年が明けてはや2ヶ月目。


12月31日に飼っている猫の1匹(13歳)が私の手を離れて神様の元に旅立ちました。

2022年に入ってちょっと弱っているなと感じていましたが、10月の血液検査では腎臓の値が少し悪いが特に何かするレベルではないと言われており、普通に暮らしていました。

しかし年末に入ってから急に悪くなり、あっという間に去っていきました。


入院はさせず、家で看取りました。

冬休みに入っていたので、ずっと一緒にいてゆっくりと過ごせました。

あまりに早いと感じられる別れでしたが、別れなければいけない運命を受け入れるならば最上のタイミングで起こったとも思えます。


あなたがつらい状態が長く続くのは私が耐えられないから、頑張らなくていいから、自分のタイミングで早く行きなさいと昔から言い聞かせていたので(本当です!)

そのようにしたとも思えるし、

冬休みの飼い主を24時間独占できるタイミングだったのは、あの子らしいと思っています。


最期は夜中で私は眠っていましたが、声を出して私を起こしてくれ、嘔吐し、咳のような呼吸を何度かした後、息を引き取りました。


コミュニケーション能力がとても高い猫で私と意思疎通がびっくりするほどできていたので、見送って欲しかったのだろうな、と思っています。

 


(お花の左下)お許しがあったので好物をラップに包んで一緒に持たせました。最初で最後のお弁当。




今でもこの子のことを考えると涙が出てしまいます。

13年一緒にいてくれ、たくさんの愛をくれた存在でした。

本当に寂しいものです。


今は、初めて1人っ子になってしまったもう1匹の猫と、のんびり過ごしています。




12月31日の深夜に猫が亡くなり、1月1日にトイレが詰まりました。爆笑


スピ的には、表現されない感情があるらしいです。

そりゃ、あるでしょ!!というタイミング。


お正月から来て下さった業者さんからは、トイレはいつも大で流しましょうと言われ、2023年の目標になりました。

絶対に実現できる目標で気が楽です。笑

こんにちは。

Google Search Consoleのデータを見ていたら、まだBlue Necoで検索して来て下さる方がいらっしゃるようだったので、少し近況などアップデートしてみます。

 

前回は8月の終わりに投稿したようです。

週1回の新しい仕事の話をしたのでした。

 

それから3ヶ月経ちます。

新しい仕事は週に1回ということもあり、他の皆がやっているルーティンワークに組み込まれるのは難しく、手がつけられていない経営周りの企画をやっています。

参与、という新しい肩書をいただきました。

 

ベンチャーあるあるですが、在庫管理や業績管理、経理関係など、ちゃんとやらないとだめなところができていないので、そのあたりを詰める仕事や制度周りの整備をやっています。

 

週4回の仕事は、週に1回オフィス(富士山が見える)に行き、週3はリモートワークです。

こちらも色々あり、派遣社員の業務の枠を超えて、なぜだか業務改善のプレゼン資料など作っている始末。

 

コンサルティングファームの出身者が定型的な業務をやるのは、所詮は無理があるのでしょうが

(定型業務を見下しているわけではありません。仕事の進め方や、求められる振る舞い方が違いすぎるという意味で、けっこうキツイです。)

 

じゃあ自分に合った仕事をするために東京に出稼ぎに行くか?と考えると、筋反射に聞くまでもなくNo!なのです。

ちなみに週1の会社の時給は、私の知見のすべてを使っているにも関わらず、派遣社員の仕事よりも安いです(笑)

気分はボランティアワークですが、今は仕方がないなと思っています。

 

何の仕事をするにしても、一緒に働く人達の信頼を得ないことには前には進めません。

ひとまずは、一緒に働いてもいいよと思ってくれたことに感謝しています。

 

どうしても仕事の話が中心になってしまう…

人生=仕事になっていること、これは私の課題なのだろうと思いますが、それはそれとして置いておきます。

もう何かを無理に変えようとしなくていいかなと思っているので。

 

無理に変えようとしても、しなくても、私はずっと1人でした。

きっと家族が生きていても変わりはなかったような気がします。


1人という事実にいろんなネガティブな感情をつけなくなり(恥ずかしいとか、ダメ人間とか)

どうやらそこをここ1年で受け入れたようでした。

本当は1人じゃなくて全体とつながっているのかもしれませんが、そこまでの境地にはなれていません(笑)

 

 

このブログは3ヶ月に1回書いているとすると、年に4回しか更新していないことになりますが、過去を振り返って現在地を見定めるのに良いので、クローズせずに置いておきますね。

 

興味がある方は見に来て下さい。たまにお待ちしています。

 

写真は午前中に行った海です↓

image

大変ご無沙汰しています。

夏も終わりに近づいています。


ここ3ヶ月ほど、エネルギーの浄化以外のヒーリングやセラピーからは離れています。

誰かのセッションをこんなに長い間受けていないのは、かなりの年数なかったことです。


これまで生きて来た中で、私は自分のことをずっと否定して来ました。

いつか幸せになる日が来ると思い、ずっと努力をして来ましたが、望んでいた形では無理だということがよくわかりました。

それを受け入れるのは気づいてからはそんなに長い時間はかかりませんでしたが、とても大きなことでした。


自分に都合の良い、受身な救いを求めるのはやめ、現実をただ受け入れたことで、結果的にはストレスが減ったことを実感しています。


ぐるぐる回るネガティブな思考が前ほど起こらなくなり、将来への不安はあるけれど、現実的に考えて打てる手は打って、もう考えないということができています。

これがグラウンディングということなのかもしれません。


きっかけは、ヒーリングをギブアップして、非二元のコンセプトを学んでみて、結局は自分次第なのだなぁと思わざるを得ませんでした。


正直なところ、飼い猫の2匹を見送ったら、後はどうやって今世の幕を閉じるのか、だけなのですが、それまではできるだけ健康で、ストレスなく、やりたいことをやって、できたら楽しく新しい発見をしようと思っています。


結局、めちゃくちゃシンプルで当たり前のことにたどり着きました。笑


そんなある日、興味があり、インスタでフォローしていた、近くの町にある会社が私がやっていた職種で人を募集していて、衝動的にメールを送ってみました。


まだ新しく事業が軌道に乗っていないので、私が望むお給料では、フルタイムですぐに雇えないと言われ、そうすると現職の都合もあり、お試しの意味もあり、週1でお手伝いすることになりました。


現職も、派遣とは言え、週5日のフルタイムでの契約を1日ぐらいならOKと快く送り出してくれたのは驚きでした。(2日以上は無理と言われました)


新しい会社も、0か100ではなく、お互いに無理のない形で一緒にやっていきましょうと言っていただき、その言葉にも共感しました。


こんな自然の中にある会社です。


こんなことが起きる前に、何となく違和感がありながらも、何となく惰性で続けていた人間関係が複数、壊れることがあり、これは現状が変わる前兆のようなものかなと思っていたら、こういうことでした。


また1年前に右肩にまず痛みが出た四十肩が、半年後に左肩に出て、そのせいで腰痛にもなり、体に痛みがない時がなかったのがようやく良くなり、外に出て活動する準備ができたのが感じられました。


東京にいた時は、お金儲けをしたい、出世をしたい、などのモチベーションで仕事をしていました。


ここへ来てもしばらくは、自分の能力やキャリアに見合うお金がもらえないなら、仕事をしたくないと思っていましたが、今はそうではないみたいです。


せっかく引っ越してきたのだから東京にはない環境で、東京ではできないことをしたい。できたらこの地域に貢献したいという思いもあります。


まだ仕事が始まっていないので、いったいどうなるかわかりませんが、ひとまずいただけたチャンスはつかむぞ!という気持ちです。


私は昔から組織への帰属意識がまるでないので、あっちこっちで、自分の能力を活かして仕事をするのは飽きなくていいなと思っています。


最近は、起業したい知り合いの方の事業計画書を作るお手伝いをさせてもらったり、少しずつ活動的になっています。

年のせいか、朝早く目覚めます。笑

4時頃に起きてもやることがないので布団の中で瞑想。


起きるなり嫌な記憶が回りだすのはいったいどういうことなんだと思いますが、それを横目に見つつ、身体の感覚をスキャンしています。


記憶の再生が止まらない時は心静かに瞑想できないので、そちらにフォーカスします。

そうすると体の中で温泉のように、何かが湧いてくる感覚が。


場所は、最近は胸の中や後ろ、肩の中などが多いです。

気づけば気づくほど感覚は磨かれていく気がします。


最初は、嫌な記憶が再生する時に感じる、イヤ〜な感覚。

この不快な感覚を感じたくないゆえに、私は体から意識が抜け気味のようなんです。

それを感じ切ると、悲しみが出てきて、その後怒りが出てきました。


うまく感じ切れると、肩が軽くなったり、呼吸がしやすくなったりします。


面白い。

なんて言ったらマニアック過ぎるでしょうか。


セラピーなどで言われる、癒されるには感情を感じ切るというのは真実だけれど、なかなか奥が深いです。


私は、上に書いたように、意識を体の中に置かないことで、感覚を抑圧して来たらしく、感じるということがよくわかりませんでした。


いつもネガティブな思考でいっぱいなのに、心理セラピーなどで改めて感じてと言われると、ポカンとなったことを覚えています。(そして更に感じようとすると眠くなる)


今思うと、感覚に蓋をした上で、何か不愉快なことが起きると反射的にあふれてくる不快感を感情だと思っていた時もあった気がします。


感情は頭で感じるのでなく体の反応なので、うまく手放せないと溜まりますし、こわばりや、痛み、炎症のような形で出てくることもあります。


頭の言うことを長年聞かせていたせいか、私の体は今、反抗期で、痛みや不具合がたくさん出ています。


今朝、ハッと気づいたのですが、マッサージやエステに行こうかなと思う時、イマイチ言うことを聞いてくれなくなった体をさらにこき使うために行こうかなと思っていないか?と。

少なくとも私はそんな考えでした。

無意識でしたが。

自分の体だし、と。


本当は「体」はどうしたいのか、頭が「これは体にとって(最終的にはエゴにとって)いいんじゃない?」と考えることではなく、体に聞いたことはあったっけ?と思います。


瞑想の中で体の反応や感覚を見るまでは、日常的に注意深く、エゴ抜きで、体の声を聞くことなんてなかったなぁと気づき、反省しました。


何となく去年の夏から、自己ヒーリングというものをほとんどやらなくなり、それはそれで問題も感じずにいました。


やってもエゴが邪魔をして筋反射が取れないか、スキャンリストやカードから選ばれるメッセージが自分が見たいものしか出てこないからです。


もうクリスタルボウルやエッセンスなど、ヒーリングのツールを手放そうかと思っていたほどでした。

 

それが最近、喉の右側がゴォ〜っと熱くなる現象が起こり、何だかわからないけれど、自己ヒーリングをやれと言っているらしいと思い、久しぶりにキネシオロジーの自己ヒーリングをやることにしました。

 

ほとんど浄化の指示ばかりです。

(私が自分が確実にできるヒーリングが浄化だと思っているからだと思う)

相変わらず、ゲップとえずきの嵐(笑)


オーラに手を当てると濃厚なエネルギーが滞留しているのがわかります。

 

その時は、長く溜めた分だけ、ネガティブエネルギーが祭りのように出てくるのかなと思ったのですが、案外あっさりと終わりました。

 

そして今日のことですが、夕方ごろから、めまいのような気持ち悪さが襲って来ました。

そういえば朝起きたら寝違えたように首が回らなくなっていました。

あ〜これは何かネガティブなものがくっついているなと思い、観念して自己ヒーリングを始めました。

 

今度も浄化ばかり。

前と違うのは、ゲップとえずきの中でも、自分とつながりながらやる手応えのような物が得られたことです。

 

仕事が暇なので、瞑想ばかりやっているのですが(そういえばここ何日かは瞑想できないほど思考があふれてきていました)その感覚をヒーリングに生かせることがわかりました。

 

このネガティブエネルギーは(私の仮説ですが)どうも普段関わりのある人たちから受けているようです。

私は幸か不幸か、そういうものを引き寄せてしまう体質なんですね。

普通に話をしていても、その人の悪いところがどんどん出て来てしまうというか(笑)←笑い事ではない

 

そうすると私の体調や心理状態もおかしくなってくるみたいな気がしています。

前はもっと鎧のように身を固めて、そういったものが入ってこないように、感じないようにしていましたが、最近は特に自分に帰るということをしているので、過渡期の揺り戻しのようなものではないかと思っています。

 

この体質からは逃れられないので、自己ヒーリングとのお付き合いは当分続きそうです。

皆様、GWはどのようにお過ごしでしょうか。

私は寝る前に瞑想をしています。

そのまま寝てしまえるようにお布団の中で瞑想します。


いつものように体内のエネルギーを感じているとお腹のあたりにぐるぐると回るものが感じられました。

エネルギーが滞っているとぐるぐる回らないのですが、今日は大丈夫でした。

ここまではいつもの通りです。


ふと「何もしなくても私はすばらしい」と言う文を思い浮かべると、そのぐるぐるが大きくなることがわかりました。


そして喘息持ちなので横たわると呼吸が少ししにくい時があるのですが、呼吸が楽になりました。


他にもいろいろ文章を試したのですが、その言葉に1番反応しました。

身体って不思議で面白いですね。


そのぐるぐるは足の方まで広がり、体全体を覆いました。

体全体を覆ったぐるぐるを感じながら、なぜか水中にいる自分を思い出していました。


プールで浮いている時のように力を抜いて水の動きに身を任せている感じ。

と思いながら、ぐるぐるの動きを感じていると、もしかして、これが安心感かもという感覚に包まれました。


私にはあまり馴染みのない感覚でした。笑

不安を強く感じる人なので。


ここ最近は身体が痛いこともあり、文字通り身体にぎゅっと力を入れて生きていたような気がします。


それにずーっと、〇〇にならなくてはいけない、〇〇であらねば、と、今の自分と違うものになろうとして、自己否定しながら生きてきたので、そろそろ、そのメッセージにも気づきなさいということのようです。


もしかして私は力を入れすぎて生きているんじゃないか。

何をやってもいつもヘトヘトで、すぐに横になりたくなるし、あまり生活を楽しむ余裕がないように感じられます。

GWに久しぶりに長く休み、やっといろいろなことを楽しむ余裕が出てきました。


でもそんなに力を入れなくても良さそうです。

プールでビート板にぎゅーっとつかまっている感じ。そんなに力を入れなくても、ビート板に軽く触れているだけで身体は浮くんですよね。


もう今の自分のまま生きていきます。

そうしたらどこで何をしてても大丈夫っぽいです。


夜中の2時過ぎの出来事でした。

お久しぶりです。


12月に始めた仕事はまだ続いています。

蔓延防止法がある間は、リモートワーク、解除後は週に1日だけ出社。


責任もなく、嫌なことはスルーできるぐらい、淡々と過ぎていく毎日です。


3月ぐらいからとても暇で、同僚と2人でやっている仕事なんですが、1人でも余る仕事量。

ありがたいことに、それでも会社は良いと言う。


暇になって気づいたのは、暇だと不安や恐れからたくさんの思考が生まれるということでした。

忙しいと、文字通り忙殺されて、色んなことを考える暇がないのです。

時間があると、不平や不満や、過去の嫌なことの記憶や、将来への恐れや…隙間が埋まるだけ際限なく出てきます。

思考は自分の正しさを主張してきて、それに何となく流されてしまい、巻き込まれてしまっていましたが、


なんか違う

と思いました。


そして一向に治らない体の痛みです。

2年前に起きた右脚の痛みは、今はほぼ良くなりましたが、お腹の筋力が落ちると負担がかかってくるようで歩きにくいです。


昨年の夏に転んで打ったことで痛み出した右肩は良くなりましたが、拘縮が残り動かしにくく、

今度は左肩が痛み出しました。

ただいま炎症真っ只中。


そして慢性化した腰の痛み。


毎週、ピラティスのプライベートレッスンを受け、2週に1回の鍼治療を受けています。

どちらも素晴らしい、普通以上のケアをしてこの状態。


老化現象と言ったらそれまでなのですが、メッセージなんだよなぁと最近思いつつあります。


誰かが意図をしてメッセージを送っているというよりは、私のエネルギーが作っている現状から私が何を読み取るかということなのですが、


孤独という現状を受け入れる

痛みを麻痺させないで向き合う

というようなことかなと思いました。


2年間無職でしたが(ヒーラー活動はしていましたが)その状態は自分としてはスローダウン期だと思っていましたし、会社員をしていた時のポジションや年収は形は変わるかもしれないけれど取り戻すものだと思っていました。


でももはやハングリーに動けない自分がいて、そういうチャンスは巡ってこないし、チャンスを掴みに行きたいとも思えない自分。


そうであれば、今の仕事の立ち位置は最高ではないか。

それなのにネガティブな思考でいっぱいなのはなぜ?

身体も痛みを出して前に進ませたくない様子。


と考えると、向き合うべき課題は仕事ではなく、他にあるのかも

と気づきました。


ここまで気づくのに3年かかりました(苦笑)


と言っても、これが最終結論ではなく、まだ先にはいろいろありそうです。

人間関係周りであることは間違いないのですが、孤独を受け入れるのか、孤独を否定するのか、まだわかっていません。

そういう二元論ではないのかもしれません。


今まで私は自分が孤独であることを否定しようとして来ました。

だいたいのセラピーやヒーリングは孤独を解消するような働きかけをしますし。

そんな訳で、なるべく人間関係は、家族や親戚を含めて保とうとしたり広げようとしたりしていましたが、それも実は苦痛に感じています。


兄がいますが、入院するような病気の時にだけ連絡をし、後のコンタクトはしないで欲しいと伝えました。

また90歳を越えた母方の祖母に何かあってもお葬式など行かない旨を伝えました。

父方の親戚からはずっと訪ねて来るように言われていますが、これからも行くつもりはありません。


一方で1人でいるのも苦痛です。

苦痛が少ない方を選んで1人でいるという状態です。


診断を受けた訳ではありませんが発達障害だったり、よくわかりませんがスターシードだったり、色々あるのでしょうが、人間関係がこんなに苦痛なのは、恐らく普通ではないのでしょう。

自分は偏った恥ずかしい人間なのだと思ってきました。


しかし、向き合うと言っても、自分の欠点を暴いて責めたり、矯正するということではないと思っています。


自分の傲慢さや承認欲求の強さ、被害者意識、こだわりの強さ、人間不信など、いくらでも見つけられるネガティブな要素を掘り下げて「反省」もしてみました。でも自分のネガティブな性質を掘り下げるのはグルグル回るだけで不毛でした。苦笑


と、一応ここまで言語化したので、後は無意識にスルーしている痛みに意識して向き合うということかなと。


それでどこにいくかはわからないのですけど。笑

暇になったので、今はそれをやってみます。



最近、自分の生きづらさに自覚的に直面することがあり、今日はそのことについてです。


私がセラピーやヒーリングを受け始めたのは一言で言うと、生きづらさがあるからでした。


色々やり、学びもしたけれど、生きづらさが無くなることはなく、生活の全てで底にある苦痛のような物です。


最近まで、その苦痛は何とかして取り去ることができるのではないかと思っていましたが、それを取り去ることができるという希望を持つこと自体も痛みを生むことがわかり、何かしようとせずに、一緒にいる、向き合うという方向に変わりました。


非二元をベースにしたセラピストさんは、その方もかなり大きな生きづらさを抱えて生きてきた方のようにお見受けしますが、私もあなたも生きづらさは消えないと思うとおっしゃってました。

(それを聞いてその方の絶望感が伝わって来て、たぶん自分のと共鳴して涙が止まらなかったです)


仕事で忙しくしていると、生きづらさはそこまで感じませんでした。

気がつくと1日が過ぎているし、前に進んでいる感もあるし、お金という見える形で返ってくるし、今考えると私はずっと苦痛を麻痺させるために頑張って仕事をしていたようでした。


でも夜や週末、1人になると、直面できない辛さが蘇り、苦痛を紛らわせるためにヒーリングを受け続けずにいられませんでした。


ある時から、もうできないと身体か潜在意識から強制終了させられて仕事を辞めたのが2年半前です。


小田原に引っ越して来て、2年。以前のように働こうと思っても、不思議なほどうまく行かず、今は派遣社員(+自営業をちょっと)をしていますが、見事に仕組まれたシナリオのように感じます。

私が仕事で苦痛を紛らわせようとする限り、どんな仕事もうまく行かなくなるのだろうな。

その辺りをよく見なくてはと思います。



実は先週からゲップが出続けていて、でもそれが何か言語化できずにいました。


突然、話は変わりますが、ミステリと言う勿れというドラマを好きで見ています。

(漫画も電子書籍で買いました)


主人公の整くんのデコボコのある能力、かわいらしさ、繊細さに共感して、パーマをかけたくなったほどです。笑


で、早速、美容院に行ったのですが美容師さんに止められて、少しだけ髪の毛の色を変えるに留まりました。残念… (オチなし)


昨日、ネットで最新話を見ていたら、後半涙が止まらなくなりました。


(注意! 以下、ネタバレ有りです)




虐待された子供がテーマで、心が動かされるストーリーではあったのですが、自分的にはそこまで泣く理由がよくわからなかったのです。

つまり感情的にそれほどつながっていない涙でしたので、私は泣きながらも結構冷静でした。


どうやらゲップを出して来ていた私の中のエネルギーが泣くという形で外に放出されたようでした。


虐待されている子供達を救おうとしてその親を焼き殺すために連続放火をしていた犯人(自分も虐待していた親を焼き殺し、罪悪感に苦しむ)が、唯一、信頼していた人を自分の心の闇ゆえに刺し殺してしまい、その現実に向き合うという、辛い場面。

その場面もとてもしんどかったですが、彼らの辛く罪悪感に満ちた人生も、過ぎ去り、慰めを得られるのだ、と感じた場面で私は泣き始めたようでした。そしてその場面が終わってもずっと泣き続けていました。


(この場面、いくつものメタファーがあるようで、本当にすごいです)



私の生きづらさとは、自分には愛される価値がないという根深いビリーフがあることです。

多かれ少なかれ、多くの人たちが持っているものだとは思いますが。


放っておくと、あらゆる過去のつらい記憶がよみがえり、怒りや悲しみや罪悪感や自分を責める気持ちに巻き込まれて、私の人生は意味があったのか、などと考えてしまうので、そりゃ一生懸命仕事でもして、フタをしておきたくなるだろうと思います。


もしかしたら愛される価値などないかもしれない→ いやそんなことない、なぜなら〜、という堂々巡りをストップするためには、愛される価値などない、から感じられる物を身体で本当に感じ切りたいと思うのですが、一瞬うまく捕まえたと思ったら消えてしまいました。


一瞬でも今は良しとします。

少なくとも向き合えたということだから。

距離感が結構大事です。


そしていつかパーマをww 

髪の色はもう少し変えようと思います。笑









何ヶ月もあけた後の連続投稿です。笑


すぐ前の投稿にコメントをいただきました。

同じように考えている方がいらして力づけられました。

ありがとうございます。


ブログをつらつらと書いていて、私はいったい何をしたいのか、スピリチュアルな探求をしてヒーリングを誰かに提供したりすることをまたやっていきたいのか、と考えたりしました。


自分の考えをまとめるために書いているので、誰かを攻撃したり、貶めるためではないことだけは確認したいと思います。


私の経験や人を観察していて思ったのは、皆それぞれヒーリングやスピリチュアルに求めているものは違うのだなということ。


順不同でグルーピングもできておらず、漏れもありそうですが、こんな感じ。


1) 生きづらさに悩み、何とかしたい

2) ヒーラー自身に興味があり会ってみたい

3) 天使や宇宙人、過去世などの超自然的な世界観が好き

4) 霊障などで困っている

5) 現世のご利益を得たい(願いを叶えたい)

6) 同じ興味を持つ人たちのコミュニティに属したい

7) 人生や命の意味や真実を知りたい

8) 病気を治したい

9) これからの人生の選択の示唆を得たい

10) 人生のミッションを知りたい

11) 受け入れて慰めたり励まして欲しい

12) サイキック能力やヒーリング能力を開発したい

13) 自分の現状や立ち位置を確認したい

14) とにかく話を聞いて欲しい


私自身は、(1)だったり(5)だったりしました。

見た中で結構多かったのは、スピリチュアルが趣味でエンターテイメントという捉え方をしている人たちです。


私は生きづらさがあり、とにかく痛みから逃れることに必死だったので、そういう視点は実はあまりなく、話をしていて何か噛み合わないものを感じていました。


それを指摘して、ある人に嫌われてしまったことがありますが、皮肉ではなく、エンタメ、趣味、全然良いと思います。

そういう方達がマーケットの裾野を広げ、支えている層だと思います。

私のように融通がきかなくて、頑固なこだわりがある人ばかりではマーケットは成り立ちません。


私個人としては、期待されているものを提供できなさそうで困ってしまうところはありますが、ニーズを満たすサービスを提供してくれるところはたくさんあると思います。


ヒーリングを提供する側でも、自分が提供できるものを整理した上で、顧客のセグメント分析をきちんとしてからプロモーションをする必要がありそうだと書いていて思いました。


表面的には恵まれていて何も困っていない人でも、実は心の闇(わかりやすいのであえて使う)が深い人もいるので、セッションをやって掘ってみないとわからないなぁというところ。


エンタメ目的の人は、心の闇を明らかにしたい人ばかりではないでしょうから、やはり期待と違うということになりそう、ということで、結局、私はいったい何を提供できるのか、したいのか、明らかにしないと…ということなんですね。


ヒーリングセッションの提供を諦めたわけではないのですが、前ほど無邪気にできないというか、上に書いたように、自分がどんなニーズを持った人にどのツールを使って何を提供できるのか、もう少し考える必要がありそうです。


たぶん沈黙セラピーよりは色々やることがあった方が良いだろうなと漠然と思っています。笑


いつかの夕暮れ


久しぶりの投稿です。


古民家の冬は予想通り寒く、エアコンと電化製品を同時多発的につけてはブレーカーが落ちるということを繰り返し、とうとう灯油ストーブを導入しました。



早く春になって欲しいものです。


12月から始めた派遣社員は、ひとまず順調です。

週1日隣町のオフィスに出社していたのが、コロナでフルリモートになりましたが、プレッシャーもストレスも長時間労働もない、極めてヘルシーな状況です。


と思えるのは、自分の視点や立ち位置が変わったからと実感しています。


それでも思考過多な私は、これからどこを目指してどのように頑張れば良いの?などと思ったりして、


いる場所に安んじる


というマインドフルな状態を保つのが難しい…などと思ったりしていますが、そんな自分も受け入れようと思います。


夏に色々あってから、私の中で価値観が大きく変わりました。

神様、ハイヤーセルフ、天使、アセンデッドマスター、ネガティブな霊的存在などなど、いわゆるスピリチュアルな超自然的な存在は人間の主観、イマジネーションの産物に過ぎないのだということを実感せざるを得なくなりました。


人間の感情や発するエネルギーは強いので、イマジネーションでも物理的な現象として現れることはあると思います。


でもそれだけです。

とは言え侮れないパワーがあると思いますが、それだけ、と気づくことで振り回されることがなくなりました。


これは、ある人がガイドが言っているという言葉と、自分が筋反射で取った同じ存在の言葉が食い違っていたために、少なくとも言葉を受け取り、発する人間(私も含め)の主観の影響を多大に受ける何かなのだなということを学びました。

それは主観そのものと言っても良いのかもしれないというのが今の私の感想です。


ネガティブなエネルギーも、自分の外ではなく中にあって、向き合えば消えることがわかりました。

痛みを感じたくないので向き合えなかった(今も完全とは言えない)のが、受け入れることで向き合い、消えてみれば特に怖がることでもなかったと思えます。


前にも書きましたが、スピリチュアルで自分以外の何者かになって奇跡を起こす、運命を変えるというのは、全員に可能なことではありません。

奇跡と思われることも、たまたま起きたことをその前に受けたヒーリングと結びつけられたことが多いのではないかと思います。

少なくとも私に望むような奇跡が起きたことはありません。


世の中に色々なヒーリングがある中で、キネシオロジーはなかなか面白いなと今でも思っています。

自分でいうのも何ですが、私の筋反射は私の潜在意識をかなり正確に反映します。

筋反射で、カードを引くとあまりにも自分が考えていることや、望んでいることが出てくるので、もはや引く必要がないほどです。(自分の考えていることはカードを引くまでもなくわかるから)


ただ筋反射では自分のエゴを超えられないので、キネシオロジーでの自己ヒーリングをやらなくなりました。

上と同じく、自分のエゴは自分でよくわかっているので、結果がわかってしまうからです。


ただ瞑想の中で自分から上がってくるエネルギーを見つめて受け止め手放すことをやっています。

何となくそれに見合う現実が生まれてきている気がします。


人からヒーリングを受けるのも1つを除き止めました。

ヒーラーさんが人間である以上、自身の先入観や価値観を超えられないとすると、自分のことを理解できるのは自分しかいないということがよくわかったからです。


そもそもヒーリングに何を求めるかですが、自分以外の誰かになる、奇跡が起こることへの期待ではないとすると、もうあまり受ける意味がなくなりました。


1つ受けているのは、沈黙セラピーと私が勝手に呼んでいるセラピー(?)で、セラピストさんとオンラインで向き合い、ひたすら沈黙して瞑想するというものです。自分と向き合うという意味でとても面白いです。


所々でセラピストさんとお話ししますが、非二元のお話をしたり、生き急がないで今を生きるように諭されたり、その短いトークもなかなか良いのです。


友人には受ける人を選ぶと言われましたが、確かに、ヒーリングに受容を求める、超自然的なストーリーを求める、エネルギー浄化を求める、インナーチャイルドの癒しを求めるなど、一般的なサービスはあまり受けられず、沈黙しているだけなのは、なかなかラディカルです。


それでも中から上がって来る自分のエネルギーを感じ、受け止めるということを私は日々やっていて、人とやることでそれを深めることができ、価値を感じています。


それは、号泣したり、感動があふれたり、価値観の大変化が起こるようなセッションではないですが、日常の延長で自分を深め受け入れる、しみじみとした温かさを感じるセッションです。


今の私にはそういうサポートが必要なのだと思います。(もうなくても大丈夫かもしれないけど😊)



春の兆しはすぐそこにありますね。

ゆっくり楽しみながら行きたいと思います。

皆様もご自愛ください。