ケース㉖ 安西ひろこ(1979/2/9) タレント

 

 

『2010年1月に発売された著書「バルドーの告白」で、2001年から2008年まで休業した理由がパニック障害であったことを明らかにした。当時、多忙な日々で食事もまともにとっておらず、体重は30 Kg台に低下していた。平衡感覚がおかしくなり、まともに歩くこともできず、床を這うようにして移動していたという。だが、病状は悪化し、次第に動くこともままならなくなってしまった。結果、部屋から出ることもできず、糞尿は床に垂れ流し状態になってしまった、と明かされた。同時期、幻聴で「死んじゃえばいい」などという声が聞こえたという。』

 

堂本剛さんと同じ丁未で、更に極端な偏りを持っている。前剋(禄存星司禄星)と後ろ剋(車騎星牽牛星)がゼロで、入力⇒自分⇒出力の自分を中心にした思考と表現の機能しか持っていない。

 

宿命の特徴

①剋(禄存星司禄星車騎星牽牛星)がない。入力⇒自分⇒出力という形

②日年の同(比和)で、現象が習慣化しやすい

③生月中殺 内省の難しさ

 

①剋がなく、自分中心の思考をする

堂本さんとの違いは、使命感を持てる車騎星牽牛星さえもないという点。直訳すれば、自分勝手に思い通りに生きる人を作る。

この宿命が病むのは、思い通りではない人生をずっと生き続けてきた場合と、はっきりしている。

 

『当時の様子をよく知る元マネージャー小川恵さんは「22~23歳の時は、ほとんどお休みというお休みはなく、朝も4時、5時に迎えに行って、雑誌の取材でそこからまた移動してバラエティー番組に出たりとかして、帰るのは深夜2~3時でした」と当時の忙しさを語っています。さらにこの頃、安西さんは結婚まで考えていた恋人との別れも経験し、ひどく心を痛めました。』という記事があった。

 

誰でも倒れておかしくない状況ではあったが、体力の限界で倒れるのと、パニック障がいは違う。その仕事が自分に合っていて、好きな仕事なら、自分を剋したり、無理な前進力を発揮することなく、自然に多忙をこなすことができたはず。結果的に考えると、体力ではないところで無理をしていたことになる。無理とは、やりたい仕事ではないが、役割を果すために自分に鞭打ってがんばった。気が向かないことを積極的にこなさなければならなかった。これが続くと、無意識にできないことをやることになり、本来の宿命バランスが大きく崩れることになる。

 

 

20代前半(2000年近辺)は堂本さんとよく似ている。もっとシンプルに、3対2に分かれている。青と黄を使わない生き方が、宿命と現実の一致。

似た宿命で同じようにパニックを起こしていることを思うと、二人とも、青(役割意識)と黄色(前進力&自己顕示的サービス精神)を意図的に無理使いしていたことになる。

 

その原因となりそうなのが、心の中心にあって三方向へと気を飛ばしている「甲」。正干の母が中殺されている。気が向かう戊己は安西さんにとっては要になる主観的表現(調舒星)と客観的表現(鳳閣星)という二つの表現する気。

個人感情(戊)のほうにはその間に陰陽の自我が入るので、直接の影響はない。

 

客観性のある表現(鳳閣星)は冷静に環境を読んで従う自分を作る。若年時は、母の意向をくみ取って環境を作る。中殺がある母とは、程よい関係を作れない。極端に密になるか、大きく距離を置くか、だいたい、母にはとらわれるようになる。

 

安西さんの生家では、父親は単身赴任だった為、別居しており、母親が働きながら家族を支えていたようだ。安西さんは病気がちで、『小さな頃体が弱く、喘息持ちだったり腸の病気になったりした事で、家の生活費の半分が私の入院費にかかってしまった事もあった。家族にも気を使い自然と我慢する事を覚えた。母親に迷惑をかけたくないという思い』を本の中で書いている。

 

母のように、あるいは、母のために、頑張らねばという気持ちがあったとするなら、それが仕事を選ばずに、宿命にない無理な使命感や前進力を発揮して、宿命から遠くなる現実を作ってしまった、という説明はつきそうな気がする。

 

もうひとつ、失恋の影響も考えられる。失恋というよりは恋愛自体をどうやっていたかの問題。

男女間の現実は、剋関係で作るもの。感情は表現の気や性本能を使えば生まれるが、それを現実に展開することは自力ではできない。配偶者干はなく、前に出て恋人を作る干もなく、感情や本能だけで恋をすることになり、形は相手任せか感情任せになるだろう。自分が望む、恋愛や結婚という現実への移行に無理を重ねると、これも結果的には、青や黄色の「ない気」を無理使いすることにつながる。

 

②日年の同(比和)で、現象が習慣化しやすい

これも堂本さんと同じ。悪循環からの脱出が難しくなる一因。

 

③生月中殺

心の場所の中殺は、内省の難しさにつながる。形ある心を作れないとも言える。流動的受容的になるので、その意味では、身勝手になりそうな宿命構造の助けにはなっている。

 

ただ、前剋なしは、他人への理解力は欠落する。意識して人を解釈しようとはしないので、自分が感じる世界がそのまま相手の印象になる。裏読みも苦手。自分の気持だけで生きていくと、気付かないうちに人を傷つけたり、足を踏んでしまったりが起こる。その時に内省できないことがどんどん人間関係を悪化させ、居場所がなくなってしまう危険にもなる。

そうなると、仕事場が居づらい世界となって、そこから抜け出すために病むという現象も起こりうる。

 

ただ、これらはどれも、書かれているような部屋から出られない物理的状況を作るとは思えない。甲己の暗合が起こって戻らないことも考えにくいし、これなら、母を甲に入れることで復活できる。現に、お母さんはずっと寄り添って助けてくれたと書かれていた。暗合がなかったとしても、心の支えに母を置くことは立ち直りには大きな効果があると思える。

 

結局、自分を制御する気と前進する気(もともと備わっていない気)の無理使いが、この双方を無力化した結果だろうと思う。

無意識に行動していたことができなくなると、意識してやることはもっとできなくなる。自然に行動できる生活習慣が、不自然な現実を作り続けたために、消えてしまった、それが大きな原因に思える。

 

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