楽しみにしていた刀ステ、観てきました~♪
関西地方は先日結構大きな地震があって、大阪の震源地のあたりはやはり大きな被害があるのですが、刀ステの会場のある京都駅付近~京都府の南側もわりと強く揺れた模様で。
すごくラッキーなことにチケット取れたのに、再び大きな地震が来ないだろうかとか。
それで公演中止になったら悲しいよ、でも万が一電車が止まったらどうしようかとか。
当日は大阪の仕事場から震源地付近を通って京都に向かわねばならないのもあったし、実母が体調崩して一時入院したりとか、なんかもう「頼むわ、神様~」と祈るような気持ちでこの日を迎えました。
そして、久々の京都は暑かった。もう夏でしたよ。
さて、今回の会場の京都劇場。
JR京都駅に隣接しているので便利なんですけど、駅の利用者に迷惑にならないようにとか、近隣の飲食店に苦情言われないようにとか、劇場側がいろいろ思っているんでしょうね。
立ち止まると叱られます
そっか、ならばもう開場時間だからと劇場に入ったんですが、開場と座席に座れる時間が違う?!
そんなの私、初めて経験しました。
劇場ロビーで待たされて、開演30分前にやっと座席へ。
トレーディングに全く興味がない私たちにはロビーで待たされるのがとても退屈でした。
そんなこんなで、イメージがさらに悪くなった。
それならばチケットにそう書いといて欲しい。
暑かったし、仕事ギリギリ切り上げて急いで行ってるんだから。
30分あったらスタバとか京都駅のあの大きなミスドで休息できたんだからさ。
実はそもそもここはあんまり好きじゃないホールなのに、なんだかホントに嫌になりました。
私たちは二階席だったんですが……。
公演中、ずっと出入り口にスタッフが張り付いているのが見えてとても気になった。
そういうの、初めて見たので。
多分ね、前に刀ステの関西公演で、客席の通路を使う演出のとき、それを狙って外に出て、準備しているキャストに近づこうとした人がいたそうで、それを防御するためだったんだと思うんです。
でも、なんかちらちら目の端に入るのでとても気になった。見張るならドアの外で見張ればいいのにと。
あ、私、厳しいですよ。
薄桜鬼ミュージカルでスタッフに2.5次元以外のフツーの観劇ではありえないとても失礼な対応されたことありますからね。(この劇場ではありませんが)
2.5次元だからって客を莫迦にするなよ。
そんなこんなで。
そしていきなり上演が始まってびっくりした。これも京都劇場仕様なのか?
ああ……東京の明治座とか青年館ホール、うらやましいなあ。
まあ、そんな会場への不満はここまでにして。
(音響イマイチ←コラッ)
さて。あらすじ。
……と言いたいところなんですが、ホント、とても複雑で、正直一度見ただけではよくわからなかった
これ、全部わかるには、多分今までの刀ステをかなりしっかり観ていて、その上でかなり柔軟な頭脳の持ち主でなければ無理ではないかと思う。
私は刀ステは、燃ゆる本能寺は円盤があるので数回観ていますが、その再演は観ていません。
義伝はライビュで観ただけ。ジョ伝は配信で第一部は見て、第二部はじっくり観られず流してみただけ。
……今から思えば、ジョ伝の二部をちゃんと観られなかったのに放置したのは、私には難しくてよくわからなかったからだと確信しました。ジョ伝、全く内容覚えていない
そして今回。
やっぱり私にはよくわからなかった。
閲覧注意
内容にあからさまに触れています。
いいですね、警告しましたよ。
読んでから知りたくなかったというのはナシですからね。
よろしいでしょうか。
ではいきます。
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刀ステ独特の世界観があるのはわかった。
それに観ている側が共感できるかどうかなんですよね。
でも私にはできなかったんです。残念ながら。
だから、いろんなことに疑問ばかりが頭に浮かんで、Fantasyとして楽しむという境地に行くことが出来ないままに終わってしまいました
歴史上の人物として出てくる足利義輝。
永禄八年の永禄の変で、足利義輝は、京都の二条御所で三好三兄弟らに襲撃され殺害される。
……このあたり、舞台上のスクリーンでの文字での説明。
だけど、京都劇場の二階席からだと文字の上側が見切れてしまって、読みにくかった。
足利義輝はどうも、彼の出世欲を利用した時間遡行軍と歴史を守ろうとする刀剣男士の戦いに何度も何度も巻き込まれているらしい。
そのたびに彼は負けては死に負けては死にを繰り返しているようで、その自覚もあるらしい。
刀ステはこの「時間がループする」というのが特徴ですよね。
暁の独眼竜では、刀剣男士たちは伊達政宗の甲冑の付喪神と戦い、勝つまで延々時間をループして戦っていたような記憶が……。
あれ?あのとき鶴さんなんで闇落ちしたんだっけ?
甲冑の付喪神に乗り移られちゃったんだっけ?
そして、鶴丸国永を斬らなくてはならなくなったんだったか?
んじゃ、なんで鶴丸国永は助かったんだ?鶴さんの精神力?
忘れちゃったよ……
だけど、暁の独眼竜を観たとき、非常に盛り沢山の伏線を張っていて後半大急ぎでそれを回収しそれなりにまとめてはいるなとは思ったものの物足りなさというか、「ん?なんか中途半端で終わった気がする」という感想を持ったのですが、それって、あれが終わりではなくて、本当の終わりは今回の「悲伝」だったんですね。
ということで、第一部であの時間のループの理由が示唆され、第二部でそれによって起こる結果が示されて行きます。
示唆なんで、人によって解釈が全然違うと思います。
あくまでも私の思ったところですので、ご了承ください。
「鵺(ぬえ)とよばれる」という人物が出てくるのですが、彼は、足利義輝が持っていた沢山の刀剣の集合体。
足利義輝を死なせまいとして、強くなるために刀剣男士と同じく時間軸をめぐり戦って修行している。
沢山の刀剣の複合体であるために「心がからまっている」
三日月宗近はとある時代で「鵺とよばれる」に出会い、元は足利義輝の刀なのだから一緒に義輝さまを助けよう、歴史を変えようと誘われるが、三日月宗近は今は自分は義輝の刀ではないと断る。
しかし何故か三日月宗近はこの「鵺とよばれる」を始末せず、わざと逃がす。
そしてその場面を燭台切光忠に見られてしまう。
敵をわざと逃がした三日月宗近の真意を測りかねて悩む燭台切光忠。
時間遡行軍は三日月宗近が時間遡行を繰り返すことにより「結いの目」を作ってしまうことに気が付き、その「結いの目」の発するパルスから本丸の場所を突き止めてしまい、本丸を襲撃してくる。
その戦いの中で、燭台切は三日月宗近がやはり自分たちを裏切っていると思い刃を交えるが、三日月宗近は燭台切を傷つけてしまう。
審神者は全力を振るって時間遡行軍を本丸のある時空間からはじき出す。そのとき三日月宗近は「鵺とよばれる」の誘いに応じて一緒に行ってしまう。
骨喰藤四郎と大般若長光も三日月宗近を追って共に行く。
ここは、三日月宗近は行くだろうなと思った。
だって、三日月宗近があの本丸にいる限り、彼の作った「結いの目」と発するパルスで本丸の場所を特定されてしまうってことなんでしょ?違うのかな?
だけど、なんの葛藤もなく骨喰と大般若が実は追ってきていたというのがもう驚きというかご都合主義というか。
三日月宗近の存在により本丸の場所が特定され、三日月宗近は姿を消した。
そして三日月宗近は燭台切を傷つけた。
審神者はときの政府の指示に従い三日月宗近を刀解することに決める。
山姥切国広たちは、もし抵抗するならば三日月宗近を折る決意で、三日月宗近を追う。
遠隔操作というか、審神者の念を送って刀解するんだね。
三日月宗近みたいな神威が高そうで霊力の強そうな刀剣の付喪神を、時空を超えて念で刀解出来るなんてすごいね、刀ステの審神者の力……。
時間遡行軍と共に三日月宗近たちがはじき出された場所はやっぱりまた永禄八年の永禄の変。
「鵺とよばれる」はここで足利義輝に「ほととぎす(時鳥)」という名前をもらう。
彼の中に存在する沢山の刀の心は絡まり合っていたけれど、名前をもらったことでどうやら心が一つに定まったらしい。急にフラフラとした感じがなくなり、しっかりした。
時鳥は足利義輝を助けようとするけれど、力及ばす滅びる。
物語の序盤に三日月宗近のことを「ほととぎす」と思わせるところがあった気がするんだけど……。
あれ?わかんない。
ここで……足利義輝は刀剣男士たちの正体を知っているんですね。
そして刀剣たちは人である足利義輝と何の躊躇もなく話すんですね。
そして、刀剣たちに足利義輝は自分の野望を遂げるのに協力してほしいという。
なんかもうよくわからん……というのが正直なところで、いろいろ消化不良。
結局、足利義輝は負けて、そして殺される。
刀のままの三日月宗近を使うことなく。
が……、まだ息があって、最後は骨喰藤四郎に解釈を頼む。
なんでわざわざここで元主殺しをさせなくてはならないの?
こんなの泣けない。この場面、必要だったか?
そして……。
よくわかんないんだけど、結いの目がほどけたからなのか?日本の歴史が次々と空から降ってくる。
その渦の中に巻き込まれる山姥切国広。
山姥切が気が付くと海岸?
そこには審神者の念のために弱り人の形を失いつつある真っ白な三日月宗近が。
何故かついてきていて(謎)どこからか現れた小烏丸の立ち合いのもと、三日月宗近と山姥切国広の一騎打ちが始まる。
一騎打ちは三日月宗近が勝つが、審神者の念でついに三日月宗近は刀解されてしまう。
三日月宗近は「すべて円環の中」(意訳)という。
その円環(ループ)から逃れられないのだと。
あ、そうか。それで三日月宗近が「ほととぎす(不如帰=帰るにしかず)」なのか。
そして「鵺とよばれる」のホトトギスは時鳥、三日月宗近は不如帰なんだ……。
私が受け取ったのは、なにをどうやっても歴史は変わらぬという虚しさ。
それは、足利義輝のことだけではない。
歴史を変えようとしている時間遡行軍も、それを阻止しようとする刀剣男士も、「歴史」の輪の中から逃れることは出来ない。
「俺たちは何と戦っている?俺たちがやっていることは徒労ではないのか」という、義伝・暁の独眼竜で山姥切国広が三日月宗近に発した疑問。
三日月宗近はそれに対しては「歴史を変えようとするものだ」と答えた。
時間遡行軍の存在も、刀剣男士の出現も、全て歴史の一部で。
彼らもまた歴史の望むとおりに動いているだけなのではないか。
彼らが歴史の望む結果を出すまで、同じ地点をループしているだけなのではないか。
そして、どう努力しようとも、歴史の望む答え(=刀剣男士や時間遡行軍とっては未来)を変えることは出来ないのではないか……。
こんな救いのない、虚しい話はあるだろうかと、愕然としてしまった。
確かに、ゲームでは審神者はマップ上を脳死周回してますけれどもね……。
三日月宗近はそれに気付いていた。
そして……ここがよくわかんないんですが……。
気が遠くなるほど何度も何度も時間遡行を繰り返し、戦い続けてきた三日月宗近。
何度も時間軸をめぐるうちに、一本のはずの時間軸が絡まり合ってしまい、三日月宗近が時間軸の「結いの目」を作ってしまうようになる。
ふーん……。三日月宗近だけが結いの目を作るのね?
それは何故なんだろう?
そして、劇中で「この世界には数多の本丸が存在し審神者がいる」(意訳です。正しい台詞は忘れてしまった)と三日月さんは言うんだけれど、それって付喪神の三日月宗近も本丸の数だけ無数にいるということなのかなあ?
そして無数の「結いの目」を作っているのだろうか?
そして最後の場面。
新たな三日月宗近が顕現する。
……これはやはりまだすべては「円環」のなかであるということなんだよね?
刀剣男士たちはまた虚しい戦いを繰り返すということなんだよね……。
三日月宗近は最後の山姥切国広との戦いのとき、「山姥切ならばこの円環を断ち切ることが出来るかもしれない」と言って、託すようにして消えて行った。
でも、どうしてそれが山姥切国広だけなのかが全然、全くわからなかった。
他の男士ではどうしてダメなの?どうしてまんばちゃんが選ばれたの?近侍だから?
「俺たちは何と戦っているのか」という疑問にたどり着いたのが、三日月以外では今のところ彼だけだから?
そんなこんなで、この刀ステの世界観が完全には腑に落ちず、後半頭の中がが飛び交っていしまって。
お芝居の世界に没頭できず、楽しむという域には到達できなかったです。
それと、このホールの形状なのか、二階席で遠かったからか、それとも単に私の耳が悪いのか(たぶんこれ)キャストさんによっては早口で台詞が非常に聞き取りにくかった。
世界観が複雑なので、これはすごくツラかったな……。
確実に言えることは、刀ステは間違いなく刀剣のお話なんだよね。
そこは素直に評価したい点ではある。
でも、だからこそ、世界観に納得がいかないと観ていて困惑する。
というのも、とうらぶというゲーム自体がほとんど設定らしい設定がない、ストーリーのほとんどないゲームであり、私たち審神者の多くは頭の中に自分独自の世界観を既に構築してしまっている。
みんながほぼ共通の世界観を持っているわけじゃない。
ステ、ミュ、そしてアニメ、どれを観るときも私は自分の中の世界観を再構築しなくてはならない。
私の人生最大の推しの土方歳三の愛刀ということで、私にとっては最推しというよりもむしろ侵し難い別格の位置にある和泉守兼定。
先日の刀ミュの「結びの響き、始まりの音」を私は大きく評価したけれど、それは私の世界観に「結び~」の世界観がぴったりはまっていたからなんだなと、今回の刀ステを観て思いました。
「結び~」はステージを見ながら考える必要が全くなかった。ただ“感じ”ればよかった。
キャストの声の調子、表情、ちょっとした仕草……余裕をもって楽しめていたんですよね。(遠い目)
刀ミュは、だから刀剣の話というより人間キャストのお話に見えた人も多かったかもしれない。
でも、そもそも「歴史」は人のものだから。
道具である刀が持っているのは「物語」だから。
もう一つ、刀ステを観ていつも思うのは、なんでこんなにたくさん刀剣が必要なのか?なんですよね。
一人一人の刀剣男士を描き切れていない気がする。
そして三日月宗近を刀解するなんて……
刀ステの三日月宗近の影の部分。
それって刀ステの最初の作品から感じられましたよね。
キャストの鈴木裕樹さんが、あのゲームの三日月宗近からどうやってあんな影の部分を感じ取り、それをほのかに匂わすように演技されていたのか。
そのほのかに匂うような影の部分がとても魅力的な刀ステの三日月宗近。
精霊そのもののような、光の存在の刀ミュの三日月宗近。(もののふで感じが変わりましたが)
二人は好対照だった。
「二つの月」でしたよ。
そうか、ステの三日月さんは、この悲伝のプロットを最初から知っていたんだね……。
でも、私的には、三日月宗近は光であって欲しかった。
どんな闇であれ、どんなに刀剣男士たちが身も心も傷つき疲れ果てたとしても、彼の存在が最後の希望の光であって欲しかった。
あの刀オケの最後にスクリーンに映し出された三日月宗近のように。
その三日月宗近を刀解してしまうなんて……。
ショックすぎて声が出なかったよ……。
だけど、三日月宗近は再生する。この物語では。
だってループしてるんだもの。「すべては円環の中」なのだもの。
でも、再生ってなに
三日月宗近は三条宗近の傑作であり国宝。
刀解とは何か?
刀そのものを破壊しもとの鉄の塊にしてしまうことではなく、付喪神だけを消滅させてしまうことなのか?
すみません。
私、刀解が大嫌いなんです。だからこだわります。
そして、元主殺しも大嫌いだ。
今回の刀ステで骨喰藤四郎が足利義輝の介錯をしたことの涙。
「結び~」の兼さんが、土壇場で「俺にはできません!」と言って泣き崩れたときの涙。
骨喰は記憶がない。それを考慮したとしても……。
「できない」と泣き崩れた兼さんを誰が責められるだろうか。
そして、私は思うの。
元主を手にかけることが出来るなら、今の主である審神者の命をいつかその刀剣は必要だと思えば手にかけるのではないだろうか。
それは、本当に救いがない……。
……なーーんて思ってしまいました。
そして、そんなことを考えてしまうお話だったから、物語の途中で長谷部が極まり、極まる前よりさらにストレートに「主のために」「主のためならば」というのがとても空々しく聞こえてしまった。
刀ステの世界の中の長谷部(極)のいう「主のために」がさらに薄っぺらく聞こえるようになってしまった。
それに、三日月宗近は主を裏切ったのだから当然成敗すべきであるという、その長谷部の迷いのなさが私には彼の精神の単純さや未熟さにしか見えなかった。
共に戦ってきた仲間じゃないか。
信頼していたんじゃないのか?
なのにどうして三日月宗近の本心はなんだろうとか考えないの?
なにか已むに已まれぬ理由があるのではないかと思わないの?
どうして心が痛まないの?迷わないの?
私本丸の長谷部はそこまで単細胞じゃないよ。
ま、しょうがないか。
私はこの脚本家さんのお話は苦手だというのがよくわかった。
あと、鶯丸のキャラが思っていた感じとちょっと違ったなあ。
逆に良かったのは小烏丸。
彼の存在は“父”らしかった。
彼の存在がなければ、三日月宗近という刀剣男士たちの要を失う本丸の物語は危険すぎただろうなと思った。
大般若長光も良かった。
これはキャストさんがすごく良かったよ。
涼しげな顔と表情、背が高い、等身もスタイルもいい、姿勢もいい。
そして声がもう抜群にいい。三木さんそっくり。
もしまた薄ミュがあるなら、彼の薄桜鬼の土方さんを是非観てみたいと思った。
ということで。
「結び~」のアーカイブ配信、始まりましたね。
第二部は文句なく楽しめるので、兼さんの笑顔を見て、ショック受けた心を癒そうと思います。
悲伝のライビュ、どうしようかなあ。
細部、台詞が聞き取れなかったところがあるので行きたい気もちょっとする。
でも、配信あったらそれでいいか。
ストーリーとしての辻褄を自分なりに納得するために知りたいというのはとても強く思います。
でも、知ってどうなの?
私は私の本丸があればいい。
なんだろう……。
はっきり言って、刀ステの本丸設定や世界観がなくても全然いい。
私は私の世界観で生きていけるから。
・・・・・・。
刀ミュのアーカイブ観よ。