今は

 

 

昔は、知り合い全てに出していた

上手くはないけど、手描きでイラストを添えて書くのが楽しかった。

 

 

 

今思うと、ステータスにしたかったんだな。

一枚も貰えないのは寂しい、恥ずかしい・・・

これだけの人とやり取りがある自分て寂しくないな。恥ずかしくないな、惨めじゃないな。

だから、やたらめったら自分から出していた。

100%返信があるから。

因みに、アドレス帳を作っても作っても無くすから、毎年時期が近づくたびに『名前と住所念のため教えてください』

と連絡する困った奴だった魂が抜ける

 

 

 

今は、真逆をいく。

 

 

 

2020から2022年にかけて気が滅入る程忙しく年賀状なんて書く余裕ゼロ。

私からアクションを起こさなければ、向こうからは来る事がない。

それにいつ頃からか気が付いてから、今までばら撒くようにして出していた100枚近くの年賀状は年々数を大きく減らしていった。

企業がお得意様に出す挨拶でもないのに、すこぶる無駄な労力を数時間もかけて何がしたかったのかしらね、今までニヤニヤ

 

 

いつぞやの年賀状だか、夏の挨拶から確実にもう連絡しないでいいと思った大勢には『これにて』と書いてさようならした。

随分スッキリとしたものだ。

全くの相手から延々と手描きを送られても迷惑やろうて。

律儀に返してくださる人の方が多かったけど、逆に手間増やして申し訳なかったわ。

 

 

 

 

やり取りのない人と無理に縁を繋いでおこうとしない。

というか、一方的な糸は繋がらず自然と切れる。

こういう方がしっくりくるかな。

 

 

 

故に、今の私の周囲は人が少ない。(いや、元々決して多くない。

親友と呼べるのは一人だけ

大切にしたいと思う親族も限られている

愛猫は比べる事もない程大切な位置に君臨してるので言わずもがな。

 

 

 

 

 

  大丈夫

 

 

やたらと人と繋いでいないと

と焦っていたのは、人と繋がっていない(ひとり)ぼっちは恥ずかしく惨めだと思っていた。

どっかの輪の中にいないとどっかから来る疎外感に潰されてしまいそうになる。

 

 

 

私は人付き合いが苦手だ

 

 

 

その自分をひとまず私自身が受け止めておく。

これでいいのだと。

だから、大丈夫。

 

 

 

無理しない

と決めて一先ず出さないでみたら、ほとんどの人とは縁が切れた。

それでも、手書きの『元気にしてる? そっちはどう?』とメッセージまで書いて送ってきてくれた人が数名いて驚いた。

 

 

縁は不思議

一見、不必要な縁

『こんな奴』な縁

素晴らしい良縁

色々結ばれるタイミングはあるが、全て自分の糧となる。

どんなカタチになったとしても。

悪しも良しも全て。

 

 

自然に結ばれ

多くの縁は自然と切れる

またゆらゆらふわふわと揺蕩って、時に強い強い生涯の縁が結ばれる事もある。

 

 

 

綺麗な小川のようにさらさらと流れるように自然に任せてみるといい。

 

 

 

結ばれてすごく辛く、苦しい縁もある

そんな時には出来るなら自分からバッサリ切ってしまうのもありなのだ。

反対に、結んで嬉しい縁もまたあるのだから。

 

 

 

2023年の年賀状は片手で収まる

すごい身軽になったなと、来た年賀状のあたたかな文字を眺めた。