教人
宗教において教える人
説教を説く人
私の人生柄、神仏両方の方と関わりがあった。
その結果、一つの宗教、宗派に属する事は出来ないと悟った。
普通、西洋の神様を信仰する人は仏門には入らない。
逆も然り。
生まれながらの神教徒の家族にも言われてきたし、そもそも日曜日は固定で教会へ行くし、寺院や仏閣にはあまり行って欲しくない。
神様を信仰しているのだから云々。
日本の寺院、神社が好き。
造りが好き、風景が好き。
それを抑制されるのは私にとってよくない事だった。
様々な出来事を経て、現在は教会とは縁がない。
遠ざけたのは自分の意思。
だからと言って仏門の教えを乞いに戸を叩く訳でもない。
どちらの教えも苦手な部分もあり、好きな部分もある。
どちらか一方を優遇する事もなし。
自分に必要であると思えば、自ずと足が向く時が来るだろう。
心の支えにする事は賛成、頭からつま先までどっぷりつかる事はお勧めしない。
特に献金などと称して何度も金品を献上しなければならない宗派は特に。
何か一つに没頭すると言う事は、一家離散も紙一重と捉えて間違いではないと思う。
様々な教えは、人生において大切であると言える。
先人達が歩み遺していってくれたもの
教えとは、きっと今を生きる人達にとっての道標にもなり得る物だと思う。
一つの固定観念に縛られるのは少し勿体無いほど
世界は広い
激動の時代を経て
今のんびりと受け継がれていく
先人達の様々な教え
受け継ぐ後継者の現代人も緩やかに
穏やかに教えを乞うて守るべきものは守っていければいいのかなと
ふんわり思っている。
そうして、たまに自分と少しだけ違う景色の中を生きている人達の言葉を聞くと面白い。