の定義

 

 

 

難しいよな。

だって辛くてもエンジン掛かると動けてしまうし、辛いなぁっていうのも分かりにくくなって次第に無くなっていくから。

感覚が鈍磨すると言うか、なんていうんだろうね。

 

 

 

体からのサインと言えば、放心して物事がてにつかない?

寝不足?

他の事はぼんやりと出来るけど、やらなければならない事に限って脳が動くのを拒否するとか。

 

 

そう言うのが目立つようなら脱力する時間を作ろう

出来ない

時間ない

1日48時間くらい欲しい

 

 

 

分る

非常に良く分かる

 

 

 

大人になると取捨選択

常日頃繰り返し

色々な事をやったりひとまずおいておかなければならない。

それは、夢見ていたものを諦めたりという現実もある。

 

 

 

 

もー全部わかんなくなったらとりあえず大の字で寝っ転がってみるかな。

やらなきゃ

やらなきゃ

どうしてやれない

どうしてやらない

 

 

 

うまくいかないとこの言葉を思いがち

 

 

無視し続けてると分からなくなる

鈍くなる

それで得られるものが自分の本当に欲しかった結果ならばいいかもしれない。

でもそれ、命削ってまでやることか。

 

 

育児に対して、介護に対して同じ言葉が簡単に言えるかといえば違うのかもしれないが

日々その中に身を置いている人だって、大の字になる時間あってもいい。

 

 

一人でやらなきゃどうにもならない事はあるのかもしれない

踏み台から空へ飛ぶ前に

眼下の光へ舞い踊る前に

 

 

助けてと言えば動いてくれる人がどこかにいるから忘れない

 

 

 

 

 

辛さは本人でないとわからない

わからないけど、話を聞くくらい出来るかもしれない。

根本的解決は自らで導かなければならなかったとしても

もしかしたら少しだけ寄り添う事は出来るのかもしれない

誰かに褒めて欲しい

誰かに認めて欲しい

家事や育児や介護、他にも家族のためにと動いている事

ありがとう

助かったよ

と言って欲しい

一言あるだけで救われる

頑張りが認められた気がする

 

次を向けるかもしれない

こんな事を思う自分は浅ましい?

そんな事はない。誰もが思っていい事だ。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

行ってみようと連れられて行った社内から見上げた空

緑と白と青

なんか綺麗だなって思う。

その帰りにみた夕日は境界線を曖昧にするほど美しいオレンジだった。

夕日眩しい時間もあるけど綺麗だな。

 

 

 

無理をしないで

挨拶言葉にすら使われるものだけど

その定義付けなどは非常に難しい

おーっとなんだかな???

を察知出来たら家でも土手でも大の字なってみようと思う

そのまま寝てしまってもいいしね。

 

 

と言う訳で今日は寝っ転がろう

うちの場合は猫と一緒に