精神を病んだ52人の宿命中殺のまとめ。

宿命中殺所有者は、思ったほどではなかった。

中殺というと、生まれ持って問題を抱えているように思われるが、本人は、ずっと慣れ親しんでいることなので、自分の中ではどれが中殺現象なのかもわからないだろう。

 

宿命中殺は、親や家系との関りで論じられることが多いが、家系の意識も薄れ、親の位置も古代ほどではなくなった現代では、中殺の意味は、能力や傾向としてとらえるほうが、意味のある解釈になる。

 

宿命中殺は4つある。

日座天中殺 生日天中殺 生月天中殺 生年天中殺

 

日座天中殺は、11・甲戌と12・乙亥の二つだけ。これは、「中殺」の意味は同じだが、異常干支として扱うので、他の中殺とは区別して考える方がいいように思う。

 

生日中殺は、年干支(親の場所)から生じた天中殺現象なので、本人には無関係。親から見た時に中殺現象の中で自分が観られるということで、自分自身の星の燃焼には直接影響しない。通常は考慮しない。

親から見れば子供は概ね中殺現象だろうし、子供が親を見ても、同じようなことが言えるようにも思う。生日中殺には、あまりこだわる必要はない。

 

生月中殺は家系の流れを変える役割。家系を継承しない位置で生まれていることになるが、現代ではさほど大きな問題ではない。

 

中殺はすべて、ボトムレス、または、フレームレス、という定義でいいと思う。

生月中殺は、家系という入れ物がない。心に穴が開いている。だからできることがあり、だからできないこともある、というとらえ方をする。

 

古典占技はだいだいマイナス面を強調するので、中殺の中に悪しき響きが入ってくるが、そういう意味では、能力のプラスと副作用のマイナスと、差し引きすればゼロになる。

 

生年中殺は親の場所のフレームがない。親が自然な形で認識されないので、親との関係に苦労がある。

親への意識は、中殺がない人に比べればずっと強くなるが、それは、いい悪いで判定されることではない。

中殺があるために、密度の濃い親子関係になることもあれば、離反と執着を繰り返すようなことも起こる。自然な親子関係にならないということに意味がある。それは必要があって、そうなっていると考えるべきだろう。

 

宿命中殺は、何事もほどほどが難しいということも定義の一つ。

年干支は、仕事社会の場所でもあるので、親子関係と同じようなことが、社会生活でも起こる。

 

月殺でも、年殺でも、中殺者が、社会生活を無難に送ろうと思ったら、ボトムレスの受容力を発揮して、受け身のスタンスで仕事をこなして行くのが安全策。

自分の喜びはないが、評価される存在にはなり得る。

 

もう一つの生き方は、専門分野の探求者となって、一芸一学一技で世の中を渡って行く。これが本来の中殺の意味だと思う。

ボトムレスの探求は、多大な集中力と持続力を引き起こす。

 

ボトムがあれば、通常はそこで一息つくものだが、中殺者は、丁度(ちょうど)を知らない。ほどほどがわからない。自分の位置確認ができない。

「まだ足りない」という意識の中で、たんたんと、しかし、結果的には、深く深く進んで行く。

 

それは時に驚くほどの集中力を発揮して、大きな成果を上げることもあれば、加減を知らない行き過ぎとして、周囲から離れて行く(離れざるを得ない)こともある。

病む要因があるとすれば、このあたりだろうと想像する。