君たちはどう生きるかを読みながら。 | 何処にも売っていない、藍染め作品集。

物事の真理を追い求めていくと、ふとした事に気がつく事がある。そしてまた忘れてしまう前に書き留めたくなる。僕は小学校の時、いじめられる入口をみた。ビンに入れた爆竹を僕に向けて飛ばされた時、なぜ僕が狙われたのかずっと考えた。布団に仰向けに寝転がって。もちろん答えは出ず、涙が出た。

 

思春期になり、もっと色んな何故が僕を襲った。なぜ僕だけがこんな目にあうのだろうって。内なる自分と外に出る自分にギャップに苦しみ、ヘルマンヘッセの”車輪の下”や”デミアン”という小説が僕を救ってくれた。二人の自分がいて良いんだいう事をドイツの作家は、解いてくれた。

 

「生まれてきてすいません。」と太宰治は書いた。その自虐性に美しさを感じたのか、今はもう分らないが、二十歳前後の自分は多いに共鳴していた。生きている価値が分らない。何がしたいのかなんて全然分らない。自分の事も、他人の事も全く分らなかった。ただ、自分の中にある何かを表現したいという思いだけは強かった。

 

社会に出て、こんなにも生きて行くのは大変なのかと、打ちのめされた。広告という答えの無い世界で、オールで船をこいでいた。そして流され、また何の為に生きているのか分らなくなり、感情が消えていった。タバコが吸える非常階段の踊り場で、下を眺めて楽になりたいと思いながら、その怖さに後ずさりした。心の闇という大海原は、何処までも深く漆黒だった。

 

いつもいつも周りの目を気にして生きていた。そんな自分だった。間違っているのか、合っているのか。びくびくしながら。面白い事が大好きだった少年は、大人になって、自分を何処までも俯瞰する術を覚え、いつしか心のそこから笑えなくなっていた。あれから十数年、僕は年を取った。自分へのこだわりが無くなった。そして心が自由になった。大海原にプカプカと仰向けて漂う気持ち良さを覚えた。そもそも自分には何も無いんだ。って。答えなんて無いんだって。

 

藍染体験へよこうこそ。

そしてありがとう。その笑顔で、僕はまた頑張れる。

 

藍染体験や手作り品を販売して思うのは、愛情や共感が力になるというコト。何かしてあげたくなったり、してもらったり。そんなやり取りの中に小さな答えが詰まっている。そして、何かを感じる心がアートの原点なのかなという事。いつまでも心を磨き上げていれば、地球はいつまでも美しく輝いる。

 

BLUE HANDS

 

巾着体験作品/風車/体験料2000円

 

次回の藍染体験&即売会は、2/11(日)11時〜16時

アミューズミュージアム4階アトリエにて

どうぞお気軽にお越し下さい。