ケース⑯ 中島らも(1952/4/3 ) 作家

 

『あまりにも仕事が暇だった(自分で営業をかけない限り仕事がなかった)ため、電柱から次の電柱まで歩く気力が無くなり「これはうつ病だ」と直感、最寄の精神科に飛び込み、渋る医師を説得してリタリンを処方してもらうことで一旦寛解したものの、依存を断ち切るために断薬し、症状を再発させている。また、在籍末期には離人症気味になり、東京・月島にあった支所(アパートの一室)にこもって仕事をおこなった』

 

サラリーマン時代(30代前半)から、うつ病という自覚があったようだ。

 

『多忙な人気作家となるも、飲酒や薬物の摂取がもたらす酩酊から着想を得ていたらもは、やがて連続飲酒を繰り返すようになる。アルコール依存を自覚していたらもは極度の疲労感、食欲の減退、体重減少、嘔吐、失禁、異常な尿の色、黄疸を自覚するようになり、1988年秋、アルコール性肝炎と診断され、大阪府池田市内の病院に50日間入院。』

 

1987年(35歳)に独立して、「有限会社中島らも事務所」を設立。作家活動を本格的にはじめてすぐに病気をする。らもさんの場合、精神を病むというよりも、飲酒と薬物という物理的な要因が大きいようなので、宿命からは、語れない部分もあるが、それでも、かなり特殊な宿命なので、そこから推測できることを書いてみる。

 

①入力、出力ともにゼロ(剋星で80%強)

②害×2

③天胡星×2

 

①入力(玉堂星龍高星)がなく、出力(鳳閣星調舒星)もない。

自我以外は剋星。真矢さんと同じ己卯で、よく似た宿命構造だが、もっと極端な形。

 

 

気の意味は真矢さんと同じ。

子供時代から、自分(茶)が「緑」に強く打たれている。

出力(黄)に関しては10代にわずかに高まりがあるが、30年間はゼロに近い。鳳閣星調舒星が表現の星と言われているが、それは、日干(自分)が出力する表現であって、作家や役者には、出力のない人は多い。役柄が表現することを可能にする。個人感情が邪魔しないので、自由に出力できる利点がある。

 

通常、若年期は、スポーツなど体を使うことで燃焼させる「緑」の気だが、らもさんは、スポーツ嫌いのようだ。漫画家になりたかったそうで、読書や漫画に費やしていた。それだけで、緑過多は燃焼出来ようはずもなく、ギター演奏およびバンド活動、アルバイトなどに精を出していた。それでも、この偏った気の燃焼は不十分。

所在のない自分自身を持て余していただろう。

 

③天胡星×2 真矢さんのところで書いたので省略するが、目の前の現実は病人の世界なので、気は非現実へと向かう。らもさんも音楽には熱中していたようで、天胡星=音楽は算命学では常識のようになっている。

天胡星二つの不安心理と妄想的発想が、強い緑(闘争心・使命感)で打たれると、現実世界では生き場がなくなることは十分に考えられる。それゆえの、音楽であり、自分が想像し、創造する別世界へと向かう。空想的創造力がメインの才能。

 

②害×2 これもまた、将来不安を増幅するものだ。特に日年の害は、未来と過去の構造的不一致が埋め込まれていることになり、天胡星が向かう未来に暗黒のベールが張られる。未来に対する不安心理は想像以上のものになる。

これは、自分の思い通りの現実を作れない変わりに、空想的、創造的なイメージを作り上げて、その世界の住人となる。となれば、そこでなら生きられる自分が生まれる。本当の現実とはかけ離れて行くが、それを酒と薬が忘れさせる。常に、現実とは違う世界を生きていることになる。

 

『予備校時代、神戸市の繁華街・三宮のパチンコ店やジャズ喫茶へと足繁く通うようになり、ジャズ喫茶にたむろする「フーテン」と共にアルコール、有機溶剤、鎮静薬・睡眠薬、大麻に耽溺。文学論、思想について雑談するなどして過ごす。らもはこの頃のことを、「ずいぶんいろんな面白い体験をしてるはずなのだが」、将来に対する不安から「あまり覚えていない」「あまりに憂うつだったので、無意識に記憶を消し去ろうとしている」と述べている』

 

日年の害は、現実的な意味では、目上に従って生きたり、環境を受け入れることで対処するようになる。

 

『元来、責任感が強い上に営業マン時代のクセで依頼された仕事を片っ端から引き受けていたらもは「仕事を断る仕事」として女性を電話番に雇う。』

 

害は、「やりたくない」→害(やりたくないという結果をだせない)→気持とは無関係に引き受けてしまう。周囲から見ると、責任感が強いとなるが、本人は、拒否できない構造(車騎星過多も含めて)が埋め込まれているに過ぎない。

この形で、自分がやりたいことをやるためには、精神を空にして体を使う(スポーツなど)か、非現実的な結果を出すしかない(創造することを仕事にする)。

 

現実世界においては、自発的な行動と結果を作れないので、仲間の影響も大きくなる(仲間の行動パターンを借りる)。そこに出入力なしが加わると、個人的な考え方や個人感情で人生を作ることはできない。常に他力的であり、環境の影響の中で自己実現して行く。元より常識は作らないので、「フーテン」の影響がそのままインプットされる。

 

車騎星過多+害×2の、自分で自分の人生を作れないことの作用と副作用は大きい。環境によっては副作用が拡大する懸念が出てくる。本人としても、どうにもできないジレンマを抱えることになるだろう。

 

『自分一人で時間を潰すことができる能力のことを「教養」というと、どこかに書いたことがある。自説に従えば、おれには教養がないのだ。酒を飲まなくてはどうにも時間を消費できない。一人でいる時間には、ウィスキーのボトルを手放せなくなっていた。』

 

害×2はありのままの現実を感知する力は常人の数倍以上となる。出入力なしは、その独自の感性と視点を自在に表現できる才能を作る。車騎星過多は自我を空にしてインスピレーションを誘発する。創作という意味では、常識や形に左右されることない、奇抜かつ異色の作家になる宿命だ。

 

ただ、才能が未開化の若い時は、自分の世界をそこまで構築することは難しく、宿命が目指す方向と目の前の現実には大きな乖離が生まれる。そして拡大する不安心理。

それを、お酒と薬物が調整する。

妄想的な天胡星×2を薬物の世界が実現させる。薬や酒で非現実の世界へ自分を送り込むことができれば、宿命は一応満たされることになる。そこは居心地の良い世界になっているはずだ。

 

『飲食店の階段から転落して全身と頭部を強打。脳挫傷による外傷性脳内血腫のため神戸市内の病院に入院』

結局、入院時から意識が戻ることなく、2004年に死去している。

 

最後に、『飲酒や薬物の摂取がもたらす酩酊から着想を得ていたらもは』という記述があったが、これは違うと思う。異常な着想と妄想的発想はこの宿命の特技と言ってもいい。ただ、現実との乖離は広がるばかりで、お酒と薬は、自分と現実を整合させる副作用が大きすぎる劇薬だったのだろう。

 

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