ちぐはぐを感じること | 雪の上に照れる月夜に梅の花

雪の上に照れる月夜に梅の花

雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

お昼過ぎにテレビを見ていた。
 

普段あまりテレビを見ないのだけど、最近はNHKBS1で私の好きな人体シリーズが再放送されていて。
すると、テロップが。

「東京都の今日見つかった新型コロナウイルス感染者が243名に」と。

一昨日あたりから一日に発見される患者数が三桁になりつつあったけれど、小池知事が一日の検査数自体が以前よりかなり増えていると言っているし、歓楽街を持つ新宿区ともう一つ?くらいの区は、コロナ患者あぶり出しのため?か、コロナのPCR検査を受けて陽性ならば無症状でも一人10万円の見舞金がもらえるそうで(給付金以外に)、歌舞伎町のホストさんたちがわりと積極的に検査を受けるようになったからだという話もある。

ステイ・ホームを止めたら第二派が来ること自体は想定内だろう。

これから東京都はどう対処していくのかだな~と思ったりしていた。

 

 

そんなテロップを見てしばらくして、Twitter上に「ToGoトラベル キャンペーン」

 

 

というのが流れた。

 

 

???

 

キャンペーン自体は7月22日開始だが、「このコロナ患者がめちゃ増え始めたときに???」と思った人が多いのではないだろうか。

これでは「日本の政府の対応はなんでこんなにちぐはぐなの?」という印象を受けた人がかなりいると思う。
ニュースを出すタイミングのあまりの悪さというか、ワーストでちょっと驚いてしまった。

 

 

今、日本の観光業が苦しんでいるというのはよくわかる。

私の住む奈良県も、普段は国内外からの観光客で観光地はごった返しているからだ。

観光客、特に外国人の団体観光客がいなくなった大仏殿や春日大社。

私の実家は大仏殿や春日大社に歩いて行ける位置にあって、子どもの頃の私は鹿しかいない奈良公園の中や奈良町と呼ばれる市街を通って学校に通っていた。

今の奈良公園は私が子どもの頃のようなのんびりとしたのどかな雰囲気を取り戻していて、とてもとても懐かしく、そして美しいです。(単に寂れているだけともいう)
 

最近の奈良市は観光客の多さの割には地元が全く潤わないことが悩みの種だった。

「奈良市内で宿泊せず、観光バスでやってきて駆け足で観光し、大阪や京都で宿泊してしまうからだ」

そう理由を分析し、大きなホテルが市内にほとんどないことが問題なのだと言い、大型ホテル誘致に懸命になっている。

だけど、私は知っている。
昔あった大きな旅館が次々に廃業してしまって、こんな状態になっていることを。

以前は交通の便が今より悪かったからだろうが、修学旅行生はだいたい奈良で一泊していたものだ。

奈良は京都をいつもいつも羨ましがっていた。

内外からの観光客かいつもいっぱいで、みんな宿泊してくれる京都を。

ところが……。

このコロナ禍、京都は財政が苦しく、地元の企業へのコロナ禍での補助金を出すのに苦しんでいる。

京都はあんまりお金持ちではなかった。(江戸時代のお公家さんみたいだな)

海外からの観光客の急激な増加は京都を全く潤してくれてはいなかったらしい。

舞妓さんたちに対する非礼な態度(急に写真を撮る、着物や髪や体に触るなど)は有名だが、祇園のようなかつての高級茶屋町にとってはそれらはむしろ営業妨害でしかなかったようだ。

日本の観光収入で外国人観光客によるものは実は20%しかないということを、私は今回初めて知りました。

「20%しか」と読むか「20%も」と読むかは人それぞれかもしれませんが、奈良、京都、大阪が生活圏の私にとっては、あんなにたくさん、それこそ地元民が引くほど大挙して外国人が押し寄せて来ているのにそれだけ???という感覚でした。

京都の人たちは、結局は日本人観光客を呼び込まなくては駄目なのだと思っているんじゃないかな。

日本人の京都離れ、最近なんとなくありましたものね。

そう考えると、奈良も外資系の大きなホテルではなく日本人が好むような旅館を誘致すべきでしょうね。

 

だから、観光地が日本の国民のみなさんに旅行で来ていただきたい気持ちはとてもわかります。

観光業のためには「GoToトラベルキャンペーン」はありがたいのだろうなとは思うけど。
でも今はちょっと時期尚早かなあと。

今キャンペーンするなら近場限定の旅行を盛り上げるべきじゃないかな。

たとえば、私なんて近すぎて京都に泊まったことがないのですよ。
すごくすごく京都に泊まってみたいのだけれど、絶対帰れる距離のところに泊まるのは最高の贅沢なのでもったいなくて出来ないのです。

県内や隣接する府県へのお泊りに助成金が出たら、私、絶対行くのになあ。

足の悪い母を、京都の風呂付客室のある旅館に連れて行ってあげたいなあって思ってて。

京都くらいなら車でも楽で行けるし。

半露天風呂になっていて素敵なんですよ。妹たちも一緒に一回みんなで行けたらいいのだけれど。

 

 

さて、奈良の鹿のお話に戻りましょう。

コロナ自粛が始まったとき、テレビのワイドショーで、奈良公園の鹿が鹿せんべいをもらえずお腹を空かせてしまい公園から市街地に出てきているという報道をしていたようですが。
あれを見た奈良市民、「なんも奈良のことを知らん人がニュース作ったはるねんな」って鼻で笑ったよねw

奈良公園に溢れる観光客、道路に連なる観光バスがパッタリといなくなり、広々とした奈良公園が目の前に現れたら、鹿だってウロウロとしやすくなるし、ついつい市街地にまで来てしまう群れもあるとは思います。
でも、違うんですね。

市街地に来たって、鹿は餌を見つけることはできないのです。

奈良市民は決して鹿に餌をやったりしませんから。
奈良公園の近くに住む人たちは鹿が野生であること、鹿が怖いことをよく知っているからです。

大人の鹿は♂は100キロくらいありますからね。

道路で鹿と接触事故なんて起こしたら最悪です。バイクは絶対吹っ飛んで人の方がケガするし、軽自動車や小型車は間違いなく凹む。

鹿は近所に居付かれては困る、早くお引き取り願いたい存在。だから絶対餌なんてやりません。
昨日のNHKの奈良放送局のニュースで、このコロナ禍の観光客の激減で鹿の生態に変化が出たと言っていました。

今まで観光客に鹿せんべいをもらうべく日中奈良公園にいた鹿のうち既に三割ほどが春日奥山(三笠山や春日大社の裏にある原生林の山々)に餌を求めて移動していて、奈良公園の鹿が減っているそうです。
そりゃそうですね。奥山には餌になる植物がいっぱいあるもの。
そして、奈良公園にいる鹿たちをよく観察すると、人が減ったのでのんびりできるようになったらしく。

お気に入りの木陰で座って食べたものをゆっくり反芻している個体が増えたらしい。

鹿も牛のように食べたものを反芻するのが普通。
……ということで、奈良公園の鹿の健康度がすごく上がっているので、来年はベビーラッシュかもしれないらしい(生態を研究している大学教授談)

 

 

さて、コロナですが。

感染者はかなり増えていますが、東京都の新型コロナ感染症対策サイトの都内の最新感染動向では、現在の重症者はたったの5人でした。

 

 

 

 

……これは。

コロナはそんなにめちゃくちゃ恐れるべき感染症なのだろうか?と疑問に思う数字ではないでしょうか。

今日は、話題のインフルエンザの特効薬アビガンを新型コロナに転用してみても有効性は確認できなかったというニュースも流れましたね。

アビガンは催奇性があることが分かっている薬。

なのでかなり気を付けて使わないといけない薬ですから、安倍首相が「五月中に承認」とおっしゃったときは「ちょ、ちょっと待って!」と強い危機感を覚えました。

でも、重症化することが稀ならば、そんな危険な薬をあわてて承認することは、はなからないわけです。

よかったです。

 

ワクチン開発の話もありますが、そもそもワクチン必要なのかな。
ワクチンも特効薬も開発しても、重症になる人が少ないとその後採算が取れないのではないか?

 

ニュースで東京都で感染者が増え20~30代の若い人が多いと言ってますが。

それ、あたりまえじゃないか。

そもそも、この社会の経済を労働力という形で支えているのは圧倒的に若い世代なのですよ。

既にリタイアした年寄りは、若い人たちの労働力と彼らが稼ぐ賃金から差し引かれる年金や保険料で生かされているのです。

若い世代が疫病が流行っているのが分かっていながら外に出て働いてくれているから経済が、いや、社会そのものが持ちこたえている。

年金もらって家にじっとして生きていることが出来る年寄りが、外に出て働き社会を支えてくれている若い人たちが感染することをどうこう言えてしまうような形で報道することは、情報操作ではないのかなと思います。

それはミスリードになりませんか?

 

 

 

アメリカはどうなっていくのでしょうね。

あの暴動で思ったこと、それはアメリカ人は自国の歴史を学校でいったいどう学んでいるのか、そして愛国心とはという疑問でした。

日本に住む日本人の私は日本にいる限り人種差別問題を自身の問題として直面することはありません。
デリケートな問題なので、おバカな私が口をはさむべき問題ではないですね。はい。

まあでも難しいのかな……。
日本でも長州側が「歴史は水に流して仲良くしよう」と言ったら会津が「仲良くするのはいいけど水に流すのは無理」と言った話、何年か前にありましたものね。

でも、なんだろ、アメリカに対する夢?みたいなの?

アメリカの教育の良さを真似したいと、ここ十数年、日本は高校や大学入試の改革を進めてきたように思うのですが、ここ数年のアメリカの様子を見ていたら、日本の教育ってそう悪くないんじゃないかなと思う部分も見つけたりして。
 

アメリカは最近の様子ではとうの昔に「世界の警察官」的なものは捨て去ったことは確か。

 

 

最近の私は、とうらぶのおかげで日本の文化と歴史の面白さと深さにすっかり目覚めてしまいまして。

 

「絶対の正義」なんてこの世にありはしない。

でも人それぞれの「義」は間違いなくある。

自分の義を守りたければ、他人の義は認められずとも見て見ぬふりをすべき。

 

そんなことをニュースを見ながら、Twitterを見ながら、そして二次元や二次制作や2.5次元の界隈を見ながら思ったり。

 

 

 

 

 

 

なんだかまとまりがありませんが、最近思うことをつらつらと書きならべてみました。