何やったって無駄だったんだ


な自暴自棄な絶望時期を乗り越えた私は

お得意の「切り替えられたら、はい、次」という思考回路で


「だったらどうすればいいのか」

を考え出した


色々な当事者や配偶者ブログを読んだり

具体的な解決策を探そうとした


でも、大抵が当事者は当事者の主張だけだし

配偶者は女性が多く、男性からの視点が少ない

そして「理解出来ない!離婚したい!」といった感情的なものが多く

解決策とは程遠い

分析すら無いものも多くある


こうなると

出口が無くなる




今まで


定型だけども

一般的な定型程のことが出来ない出来損ない


だったわたしは


非定型だから

一般的な定型のことが出来ない


わけなので


自分が定型と思い込み、自分なりに分析、理解し構築していたものを

全て崩されたわけである


つまり、自分なりの答えが出ていた部分も、

元は「自分は定型である」という仮定に基づいていたものなので

「自分は非定型である」という前提に変えると

辻褄が合わなくなることも出てくるということ


なので辻褄が合わなくなって困る前に

全てを崩す必要があったわけだ



「普通、こう受け取るでしょ」


という「普通」の基準がそもそも違ったのなら

今までどうやってもうまくいかなかった人間関係にも

納得できるのだ


そもそものありとあらゆるものの定義が違うのだから


発音が同じだけで、意味が似ているもの、違うものが混在した外国語を

共通語だと思い込んで会話していたのだ


そして「定義」が無くても話を続けられる特殊技能を持ち合わせた人種が

その会話の相手だったのだから


相手が「BSは空気が読めない」と思っていても

私は「相手は空気が読めていない」と思っている


お互いにお互いをマイノリティーだと否定しあう

そんな不思議が自然に発生していたのである


この場合の原因は全て「私が非定型だから」で片付くではないか


「定型だ」と思い込むから発生するトラブルである



決してアスペルガーの人全員が同じ国の人間で分かり合える、とは思っていない

個人個人で度合いや考え方、定義は違うだろうから

人の数だけ国はあるんだろうと考えている

同じ星の住人かもしれないが、国や言語や思想までおなじだとは思っていない


これは重要なことだと思う






今、願うのは

私の取扱説明書を

私が読めるようになる事


なっとくしたら

夫にも読んでもらう事



ま、無理なんだけど



だから

夫の取扱説明書が欲しい


子も、個人個人に用意されるべき取扱説明書を

私に関わる人全ての人の数分、用意して欲しい


ま、無理なんだけど






定型夫とアスペ妻のコミュニケーションの正解を

教えて欲しい



私は自分の意見や考えを伝える時、夫をイライラさせるし怒ることしかいえない


どう言えば夫がイライラしないか、怒らないか

聞ける相手は夫しか居ないが

夫に聞いて解決する事なのか・・・



一緒に考えてくれることが理想だが

現状それは期待できない


私が話をするとイライラしてドアや物に八つ当たりしているし(扱いが乱暴になる)

足音で分かる

これ見よがしなため息と口調で怒っていることが分かる


絶対本人は否定するけどね!

「別に怒ってない」とか!


なんでだろう、

自覚していないだけ?

嘘ついてる?


自覚していないなら教えてあげたほうがいいと思うのだけど・・・

子供だって様子見してるし・・・

自分で思ってるほど切り替えできてないよ?って


嘘ついてるなら、私は嘘を吐かれるような存在なのだと立場をわきまえねばならない





今までの苦痛は(今でも苦痛だけど)

私自身納得できる理由が付けられたので

とてもすっきりしたし

多分、もう少し整理できるようになったら

ばっさり切り捨てることが出来ると思う

そんな気がするから、きっとそうするだろう


切り捨てたら切り捨てたで

本当にどうでもいいものになってしまうから

それで本当にいいのか、迷っている




だけど

今それ以上に問題なのは


これからどうすればいいのか

私に何が出来るのか


アスペのサイトを読んだり

本を読んでつくづく思うのが


当事者が努力することはとても限られていて

むしろ

周囲が努力することのほうが多い


ということ



本を読んでいても

「ああ、そうそう、こういうことが言いたいのよね」

と思っても

その問題にたいして

当事者がどうすればいいか、と書いてある物は無い

周囲はこう受け止めましょう、こうしましょう

と書いてある


つまり、アスペルガーに対処できない周囲の定型に対してのアスペ解説本でしかなく

アスペ自身に対しての解決本ではない



つまり、私の場合

夫の理解が進まないと

何も解決できないということ



自分で何かを努力してどうにかなる問題ではない

ということが

とても歯がゆい



そして夫は本も読んでくれない

主治医に薦められた本ですら。


「これ読む?」

と聞いても

「なにそれ?」

意識に全く無いご様子



私が勇気を振り絞って訴えた事も

忘れている程

重要な事だと思ってもらえていないようで


問題意識というか

温度差をものすごく感じる





相手に訴える段階で

即時行動に移せるほど切迫した問題なんだけどなー

なんでそれが分からないのかなー



どうせ私の言い方伝え方が間違っているんだろうけど

答えが分からない

正解が分からない

夫は教えてくれない


それどころか

「ごめんね」とか「わるかった」とか

意味の分からない謝罪をする

何に対しての謝罪なのか全く分からない


そしてその謝罪で「終わった話」にしてしまう


なにも伝わっていないと感じるし

何も解決していないし

私の話は軽く受け止められていると感じて悲しく、呆れてしまう




私は

こういう、日常的に起こるすれ違いや問題点についての

正解や解決策を

具体的に知りたいだけなのだ



アスペルガーと分かって解決したことは、


「過去の苦しみに理由を付けられた」事であるが

それでも過去苦しんだことには代わりが無い


「現在の苦しみ」には何も答えは出ていない


むしろ、答えが出しにくいことがわかってしまった



夫に例えたのは



鉛筆をもたず白紙の解答用紙に向かっていたところ、6H位の書きにくい鉛筆を入手した状態


であるということ


夫は「大きな進歩」というが

私には「大きな進歩」と捕らえる理由が分からない


問題が解けない事には代わりが無いのだから


鉛筆を持っていたって、問題が解け、正解をかけなければ意味が無い

進展したとはいえない


そう思う。


アスペルガー検査を受ける前から


主治医に検査を受けてみたい旨を伝えた時

「その傾向はあるでしょうね」

と、一切の否定が無かった段階から


アスペルガーについて調べ

自分の今までの記憶にある限りの言動を考え

(記憶の飛んでいる期間については知らない)



ああ、私はどんなに努力したってこうなるものだったんだ

あの時、あれ以上の努力をしていたって

結果は変わらなかったんだ

私の今までの努力は一切無駄なことだったんだ



という諦めに襲われた


絶望にも似た自暴自棄にも似た感情だった



その後

自由に振舞う子供を眺めながらうらやましく思い

一つのことを思い出した






以前主治医の診察を待つ間

主治医の部屋で異音がし、しばらくして1人の男性が

病院の事務室に居た男性5人ほどに抱えられ出てきた

喚いていたのは他者(主に主治医)を責め、どうにかしろ、といった事だったが

男性は主治医と支えている人達と共に階段を上がっていった(入院棟)


それをみて

夫は「先生も大変そうだな」と言った

私は何も答えられなかった。

確かに先生は大変なのだろう、と推測できた。

先生が困った時の口調で男性をなだめていたから。




でも

私は男性がうらやましかった

例えそれが怒りとなって現れていても、それが自分の意見であり

少なくとも男性にとって、その場がそれを言って許される場所なのだと感じていたこと

それがとても羨ましかった


黙れとも言われず、否定されず、なだめていようが、確かに台詞を聞いてくれる環境が

そこには存在した。


この行為が正しいとは思わない。

決して正しいとは思わない。


出来うる限り、自分以外の他者に迷惑をかけずに生きていくべきだと思うから

その用意をしながら生きていくべきだと思うから

私はそういったことはしたくない。


それでも

喚き散らせる、それが許される

思ったことを思ったとおりに口から言葉を出せる


それが羨ましかった





そう思ったことを思い出した。


私は

今までの経験から

思ったことを思ったとおりに口から出すと

人に誤解を与え、相手を怒らせ、ひいては自分が否定されることを、

トラブルは避けるべきだ、ということも教わってきた


だが、どういう時にどういう言葉を選べば人を不快にさせずに会話が出来るか

私の思ったことを伝えられるかが分からず

トラブルを避けるために全て飲み込んできた(つもり)


そうすることを、自分の責任で自分で選んできた事である

(私には「自分の選択には責任を持ち、結果は全て受け入れる」というルールがあるので)




だから


努力したって無駄だった事は


努力するという事が自分が選んだ結果なのだと


無駄だったという結果も、

脳の情報処理のせいであって、努力でどうにかなる問題ではなかったとしても

自分が努力すると選んだ故の結果なので

受け入れるべきなのだと




ふと気付いた



だから

文字にするとニュアンスが難しいが


「無駄だったとしても、自分で選んだ事なのだし、仕方が無かったんだ」

と前向きに、妙にすっきりと納得できた




自暴自棄な絶望時期は終わったが

ここからが本当に苦しい時期だった

夫がそうならないといいな。とおもう

なるとしたら私のせいだから


私のせいで夫の人生を狂わしてもついていける


と思って結婚したけど

実際は狂って欲しくないから


ならないといいな、とおもう。