ひとくぎり | 雪の上に照れる月夜に梅の花

雪の上に照れる月夜に梅の花

雪月花の時 最も君を想う…土方歳三、新選組、薄桜鬼大好き

 

今年の初め、娘は卒業論文を書くための題材を何にするか考えていた。

どのゼミに入るかは既に決定済み。

まあ、ゼミの決定時点でどの教授に師事するか決まってしまっているわけだから、それである程度研究範囲は絞られてしまっているはずなんだけれど。

 

近世文学を選んだらしい。

国文科だし、そっか、江戸時代の文学作品とか作家を選ぼうってわけね。

いいないいな。
井原西鶴のBL本「男色大鑑」が丁度いま密かに話題のようですし。

それとも近松門左衛門かな?「南総里見八犬伝」の滝沢馬琴?

松尾芭蕉や小林一茶の発句とかもいいよね。

 

え……なんだって?

それ、まじ???

 

 

娘の選んだのは……まさかの「豊玉発句集」でした……。

 

ただ、それを国文科の卒業論文の題材にすることを教授がOKしてくれるかどうか……。

 

「認めてくれるかなあ……。どう言ったらイケると思う?」

 

……え……それを純文学として真っ向から論文の材料にするのは難しいかもよ……。

 

でも、別の切り口からだと、私は面白いものが書けると思うんだよな~。

作家ではない素人で発句集作ってて、その発句集が現在まで綺麗に残っている人って少ないんじゃないだろうか?

 

上洛直前の文久三年の早春に、数え年29歳だった土方歳三が大急ぎで自分の発句の作品をかき集めて自費出版してしまった句集。

当時、ちょっとした自信作、句会で評判が良かったものを書き溜めておき、ある程度まとまると清書するということはよくあったことだそうだ。

今だってたとえばデジタルで絵を描く人でも、私のように文章を書くものでも、データを残しておくのと同じことだろう。

そのデータの中から選んで清書して表紙を付けて残す。

土方さんがいつから発句を始めたのかははっきりとはわからない。
でも、土方さんの祖父は「三日月亭石巴」という俳号を持つ俳人であり、長兄で病気で失明してしまい廃嫡となった為次郎も「閑山亭石翠」という俳号を持っていた関係で、幼いころから土方さんの身近に発句があり、真似事から始まり親しむようになったのではないだろうか。

そんな土方さん。何か形としてこの世に残すものを作っておきたかったのかもしれない。

それだけ、命をかける覚悟をして上洛してきたのだろうと思う。

そして「発句」や「俳諧」というのはいわゆる町人文化であり、武士は漢詩や和歌をたしなむものだ。

土方さんが故郷を出るときに「豊玉発句集」を作ったのは、そう言う意味でも「一区切り」としたのではないかなとも思う。

ちなみに、近藤さんは武士らしく漢詩をそこそこ残しているし、結構悪くない出来だそうである。

 

だけど……。

好きだった発句で、今まで作った中からよさげなものをまとめて発句集を作っちゃった土方さんを、私は絶対に笑えないと思っている。

 

それは私が文章を書くのが好きでブログの記事をこうやって書いたり、ちょこちょこ、こそこそとお譚を書いて支部にUPしているのと多分同じ気持ちだと思うから。

 

私は自分がそんなに文章が上手くないのは知っている。

「下手の横好き」とは私にピッタリの言葉だ。

自分の自己満足のために書いているようなものだということも重々分かっている。

それでも、書いたものに対する愛着はある。

笑わないでほしいのだけれど、こんな私でもたまに自分の書いたお譚の気に入っているものを、文庫本サイズで活字にしたいと思うことがある。

簡単でよければ一冊から安く印刷製本するという広告が眼に入ることがあるのだ。
pixivでも2か月ぐらい前、データを送ると一冊だけ無料で本を作ってくれるというキャンペーンがあった。
残念ながら製本なんて全くやったことがない私は、用語がよくわからなかったり、表紙も考えなくてはいけなかったりで断念したのだけれど。

 

自分の書いたものを本当に誰にも見せたくないと思うなら、こっそりノートに手書きで書いたり、パソ子を使うとしてもWordか何かで書いてUSBの中に仕舞いこんでおくだろう。

だれでも閲覧できるオープンなブログなんかに書いたものをUPしたりはしない。

ということは、心のどこかで、誰かに読んでもらいたいという願望があるわけだ。

それは自覚している。

でも、誰かが読むかもしれないと思うからこそ、書いてることは超個人的な偏った意見であっても、最低限の体裁を整えて書こうという努力を無意識にする。

「書きたいこと」を書くために文章の最初の「つかみ」の部分を考え、滑り出しからその話に持っていき、結論に至る。

多分私はそういう作業が好きなのだと思う。

 

土方さんも発句を作るプロセスが好きだったのかもしれないし、句会で皆で楽しむのも好きだったのだろうなあ。

 

そして、そうやって書いたものは、考え方や性格がなんとなく現れてしまうものだ。

 

そう思うと、「豊玉発句集」は新選組になる前の、ただの一人の若者だった土方さんの人となりを垣間見られる資料としてはとても興味深いものではないだろうか?

 

20代後半の土方さんが書いた発句。

20代後半ですよ。
その若さから考えたら、出来がイマイチでも絶対笑えないと思うんだ。

ある程度人生を歩んで人の心の機微を知った中年の男になる前の、20代後半の男子だった土方さんが書いた詩(発句)だと思ったら、どれもみんな瑞々しく思えて、どの作品も可愛いなあ~と思えてしまう。

黒歴史だとかなんだとか言われようが、土方さん、よくぞこれを書き残してくれたと思うのである。

 

 

その上、土方さんは、どう生きたかの記録がある程度分かっていて史料で裏付けが取れている人だ。

一般人で発句の句集が残っていて、そういう生きた記録が残っている人というのは本当に少ないのではないだろうか。

 

発句の中に、土方さんの一面がきっと残っているはずだし、発句をめぐる周辺の当時の文化を考察すれば、土方さんの今まで知られていない姿が見えてくるかもしれない。

 

 

なんだか、娘と一緒に私までもワクワクしてきてしまった。

 

 

 

ところで本題に戻って。

 

教授に卒論の題材を豊玉発句集にしたいと言った娘。

先生はもちろん豊玉発句集をご存じなかった。

 

「土方直筆のものはあるのか?」
「土方の他の直筆の史料は残っているのか。調べられるか?」

「土方の俳句に関する参考本は図書館や何処かにあるのか?」

 

この三点を先生に聞かれて「全部家にあります」と答えた娘……。

 

OK出たらしい……。

 

 

おめでとう。頑張ってくれ。
私も微力ながら協力させてもらうよ。

 

 

まとまった時間を取って、興味がある一つのことを研究できるときというのは、学生時代を過ぎるとなかなか手に入らない貴重なもの。

そして研究自体は卒業後も細々と続けられたとしても、第三者の目で研究方法を指導してくれる人がいる環境というのはもうなかなかない。

 

最終的に国文科の学士論文の題材として認めてもらえるかどうかにはまだちょっと不安は残る。

これがなあ……文化学とか社会学だと絶対イケると思うんだけども……と、そっち系だった私は思う。

 

うん、でも、すごく楽しそうな題材だ。

 

私は卒論が一番楽しかったから。

 

娘も卒論の研究を思う存分楽しんで、学生生活最後の一年を充実したものにして、一区切りつけて人生の次のステップへと進んでくれたらいいなあと思う。