おもうこと
いやだなーーーーーっ
とはまだ思わない。
ただ、家にいたいとは思う。同じようで違う感情。
家に居られる時間は自分で調整すれば自由になる時間が沢山ある。会社に行けばフルでその時間はそこにいなければならない。
やりようなんていくらでもあると思うが、社会人不適合者と言って過言では無い自分が何故進んで外へ働きに出るのか。
問いに対する答えなど簡単だ。
特別な知識も無く、PC一つで稼げないから。
肉体を酷使しても毎月決まったお給料頂けるのはありがたいわけで。
生活していくお金が厳しいから。
昨今の物持ち貧乏とはよく言ったもの
細かく言えば、家計の手綱操作がド下手でその癖あまりにも酷い浪費癖が治らなかったから。
働く事に生きがいややりがいを感じていたのは前の事。
福祉の世界には、助け手として関われるなら幸せだと思っていた。
齢を重ねた大先輩と話をしたり、触れあったりする時間はとても楽しく色々な事があったけど無くてはならない時間だったと思う。
また、父が存命の間に、投資の事を一緒に勉強しようと言われていたが当時はそんな事に興味が無く不労所得を目指すならやらなきゃね、いつか。あまりにも軽く空気のように思っていた。
今となって、その必要性に気が付かされるとは。愚か。
更に、貯金癖から一転浪費癖へと走ってしまったのは好きが高じて歯止めが効かなくなったから。
ギャンブルに足を突っ込んでいたのも大きな大きな要因の一つ。
浪費癖が始まると坂を転がるように貯金が崩れた。
総崩れ。
順調に貯金癖のまま生きてたら家なんてとっくに建てられてた
夫と二人で働いて十分暮らしていける額はお給料でもらっていた。
にもかかわらず、旅をしていいご飯を食べて、欲しいと思うモノには手を伸ばす。
良い暮らしだったかと言われたら、贅沢をしながら日頃のうっぷん晴らしに精を出していたにすぎないのではないかと思う。
ストレスと浪費は=が強く結びつきやすい。って事だけは学んだ。
幸せ基準の未来視
良い暮らしとは何かを、今まさに考える。
贅沢する事はご褒美としてモチベーションアップを狙えるだろう。
しかし、それは一時に過ぎない。
例えば、旅をしたら一時最大の癒しを得られる。
何物にも代えがたい思い出と記憶、絆の深まりなどを得られる。
それでも、一種の渇望にも似た物を癒す事が出来ない。
お金があってもないないと嘆く
沢山の物に埋もれながら
その日食べるに困っているわけではない
冷暖房完備の自宅がある
あたたかくして眠れる布団
季節毎に替えのきく衣類
清潔なタオル
雨風凌げて自宅にて災害に見舞われた時の為の食料備蓄もある
移動の足も、連絡する為の小さな最新テクノロジーも
こうして更新するためのPCも
靴も時計もバックもペンもある。
それでも、ないない足りないと嘆くのだ。
毎日どうしようと口癖のように言ってしまう。
これには結構まいった。今も正しくお金と向き合えているとは言えない。
あれだけ美味しい物を食べて
あれだけ良い思いをして
あれだけ幸せだと感じたにもかかわらず。
一瞬で過ぎてしまった思い出が「ああ、とても良かった」という幸せな素敵な気持ちを感じさせてくれると共に「うわ~~~~また行きたい、直ぐにでも行きたい」と噛り付くように思ってしまう。
自分の望む時間の中で、幸せだと思う瞬間なんて日々そこらじゅうに散らばっているのに目もくれられなくなる。
そんな悪癖をちょっとは何とかしたいのだ。
本日の脱線癖は特に酷い上にまとまりぜーろー
やけん、未来の展望やゴロゴロっとして散乱した事柄を書き出すと少し気持ちが前を向く。
書き出しと終わりと誰?ってことよくあるある
綺麗な空も景色も眺めているだけでも幸せだ
世の中お金があった方がササ―ッと解決できる事も多いけど
幸せを感じる事はお金沢山とかそういう事ばっかりじゃない。
描いた事全て叶えられる程器用じゃないけど
未来を想像して羽ばたく準備をしていく事もとても幸せで楽しい時間だ。
出来ても出来なくてもやりたいチャレンジする事を辞めたくない
どっちにしろ欲張りだなぁ
一年後はどうなっているだろう
このままなのか、亀の歩みで少しずつ変わっていくのか
楽しみだね