ケース⑳ 長嶋一茂(1966/1/26) 元プロ野球 タレント

 

『最初に体調の異変を感じたのは、神宮球場であった花火大会だった。青山にあった友人の事務所の屋上で見物していると、周囲の建物がグラグラ揺れ始めた。めまいとは違う。地震かとも思ったが、だれも騒いでいない。「飲み過ぎたかな」と、やり過ごした。その1週間後、食事に出掛けたホテルで倒れた。突然、呼吸が苦しくなり、パニックに陥った。意識を失い、気がついたときには大学病院に運び込まれていた。』

 

『病名は「パニック障害」。自律神経をやられ、過呼吸症候群になったと診断された。不安になると呼吸が苦しくなり、天井がグルグル回る。発作が治まるまで、5、6時間も家の周りを歩き、精神安定剤の世話にもなった。』

 

長嶋一茂さんは、偉大なる父「長嶋茂雄」さんの長男。

『小学生の頃から野球を始めたが、上手くなく途中で辞めてしまい』とある。父から過剰なプレッシャーがかかっていたわけではないようだ。

『高校受験では桐蔭学園高等学校にも合格したが「父親と同じ立教で野球をやりたい」と、立教高等学校に進学した。そして、高校時代から再び野球を始め、二年の秋には四番を打つほどにまで成長し、3年生時に甲子園埼玉県予選の準決勝まで進出した』

自分の意志でプロ野球に入った。

 

 

宿命を見ると、仕事場(年支)に父がいて、牽牛星(役割意識)へと父の気が流れ込む。また、天干には父の陰陽の気が透干して、それを日年の自分が激剋する。父を超えたいという潜在願望があり、父の跡を継ぐという役割も背負い、結局、父と同じ野球人としての道を歩むことになる。これは、宿命にもある流れの一つ。

 

問題になるのは、次の4つ。

①三合会局 金性(車騎星牽牛星)拡大

②調舒星剋牽牛星の葛藤

③年干支の暗合

④乙酉 天馳星

 

巳酉丑の三合会局は、金性(車騎星牽牛星)変化。三合会局の場合は、旺地の支(酉)に集約されて、「新しい」「大きな」金性が生まれる(車騎星の異常拡大)。

巳酉丑は陰支の三合会局。陰三合は現実が先。単に「野球が好き」という精神ではなく、「父がやっていた野球」という現実から始まり、野球をやることへの精神が生まれる。

 

ここに日年の大半会が含まれてくるので、深瀬さんと同じ、常軌を超えた行動や思考を持つようになる。深瀬さんとの違いは、すでに、野球という目的があるので、この大半会は思い切りの良いスーパープレイの可能性を秘めて、闘争心を高める働きをする。問題は、そこに三合会局が加わる事。

 

三合会局は異質の何かを一つにまとめ上げる作用。自分流の統合力は、組織に従う従順さにはならない。また、半会でも三合でもまとめ力というのは、細かい問題をすっ飛ばしていく作業なので、ミスや注意力の欠落をともなうことが特徴。

 

『コーチとの確執も多く、ヤクルト時代は野村監督のチーム方針に全く順応しなかったため、コーチ陣との軋轢が酷くなり、巨人在籍時は怠惰な生活を送っていたこともあった。コーチから激怒されたり、「次まともにやらないんだったら辞めろ!」と激しく叱責を受けていた。』

 

野村監督(日月の天剋地冲)は特に、ち密なデータ野球が得意だっただけに、三合会局とは正反対、合わなかったと思われる。また、コーチにあれこれ指図されるのも、三合会局を崩されることになり、ほっといて欲しいと思うだろう。組織の中で金性三合を使うことは無理がある。

 

結局、パニック障害が起ったのは、半ばやる気を失い、二軍落ちしていた時。

 

②調舒星剋牽牛星の葛藤 目的を見失った三合会局と大半会は、これまでの例と同じように、鞭打たれる自分が方向感なく、さまようことになる。

ただ、それだけではパニックが起こるとは言えない。

年支(仕事場)本元には丙(調舒星・個人感情)があり、それが牽牛星(仕事上の役割)を激剋する。自分の大義が役割と一致することが最大値。個人感情と現状が一致しないほど、不満とストレスは拡大する。かなりラフな言動が生じる。

 

不本意な役割を課せるコーチにも逆らうことが多くなる。牽牛星に個人感情が多く含まれるほど、そしてそれが、野球への意欲を失えば失うほど、年干の「乙」(仕事場の自分)を揺らがすことになる。それであっさり辞められればいいが、乙がまだ頑張ると、暗合が起こる可能性が出てくる。

 

『体力には自信があったので「気が弱いから、気合が足りないから、こんな病気になるんだ」と自分自身を責めた。ほとんどノイローゼで、自殺衝動もあった。』

 

③年干支の暗合 年支の庚はいくら砕かれても暗合されても姿を変えることはできない。この暗合では、年干の乙が辛に変わるだけ。

支が変形する暗合ではない分、極端な錯誤は起こりにくいと思えるが、仕事を続けていくと、本来の自分ではない自分(辛)を生きることになり、日干乙から見ると、その自分は自分を激剋することに加担する。

 

結局長嶋さんは、パニックが起こった年に引退して、芸能界を仕事場にするようになる。その意味では、病んだことで、ベストではない仕事から抜け出せたことにはなった。自分の意志で、抜け出すことが出来ないケース(車騎星牽牛星過多の場合など)には、病むことでしか、それが出来ない場合もあるのだと思う。その意味では、野球を辞めるという選択は遅かったとしても、良かったというべきだろう。

 

移った芸能界は、野球に比べればプレッシャーもなく、自由にやれる世界ではあるが、組織の一員であることにはかわりなく、三合会局を活かせる職場とはいいがたいところはあった。どんな仕事をしても、個人感情と大義との葛藤はあるし、金性(車騎星牽牛星)過多の構図は変わることはない。

 

④乙酉 天馳星 この干支は安定した現実力を持たない。同じ乙酉でも深瀬さんとの大きな違いは、結婚して子供が二人いるという家庭を持ったことだろう。守るべき、安定させるべき現実を背負うほど、乙酉は苦しさをかかえることになる。

 

『とにかくうつが酷い。ベッドから起きられない、仕事に行けない、約束が守れない、わけもなく涙が出る――。涙は、明け方の3時半頃からで、2人の子供たちがおき出す6時半頃まで続き、子供達のために決して死なないと思い、踏みとどまり続けた』と言っています。

 

これは症状がひどかった時の話。背負った現実が自殺の抑止力になっているという形だが、これが日干乙には過度のプレッシャーにもなっている。乙酉は座下(家庭)から自分(乙)が激剋される。家庭が空の方が自由な活力になるが、ここに家族が入り、現実味が増すと、打たれる自分が持たなくなる可能性もある。

 

『その後もパニック障害は治まらず、13年後の2008年、自身が企画した映画『ポストマン』の撮影時、最悪な状態をきたします。それはロケ地が千葉県であったっため毎回の行き帰りにアクアラインを使うため、毎回そこで死ぬような恐怖体験をし続け、うつ状態が悪化し、強い希死念慮も生じるようになっています。』

 

希死念慮とは、何かから逃れたくて死を選択すること。

この映画は、「製作総指揮・主演・長嶋一茂」で撮影された。これは、大半会付き三合会局の所業と言える。これ自体は、新たな自分の生き場を見つける可能性だったと思う。ただ、結果的には自分らしく生きられるはずの世界で、再びどん底に突き落とされることになる。

 

現実的な意味で、何がいけなかったのかは、見当がつかないが(前年の母の死の影響は大きいと思える)、気の世界からすると、日干支乙酉に色々な現実が詰まりすぎていたため、と想像する。

それは第二のどん底から這い上がるために長嶋さんが身に着けた脱出方法からも想像できる。

 

『まず結論から言うと、孤独と飢えに立ち向かえたら、ほぼパニック障害は克服できる。私は、パニック障害になってみて、食生活を含めた現代人の生活がいかに不必要なもので溢れているかを痛感させられた。そして、パニック障害の13年目に襲ってきたどん底の中で、私は、心身の健康のためには、「何事もトゥーマッチはだめだ」ということにはっと気がついたのである。例えば、昔のお坊さんの修行を考えてみると、そこには必ず「孤独と飢え」がある。食べないで、何日も何ヶ月も山の中を歩く。それはたぶん、「孤独と飢え」が、人間を一番強くするからだ。』

 

これは大変興味深い到達点で、これの意味するところは、実は、車騎星過多の本来の姿と一致する。自我を空にして、そこに役割が降りてくる。乙酉が背負い過ぎた現実を空にする。この宿命に合わせた現実を構築するにはそれしかないという気もする。その意味では、この方法は現実を背負い過ぎた車騎星過多に有効と言えそうだ。

別の意味では、陰支三合会局の、現実から精神を作るという作業が、病気(現実)の果てに最大機能したのかなとも思う。

 

もうひとつ、乙酉の自我を救う方法は、辛(車騎星)→癸(龍高星)→乙(自分)と間に癸(龍高星・偏母)を入れることだ。父の陰に隠れて、母の存在はあまり表に出ていなかったが、長嶋さんにとっては、唯一の救いの緩衝材になる。

2008年の大きな発作の前年、この母が急死している。母が消えることは辛剋乙をよりストレートにする。

この緩衝材の大切さは次の言葉からもうかがえる。

 

『何より、パニック障害に見舞われたからこそ、得られたことがたくさんあった。一番いい例が「読書の習慣」が身に付いたことだが、その他にも、肉体的に、精神的に、本当にいろいろなことを学ぶことができたように思う。小さい頃からがむしゃらに野球バカを地で行く感じでやってきて、もしも30歳でパニック障害になっていなかったら、私は、かつて母親が言った通り、世の中の機微がまったくわからない「傲慢な人間」のまま無惨な人生を送っていたか、あるいは、命にかかわる大病を患っていたかもしれない。』

 

癸は龍高星。母が空になった後では、疑問を解くために学ぶことが緩衝材になる。病気のおかげで、学ぶことにも目覚めたようだ。

 

長くなってしまったが、資料も多くあったので、引用してみた。長嶋さんの病気からの脱出法は宿命構造と合致する点がみられ、勉強になった。

 

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