なあ、龍馬さん。 | 何処にも売っていない、藍染め作品集。

今日は、今日も、マスクを作って、夕方にランニングへ行って、お酒を少し飲んで、ご飯を食べて、潰れない店を見て、hauka nakamuraをYouTubeで流して、ちょっとブログでも書いてみる。明日も、仕事は自分で作るしかない。藍染めニーズは、只今、マスクのみ。祭り半纏を染める紺屋さんも、梅雨時期で、召集はかからず。週一仕事で、3ヶ月が経つ。3という数字は、色々と人を馴染ませていく。毎日暑いとうなだれ、汗を流していた昨年の事が、嘘のように感じる。お祭りが無くなっていくと、職人も死んでいく。

 

3.11の時も神事は控えられ、仕事は減った。でもここまで仕事は無くならなかった。神輿を担ぐ、声を出す。豊作を祈り、皆が集まる。そこに半纏があり、人がいて、笑顔があった。昔から、天に感謝し、何かを奉納してきた、日本の文化。藍染め半纏でも、色んな繋がりに感謝する柄があり、切っても切れない意味がある。

 

しかし今、ソーシャルディスタンス。というお題がある。神輿を担ぐ為には、距離を縮めて、皆が一つにならないといけない。”セイヤセイヤ”という掛け声と、あの威勢の良さが、祭りの華。今、日本の文化は危機的状況にあると行っていい。ネット文化が矢面に来るが、その背景に、人情や、無骨な心意気を忘れてはならない。昔の人たちが培ってきた何か。日本という魂。多くの先人たちの繋いだバトン。

 

何か、お酒の力で、鼓舞しないと...。分からない事ばかりだ。仲間と飲んでいいのか、集まって話せるのはいつなのか。一人の時間が悶々と続いていく。ただマスクを作って、何かの役に立とうとしながら、役に立つ難しさを感じていく。考えれば、考える程、煮詰まっていく。

 

この経験は、10年後の自分に跳ね返ってくる。今、この先の糸口を見つければ、60の自分は、輝いている。皆の為に藍染めをする事が出来ている。自分の為に染めるのではなく、誰が喜ぶために染める日々。それは、職人ライフの幸せの形。子供も大人も、お爺ちゃんもお婆ちゃんも、自分の染めた物を眺めて、ネットに上げて、誰かと話したくなる。そして、誰かにあげたくなる。あんたに似合うかと思ってな〜と、目が輝く。人生は一生、青春。尊い青。燃え尽きた時に、青白い炎を出せるまで、終わらんぜよ。

 

なあ、龍馬さん。なあ、西郷どん。

 

 

by BLUE HANDS