地球の多くの人は「幸福であること」を求めて精神進化の道を歩んでいます。


このような人々が意識を進化させるために解除する必要のある最も深いレベルのカルマ(観念の鎖)は、一般的に「自分は幸せになれない、なってはならない」という定義があることだと言われていますが、これはまだ、階層の浅いレベルからの言葉になります。


この現象世界(四次元のイリュージョン空間)は、意識の進化の道を歩む存在たちにとっては「カルマ(不要な観念の鎖)」の発見装置の舞台として機能しています。

 

人間は「なぜか怒りや悲しみが湧く」「なぜかイライラする」という現象に出会い、そのときに生じる感覚を内観して理解することによって、ネガティブな感覚が自動で湧き出てくる根本原因となっている「インプット・プログラム=観念の鎖=カルマ」を見つけます。

「カルマ(不要な観念の鎖)」はひとつずつ発見され、理解されることによって、鎖が千切れます。

そのように意識が不要な観念の束縛から解放されていくことで、人間の「悟り」や「覚醒」と言われる状態が進行し、かつ、次第に安定してゆきます。

 

 

 

現在、地球では多くの人が精神進化の道に歩みだし、そのプロセスの一貫として、さまざまな存在が語る「幸せになる方法」「ワクワクで生きる方法」「無心夢中で生きる方法」「軽やかになる方法」といった情報に出会うという現象世界を形成していることと思います。

この言葉を読んでいるあなたも、恐らくは「人生を幸せに行きられる方法」を求めており、また、その状態になるための方法論を説く情報にたくさん出会っていることでしょう。

 

しかしながら、このような方々の多くは、一時的には幸福な人生を歩め、成功している状態を感じられても、次の瞬間には予測しなかった不愉快な出来事(例えば病気、怪我、大切な人の死など)が突発的に発生し、とたんにメンタル状態がぐらつくという経験をすることと思います。

 

 

こういった足踏みを繰り返す人々の心の中では、このような問答が繰り返されるのが特徴です。

 

「なぜ、不幸が起きたのだろう。この状態を解放し、気分の良い状態にならなければ」

 

「気分よく軽やかに生きていたのに突然病になるとは、なにか自分の意識に問題が残っていたのではないか」

 

こういった問答を起こすことで、目の前の「不幸」に抵抗し、「苦」「不快」をより強く感じる状態となっていることに、あなたは気づけるでしょうか?

 

 

このような方々の奥深くにあるカルマ(観念の鎖)とは、以下のようなものです。
 

 

「不幸な状態は良くないものである」

 

「幸せにならなければいけない、幸せでいなければいけない」

 

「人は幸せになるために生きている(=だから、不幸な状態は改善すべきである)」

「幸せ=良い、ポジティブであり、不幸=悪い、ネガティブである」

 

 

 

これらのカルマ(観念の鎖)は、多くの場合、親から子への「幸せになって欲しい」「危険から守りたい」などといった、一見するとポジティブで純真な愛情由来の祈りから来る刷り込みによって誕生しています。

 

人間は「幸せ=最良の状態」という刷り込みが強烈ですので、ここまでのカルマを掘り下げられるレベルまで、なかなか到達しません。

 

あるいは、頭や知識では分かっていても体感に落とされていない状態が継続している人も多くいます。

「足踏み現象」を体験している方々は、頭の理解で停滞している状態にあるといえます。

このようなケースでは、「軽やかに幸せになったと思ったのに、急に逆戻りしたような不幸が訪れ気分が下がった」というような壁に出会う状態が繰り返されるようになります。

 


「不幸=良くない状態」という刷り込みがあるために、社会的に不幸とされる状態が自分の身に到来したときに、「この状態から抜け出したい」「苦を味わいたくない」という抵抗波動が発生するのです。

この抵抗波動が、あなたに「苦」を感じさせ、あなたの軸をぐらつかせます。

 

 

 

あなたは「幸せ」を推奨する情報を、あなたの現象世界(四次元のイリュージョン空間)に数多映し出してはいないでしょうか?

それらの情報は、あなた自身が、幸・不幸を善悪二元の観念でジャッジしているというカルマ(観念の鎖)を発見するために、自身の目の前に投影させている映像なのです。

 

「不幸である状態は良くない」という観念の鎖を発見し、外すことができれば、たとえ人生に不幸と認識される出来事が起きても、あなたの意識はぐらつかない不動心の状態となります。

 

不退転の意識を獲得した状態となるのです。