ASについて本を読んだり、ネットで当事者さんと交流したり、定型支援者と交流したり
疲れてきて、ASの本を開くと逃げ出したくなる。
いっぱいいっぱいになってきてるんだとおもう。
意識の改革が必要な事だから
精神的体力が必要なのかもしれない。
夫とのやりとりで疲れることも多くなってきた。
休みが欲しい。
休みなんてないのに。
ASについて本を読んだり、ネットで当事者さんと交流したり、定型支援者と交流したり
疲れてきて、ASの本を開くと逃げ出したくなる。
いっぱいいっぱいになってきてるんだとおもう。
意識の改革が必要な事だから
精神的体力が必要なのかもしれない。
夫とのやりとりで疲れることも多くなってきた。
休みが欲しい。
休みなんてないのに。
義祖母(義母の母)は、緑内障によって
ほぼ視界が無いと言う
先日伺った時、
薬が変わったりするので、朝昼晩の分包を見分けるのが大変だ
とおっしゃっていた
なにか目印に触って分かるようなシールでも有ればと思い、
サンマークシールというのを見つけた
サンプルを取り寄せて、義母と、主に義祖母を見ている伯母とに見せようと
家に居た義母に早速見せてみた
(ここで否定を想定していなかった私の失敗)
すると、サンプルを触らずに
「こんなものじゃ分からない」
(点字ではないと言っているにも関わらず)
「点字が分かる訳じゃないから無駄だ」
等々
好き勝手言ってくれるじゃないですか
こちらとしては
「これがそのまま役に立てばうれしいし、何かのヒントにでもなれば」
というだけの思いだったのだが
まぁ、正直
おもしろくない対応をされた
と思った
だが、義母の妹である伯母が主に面倒を見ているので
義祖母にどう見せるか、見せるか見せないかも
その伯母に任せようと思い、その準備をしていた
要は義母との事は無かったことにしようと。
すると、義母が
とてもよそ行きの声で
「色々考えてくれてありがとうね」
と言ってきた
正直なところ、なんと返せばいいか分からず
「はぁ」
と返しておいた
言わなきゃ良いのに、と思いながら
わざわざ蒸し返す、取り繕う義母を複雑な思いで見ていた。
というのも、以前、伯母の娘さんが出産後、体調不良などで帰省してきた
お見舞いに行くのだと連れて行かれた時
(義母は出産見舞いも、退院日に家に押しかけるような
私から見たら迷惑なお見舞い方法をする人)
義母はその娘さんに
「(子育てという)大変な事をしているのだから、疲れたら休めばいいのよ」
と、思いっきりよそ行き声で言っていた
が、帰宅後
「今の人は余裕が有るのね、精神的に病めるなんて。私の頃はそんなこと考える余裕も無かったわ」
と素の声で私に向かって言った
私、育児疲れでうつ病でぶっ倒れて精神科通い復活してるんですけど。
その私に、このせりふを言うのですか。
と思いつつ、
義母のあの声はお世辞?思っても無いこと?の声なのだと
覚えておいた
帰宅後の発言の声色が本音なのだと、覚えておいた
今回の発言の声は
正にこの二種類の声を正確に判別できる言い方をしてくれたので
私にとって、義母の本音がとても分かりやすかった
ちなみに育児疲れ云々の時も「はぁ」と答えその場を離れた
不快なので。
夫が帰宅後、その話をして
「と、言うわけで本音ではないので後半の発言は無かった事でいいのよね?」
と確認すると
「社交辞令が言えるだけ良いんじゃないか」
というので
「そういうものは先に言うべきであとづけするものではない」
と言おうと思った。
が、夫の主張を聞いてみようと黙ってみた。
すると
「社交辞令を受け取れないようではBSはまだまだ子供だ」
と言われた
馬鹿にされたようでカチンと来たが
社交辞令を取り繕うように使う義母も問題だ、とも言っていたので
それは認めてもらえて安心した
さて。この会話
夫はどこまで覚えているでしょうか。
義母もどこまで覚えているでしょうか。
こうやって日々不快な思いをしながら生活している事を
夫はどう思っているのか
ちゃんと聞いてみたいものだ
どこかのアスペブログで読んだ
「郷に入って郷に従うのではなく、私は郷に入ってまで郷を指摘するのだ」
と。
妙に納得できてしまい、ふふ、と笑ってしまった
確かにそのとおりだ
地域の風習を否定するつもりは全く無い
その土地に引きこもって生きていくならばそれだけをひたすら守れば便利なのだと思う
連帯感とかいう不思議な現象が起こり、孤立せずに生活しやすくなるのであろう
でも、子供はこの土地以外で生きていく可能性が大きい
その時、その土地の誤解されやすい習慣や言葉遣いは
「この土地ならではのものだ」と教える必要がある
「一般的にはこうだ」と、場所場所にあわせて使い分ける術を教えていかなくてはならない
だから私の場合
「郷に入っても郷の通りに子供を育てない」
のだとおもう
社会に出て、方言が出来なくて苦労するより、
標準語が出来なくて苦労することが多いだろう
地方によって乱暴な、雑な言葉遣いもある
そういった表現を平気で使っていると
反感を買うことは容易に想像できる
そのために社会からドロップアウトするのは
あまりにももったいなさ過ぎるし
それを親の方針一つで防げるならば
そうするべきだと思う
だから
「郷に入って郷に従う」部分と
「郷に入って郷を指摘」する部分とがあっていいと思う
良いことだけを吸収すればいいと思う
その方が余程合理的だし、将来の役に立つ
その上で、本人が
場面場面で「方言の方がよさそうだ」とか
「丁寧な言葉遣いを心がけよう」とか
判断していけば良いと思う
「郷に入って郷に従う」部分は、あえて言うことではないし
周りはそれが当たり前で「郷」とは思っていないので
「郷を指摘する」部分ばかり見られて文句を言われる
私にはそれが心外でたまらない
「私はこう思う、だから子供にはこう言う」という事を言っても
「どうせここは田舎だからね」「田舎時間だから」「田舎だから」「田舎d(ry」
・・・・うるさい。
私は僻みを聞きたくて話をしているのではない
「ここの言葉は荒っぽいから」と自覚しているなら
それを快く思っていないことを知っているなら
気をつけて使えばいい。
まぁ、
私はそういった配慮もされない程の存在なのだろうけど。