古今東西の妖精や精霊・スピリチュアルにまつわる作品を取り上げていくコーナーです。

 

…☆…☆…☆…☆…☆…

 

 

この映画を観たのは数年前、何かのイベント事に行ったときでした。好きな作家さんが出席するとのことで、お話を聞いてみたいと思いました、あの作家さんが推す映画ならきっと面白いだろうと踏んでの参加でした。

 

私の周りはいかにもお金持ち風の慈善事業などに取り組んでいそうな、映画の中でたまに見かけるマダムみたいな人たちばかり。私はジーンズにスニーカーで完全に浮いていたと思います。

 

ふとあの映画の感想が思い浮かんだので書き留めておこうと思った次第です。

 

 

ルシアンの青春(1974) 予告編

 

 

すっごいザックリしたあらすじとしては、平凡な農家の青年が徐々に戦争に巻き込まれていき、恋をしたり警察の一味になったり逃亡したりする感じです。詳しくは映画サイトを見るか本編を鑑賞してくださいー!

 

この映画は命の扱いの違いを丁寧に描いている所が興味深かったです。農家って過酷な自然と常に対峙しているいわば最前線の人々とも言えると思うのですが、それが戦争の世界に入り込んじゃうとこうなっちゃうのかーと。(物書きって色んなこと考えますねぇ)

それだけじゃなく、主人公のルシアンはまだ17歳。若く未熟な存在であると言えると思います。しかし作中の振る舞いを見ていると年齢よりも幼い印象も受けます。

 

ルシアンにとっては都会のアレコレは全部おままごとのよう。拳銃を持って市民を脅す姿も全く様になっておらず、ごっこ遊びの延長線上に見えます。事の重大さとかあんまり理解できてなさそう。見ている側としてはヒヤヒヤする。あーっ、お前、そんなことするんじゃないっ、と突っ込みたくなる。

 

物語の後半で組織に追われたルシアンは森に逃げ込みます。そこでやっと本領発揮。彼にとってのリアルは、野うさぎを捕まえてさばいたり、小屋を修繕したり、そして森に出ても道に迷わず家へ帰ることだったのだと思います。都会で拳銃を振りかざすときとは手つきが全然違います。

 

戦争の混乱と日々の糧を得て生き抜くこと。どちらも死と隣り合わせです。その性質が大きく異なる。二者の対比がルシアンの純粋さを浮き彫りにします。あの混沌の中でも彼は洗脳されなかった。数々の愚行は洗脳されたためでなく若さゆえのあやまちだったように思えます(肯定するわけではありませんが)。

この映画に限っては、主人公は愚鈍で馬鹿だったから洗脳されなかったのだと切り捨ててしまうのは違う気がするんです。本人は素直に興味の赴くまま振舞っていただけのようですが、そこに天の采配というか何かしらの御加護を感じずにいられませんでした。

 

動物的な感性で生き生きと画面内で活躍したルシアンですが最後は処刑されたとの事です。確か処刑のシーンは無くモノローグが入っただけだったはず…。

純粋無垢な野性味ばかりでなく、知性や分別も兼ね備えていたらルシアンは生き残ることができたのでしょうか。誰も知る由もない事です。

 

あんまり救いのない筋書きなのにどういうわけかスッキリした気分になるのが不思議な作品でした。たぶん、ヒトの尊厳を踏みにじって魂を傷つけようとする描写があまりなかったからではないかなと思っています。戦争映画といっても、題材の扱いや切り取り方で全然違うものになってしまうんですね。

 

 

こちらは漫画・百姓貴族のアニメ版。

映像も声優さんも上手ですごく面白かった!

 

ヒトは自然から離れたら生きていけないけれど、自然の中で生きていくのもまた色々な苦労がありそうです。

 

yucca.