが、芸術や学問といった、創造、想像の世界では、優れた能力を発揮する。作詞、作曲、演技の世界では、異色の才能になる。

 

この陰陽混濁もまた、内的葛藤になり、現実的なことを考えると、まとまりがなくなり、不安心理に落ち込むことがあるだろう。

 

③才能星(陽占)が鳳閣星

才能星というのは、剋されたり、剋したりすることによって、通常の星の燃焼から変形したものになる事を言う。普通ではない能力が剋関係の中から生まれて、それが才能になる。

 

陽占上で剋線を数える。中心の土性は、土剋水の2つ。水性は土に剋され火を剋す、2つ。金性は火に剋される1つ。火性は、二つの水に剋され、1つの金を剋すので3つ。火性(鳳閣星)が才能星になる。

 

この時に、才能星である鳳閣星に対して、陰陽二つの入力星が変形を加えているのがわかる。

特に龍高星と鳳閣星の関係は「心の動乱」と呼ばれている。表面は穏やかにみえるが、内面では相当の葛藤が起っている。神経の緊張が極度に達し、休まることができない性格になる。現実的な意味では、「動乱の現実」が居場所で、安定と平和になると自分が揺れる。自分があえて(無意識だが)波乱を起こすこともある。

平和な日常が居場所になりにくいというところに、多くの才能星の副作用がある。

才能=普通ではない、の公式にあるように、普通の生活の中では、落ち着けない心の葛藤を繰り返していることになる。これもまた、長く続くうつっぽい現象の要因になっていると思える。

そこで、能力を発揮する世界に向かうことになるので、武田さんのように、才能を活かせる世界を持っていれば、致命的な問題になるまえに、呼吸はできているのだと思う。それだけに、長く続く現象になる可能性はある。

 

もう一つの、玉堂星と鳳閣星もまた副作用はある。

陰陽の和合性はあるので、主体的な思考(玉堂星)の中に客観的距離感(鳳閣星)が入ってバランスがとれるようになる。これは、環境なりの思考を作れるので、龍高星の激突よりはずっと安定感はある。

 

この副作用は、責められたり、自己否定されるようなことがあると、俄然、葛藤が表に出るようになる。怒りの鳳閣星に変わる。第三者のことには冷静に判断できるが、ことが自分に及ぶと、感情があらわになる。

撮影現場では、従うべき先輩や監督などがいて、そこでの葛藤は当然出てくるだろうと思う。うまくいかないことが続くほど、消えないストレスになって行く。

 

こうして眺めて行くと、想像以上に葛藤の大きな宿命と見て取れる。強気な発言も、面倒見の良い先生役も、どちらも武田さんで、それはそれとして、相談を受ける側とは別に、自分の内面を吐露できる環境もまた、必要なのだろうと思う。

 

辛未は、直下に車騎星を持ち、負けん気も強く、一人で抱え込んでしまうタイプが多いが、年齢と共にコントロールが効くようにはなると思う。

 

ただ、心にある「破」の影響は大きく、先ほども述べたが、心的病を抱えることが、美にならない心を作っている(破的心と一致)という見方もできる。

 

宿命で大切なのは人間社会の善悪ではなく、宿命と現実の一致のほうになる。

 

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