今夜の独り言
人が人に期待値を向ける時
差分がそこには存在する
認識の差
価値観の差
それらは時に牙を剥く
妻から夫へ向ける期待値
夫から妻へ向ける期待値
我が子へ向ける期待値
子から親へ向ける期待値
他人から向けられる無意識の期待値
他人へ向ける無意識の期待値
期待値に値しない行動を『そうなんだ』と飲み下せる場合
と
期待値に値しない行動を『何故なんだ』と怒りを灯す場合
これらにはどういった違いがあるのだろう。
何故自分以外に期待値を持つのか
ああしてほしい
こうしてほしい
自分はやってるのにあなたがやらないのは何故
口に出さなくても行動してくれたら楽なのに
全て出来る訳もない事
日々には沢山の事があって全てをこなす事は出来ない
特に私のような人間は諦めないと食らいつきたいがそれを脳は拒否する。【本当はそんな事出来ないよ】と囁くばかり。
自分への期待値は底にある
底と言っても暗く無い。
底から見上げる景色を表現すれば透き通った浅瀬色の水面が広がっている。
光が上から降って来る様が美しく、揺れる水面はキラキラとしていてとても綺麗。
水面にも度々上がる事がある、そこは更に綺麗で夢も希望も詰まってる。
けど、そこに自分は辿りつけないのだろうなぁと思う。
自分への期待値は低い。
伸ばしても届かない、伸ばし方が分からない。もがいているフリしかしていないのかもしれない。
学習する事が苦手で、何度体感しても習得出来ない事が多いから人よりも倍以上の時間を有するから。
自転車を勢いよく漕いだ後、カラカラと音を立てて空回りしているような人間だ。
それでも夢は色々と見るのだし、諦められない事が沢山ある。厄介だなぁ。
9月の終わりに期待値について思い至り、自分へは多少期待値を上げてみてもいいかもしれない事と、他人への期待値はハードル1センチにしておいた方が楽だ。
自分に出来ない事を、他人に任せて期待してるよなんてね。
言いたくないし
自分への期待値は少し上げて、それから追加で希望値も揺り起こしておこう。
直ぐに出来なくてもいいから
未来への希望値は旗立てしておく
そこまで行けても行けなくても、通った過程は力になる