こんにちは。

お久しぶりなブログな気がします流れ星


下書きにしていた記事の続きを書いたのでupしてみますね。





アレキシサイミア という言葉を知ってから、もしかしたら私はこれもあるよな。と思っています。リンクを貼っておきます。




感情を言語化するのが苦手で、特に
『どう思った?』
『どういう気持ち?』
という質問に答えることがすごく難しく感じます。いろいろ渦巻いている感情はあるのに、それを言葉として自分の気持ちとして表現することがうまく出来ないとずっと感じてきました。

プラスの感情も、マイナスの感情も。
ポーカーフェイスだと言われてきてたのも、もしかしてこれが理由?

わかりやすく例えると…

刺激・出来事
体感として感じる
(・ドキドキする
・胸が詰まる感じ
・すっきりするなど)
それをそのまま伝えたり
感情にラベリングする
(怖い、辛い、楽しい、嬉しい、悲しいなど)
他人に伝える



上記の赤の部分が苦手というか難しいと感じてます。体感として感じてはいるのですが、なんかよくわからないけど気分が悪い、なんかよくわからないけど、重苦しい、なんかよくわからないけど胸がスッと晴れてる みたいになってます。

だから、泣きむしなんだと思います。


その感情の高ぶりや気持ちが、言語に出来なくて常に胸の中にあって、それらが急にジワッと涙になってしまいます。

子供のときから、私は本当に泣きむしでした。
でも辛いから悲しいからとか泣くというより、本当に感情をどうしてよいのかわからないから泣いてるなって最近気づいたんです。
家族からは、
『泣かない!泣くよりお話しないとわからないでしょ』
『泣いたってわからない。泣きながら話してもわからないから、泣き止んで』
とさんざん言われてその度に結局言葉に出来ず諭されその場が終わっていました。



なぜ泣いているのかということを知りたがるのか、なぜ泣き止まないといけないのかと不思議で仕方なかったのですが、言語化出来たらそりゃお話しようよ となっちゃうよねと思います。




感情(形容詞)より、考えが先行してしまうんです。
きっと○○なんだな、とか●●でそうなったんだなとか頭で理解しようとするというか。
先日も、バラを見に行った帰りに

「今日は楽しかったね」と言ったら夫から「めっずらしー!≪楽しかった≫が出たよ!!」という返しをされました。
感情を出すのは自分のためでもあるけど、
それによって相手にも伝わって、いい気持ちになることもありますよね。
今は、普段から楽しいし、嬉しいことはあるのに、ちゃんと夫に伝わってたのかなと反省もしています。

泣きむしですが、泣きむしのプライドとして子供時代から家庭以外・家族以外で泣いたり泣き顔は見せないようにしてきました。

ただ、その場で嬉しい、楽しい、痛い、悔しい、辛いが伝えられないことにより、刺激や出来事が尾を引いて自宅で唐突に泣いたことは数えきれません。







あと、自己肯定感と自信の無さがやはりさまざまな原因につながってるとも思います。

自分のことが好きじゃないんです。
ありのままの自分に自分で価値を見出だせなくて、他人に認められることでやっと存在意義を感じることが出来ます。

小学生の頃、授業中にいきなり後ろの席の男子生徒に全力で頭を叩かれたことがありました。
でも、私はその時もなぜか怒るでも泣くでもなく淡々と
『叩かれてしまった』
と思ってました。
更に悲しい、悔しいという気持ちも無く。
その子の家庭の事情を知っていた私は、叩いてきてもしかたないよなと理解しました。


でも、結局帰宅してから大きなたんこぶになっていたので、親が学校に連絡しちょっとした騒ぎになりました。
よくよく考えたら私は悪いことをしてない叩かれた被害者。

『私は叩かれる存在なのだ』という気持ちさえありました。

常に懲罰意識があるということです。
自信もありません。
だから、なんとかなるさという考えが出来なくて、常に視界が良好になって不安や疑問が0になって、見晴らしが良い状態にならないと前に進んでいくことが出来ないのです。





原因はひとつではないし大人だし、今更○○だからと私は理由を探し回ることは無意味かなと感じています。
今さらやり直せないし、でもそこにじっとしていていきなり泣いたりするのは、結構迷惑だし、なんとか少しずつでも感じたままに感情を出せていけたらなぁと思っています。





クローバーいつも、最後まで読んでいただきありがとうございます。いいね、コメント、メッセージありがとうございます。