毎年夏を迎えるとお盆で帰省される方が多いですね。
お盆についてご存知ですか?
お盆が本来の『仏教』にはないものだったと
私は『易経』を習うまで考えたこともありませんでした。
![お盆](https://stat.ameba.jp/user_images/20160812/20/blue-hiro-bigboy/d0/53/g/o1079071913721616625.gif?caw=800)
お盆とは?
お盆はご先祖様や肉親の霊を供養する行事です。
年に一度祖先の霊が帰って来る期間とされ
祖先が迷わず帰って来られるように
迎え火を焚いてお迎えして供養します。
供養が終わるとまた送り火を焚いてお送りします。
その期間がお盆となります。
供養について
日本で仏教による供養が行われるようになったのは
大化の改新(646年)以降です。
大化の改新以前は、古神道にある殯(もがり)という
日本古代から行われていた葬儀儀礼がありました。
殯(もがり)は日本の葬儀の中で
もっとも原初の様式と言われ
古代では死者の葬送を行なう前に
風光が遮られる小屋などの場所に遺体を隔離し
死者とある期問生活を共にする習わしがあったそうです。
それは死者の復活を願う
『魂(たま)呼び』のためだったようです。
古代人の死生観
『魂(たま)呼び』とは
離れていく魂を呼び戻す儀礼です。
古代の日本人は人間や動物や植物など
天地万物すべてに魂があると信じていました。『魂が生あるものから去ることは死である。』それゆえに古代の人は、人が死に魂がその体から去ると
しきりに魂を呼び返そうとしたそうです。
それが『魂(たま)呼び』です。
古代の人は死者を呼び起こすため
殯(もがり)の儀式を行っていたようです。
古代の人は精霊信仰をしており
ありとあらゆる霊魂が、信仰・崇拝の対象となっておりました。
もともと古代の人には生と死との境界線はなく
そのため死者を埋葬したあとは
夜に死者を埋葬した土の上で踊り
地中から死者が現れて生者と一緒に踊っていたそうです。
この信仰がのちの盆踊りの原型となったようです。
古代の人の死生観の初めは
生者も死者も関係なかったようです。
死は生の延長で恐れるものではないとされておりました。神話からの死生観
イザナギとイザナミの神話が伝わった段階で
死は『穢れ』という観念が生まれ
死霊を恐れるようになったようです。
イザナギとイザナミの神話の中でも
簡単に死者の国(黄泉の国)へ行けるくらい
死者と生者の距離は近かったようです。
しかしある時、亡くなった妻のイザナミを追いかけて
夫のイザナギが黄泉の国(冥界)から連れ戻す話しで
死を恐れる死生観に変わります。
自分を連れ戻しに来たイザナギのため
イザナミは葦原の中つ国(地上界)へ帰ろうと
黄泉の国(冥界)の神に頼みに行くのですが
黄泉の国を出るまで決して自分の姿を見ないように
イザナギに念を押したのにもかかわらず
イザナギは髪の櫛の歯を折り火を灯し
イザナミの体にたくさんの蛆虫が湧いている
醜い姿を見てしまうのです。
その姿を見てイザナギは驚き逃げだしてしまいます。
イザナミは恥をかかされたと怒り
逃げるイザナギを捕まえようと追いかけます。
イザナギは必死に逃げて黄泉の国の入り口である
黄泉比良坂(よもつひらさか)に着くと
入り口を大きな岩で塞いでしまいました。
岩を挟んでイザナギはイザナミに離婚をしようと伝えます。
イザナミはイザナギがこのようなことをするなら
あなたの国の人間を1日1000人殺すと言いました。
イザナギはイザナミがそのようなことを言うなら
私は1日1500人ずつ産ませようと言いました。
こうして人間は
1日に1000人が亡くなる
1日に1500人が誕生する
ようになりました。
また生者が黄泉の国へ行くことは叶わなくなりました。
蘇りは黄泉の国から返ることを意味しております。
死は穢れているものと考え
死をもって死霊となった者は
生きていたころの憎しみや怨み
また死んだことに対する悲しみを持っていて
たいへん荒れた魂だと考えられています。
死霊を祀ることによって段々と個性的な感情を失い
穢れが浄化され『祖霊』へと変わって行くそうです。
そのため各地で死者を祀る儀式が行われるようになったのです。
朝鮮人を怖がらせる目的でこの神話を作り
神話を流した藤原 不比等の時代から
天災地変、飢饉、疫病などの様々な災いは
全て祟りによるものである考えられ
何か災いがあれば
悪霊・怨霊の仕業と恐れるようになったようです。古事記 黄泉の国編殯(もがり)とは?
長い期間に渡り遺体を棺に安置し
死者が腐敗し白骨化を確認するまで見ている儀式です。
死者との別れを惜しみ、死者の復活を願いつつ
死者を慰め、丁寧に扱い
物理的な死者の変化から最終的な『死』を確認し弔います。
現代では皇室のしきたりとして行われております。
殯(もがり)についての説明動画
仏教とお盆について
斉明天皇が657年にのちのお盆となる
『盂蘭盆会(うらぼんえ)』を行ったようです。
606年の推古天皇の時代にも
行ったような記述はありますが
調べてみると確証が得られませんでした。
盂蘭盆会は釈尊の弟子の1人の
神通力を持つ目蓮(もくれん)尊者が
元になっている説があります。
神通力で自分の亡き母親が飢餓道に落ち
逆さずりで苦しんでいると知り
釈尊にどうすれば母親は救われるのかお伺いすると
多くの供物をささげて供養すれば
その功徳により母親は救われると言う
釈尊の教えを受け
目蓮(もくれん)尊者は言われた通りに行ったそうです。
すると母親は極楽往生を遂げたそうで
そこから精霊を供養する『盂蘭盆会』が生まれたようです。
ですがこの話しは供養したことだけで
霊が戻ってきた話しではありません。
そして釈尊はそのような教えを説いていないので
本来の仏教にはありません。
これは中国で作られた偽経です。
本来の仏教は輪廻転生思想にあり
輪廻のサイクルから抜けるために修行を行い
自ら真理を悟り解脱を目指すことにあります。
先祖を敬うとか死者が帰って来るという教えはありません。
では何故、日本の仏教に先祖供養があるのか?
それは『神仏習合』が原因にあります。
日本の仏教は伝来してから
数々の土着信仰が重なったことで広がりを見せました。
そのため日本の仏教は
仏教であって仏教ではなくなっていると言うことです。
神道、キリスト教、儒教、道教、ゾロアスター教
ミトラ教、ヒンズー教、バラモン教、ユダヤ教
これら全てが融合した結果
矛盾が伴う仏教の教えになっているということです。
しかし全ての神の発祥が日本起源だと考えるならば
単純にバラバラにするだけですので矛盾しません。
仏教の思想も初めから日本に存在し
海外を渡るうちに形が変わり
『釈尊の仏法』として仏教が生まれた
このように考えることができます。
世界文明の発祥地は甲府だった
タイなどの仏教国にお墓はありません。
お墓はとても重要で大いなる力を得ます。
儒教、道教、キリスト教などは特に重要です。
また日本の仏教のような戒名を付ける国もありません。
おそらく古神道が全ての起源であり
古神道が分離して世界に飛んだのでしょう。
これならば仏教なのにお墓を建てて
先祖供養とお盆を行っている理由になります。
日本の仏教は古神道の秘密を隠すための
カモフラージュと言ったところでしょう。
古神道には世界中が欲しがる
失われたアーク (聖櫃)
の隠し場所についての秘密があるようです!
だから古事記や日本書記は藤原 不比等の手によって
作り変えられたと言われているのです。
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