「歌手は、聴いてくれる人がいて初めて歌手になれる。僕を歌手にしてくださってありがとうございます」
これはWINNERスンユンがファンに向けて話した言葉です。
同じような言葉を口にする歌手は大勢いるのかもしれないけど、これを聞いた時私はとても深く感銘を受け、それからずっと、今も胸に残っている言葉です。
だからCINEMAのメイキング見て愕然とした。

だけど今はもう、物理的に観客となる人がいない。
それは絶望ではないの?
ということで。
何が始まったのかと思ったかもしれないけど、
CINEMAの話です。
正直に言うと、最初に曲だけ聴いた時はあんまりピンと来なかったんだよね。UNVEILがすごくよくて、そこで私が勝手に曲のイメージを作りすぎてしまったのかもしれない。
UNVEILを見た時の私のイメージは、大人のスタンド・バイ・ミーみたいな感じだった。あの頃の俺たち、みたいなね。それを映画に喩えてるのかなって感じで。
だけど曲自体には、私はそういう郷愁のようなものは感じなかった。過去を振り返るよりも、逆に夜明けを待って未来に想いを馳せるようなイメージが広がって。
その時点では歌詞も見てなかったしスンミンが曲に込めたメッセージも知らなくて、自分の中に新しく広がったイメージを、それはそれでいいテーマだなとは思ったけど。
最初に自分の中に作り上げてたものが大きすぎて上手く切り替えられないという、創作オタクの落とし穴に頭から埋まってしまった私でした。
でもこれたぶんスルメ曲なんだな、聴いてるうちにハマりそう、っていう予感はあった。
だけど最初のイメージからも、そしてトレジャーのカムバからもなかなか頭を切り替えられずに、まだそんなに聴き込めていないうちにMVが公開されて。
なにこれ最高。
やっぱスタンド・バイ・ミー感はある。
でもあのスタンド・バイ・ミーはもう戻らない日々なのがいいけど、これはそうじゃなくて、一生スタンド・バイ・ミーなの。
シネマっていうと完成した映画を見てる感じするけど、この映画はずっと続くの。1話終わったとしてもまた続編が、そのまた続編が、この映画館では今ここで生きてる人生という映画がずっと上映され続け、そのエンディングクレジットには必ず2人の名前が揃って刻まれてるの。はぁはぁ最高!!
・・・いや私は味噌が好きです。
ってまぁそういうことじゃなくて、そういうの全部関係なしに、誰かと共に生きて互いの人生を「This is our CINEMA」と言えることの言葉にならない尊さですよ。
味噌派の私から見ても離婚危機の関係性の尊さは正気を失うレベルだよ。
だけどさ。
いちペンにすぎない自分の日常がアイドルのそれと交わることはないと知りながらも、いろんな場面で推しの存在にひとり勝手に救われながら、推しが知るはずもない自分の現実を生きててさ、もちろんそれで十分と思ってるけどそんな時にアイドルの側から言ってくれるんだよ。
「Welcome to our CINEMA」
エンディングクレジットに刻まれる2人の名前は、推しと、推しは知らない自分の名前。たとえそれが「STAY」という汎用ネームでも、推しの人生の中にクレジットされて残るんだ。
はぁ・・・あらゆることが大きすぎる・・・。
と抱えきれない感情を担いでいたところ、今度はどこの公演だったかでスンミンが語った「誰もいなくなった映画館で一人座って最後までエンドロールを見てた」って話を知って、ついに担いでいた自分の感情に押し潰されるところに到達。
いや詳しくは知らないから、スンミンがどんなニュアンスで言ったのか分かってないんだけど、だから自分の解釈で勝手に押し潰されたんだけどさ。
STAYって呼び名はもちろん大事な名前だけど、いつもステージからじーーーっと目に焼き付けてるSTAYには一人一人それぞれの名前と人生があって、自分がその一つ一つを知ることは現実的に難しいけど、Stray Kidsという映画のエンドロールにその一人一人の名前を刻むことができるのなら、この映画の名場面を思い浮かべながらこうして最後の一人まで見送ろう。
南米ツアーでのCINEMAのラストの演出を知ってたから(と言っても映像はまだ見てなかったけど)出てきた想像だけど、そんな重い期待を「スンミンならこんな風に思ってくれるだろう」なんて押し付けてはいけないかなと思う。
でも頭ではそう思っても、瞼に勝手に浮かんでくる。
スクリーンに流れ続ける小さな白い文字の列を、口をすぼめて興味津々な目をして追いかけて、時々知り合いと同姓同名を見つけて指さして、だけど馴染みのない語感の名前まで全部、優しさとリスペクトと悪戯心に満ちた眼差しで見送るスンミンの姿。
それからその隣で虚無顔しながら実はいろんなことを考えてるリノの姿。
ふと隣を見て、ふは、と笑い合って。
うん。
いける離婚危機。(いかんでいい)
ジソンくんですか?
ジソンくんは2人の後ろの席に座って別の人の彼女になってます。
そんで無心でポテトもぎゅもぎゅしながらスクリーン見てたら隣で彼氏がさらにポテトあーんしてきて、ほっぺ袋パンパンだったから仕方なくくちばしでテキトーに受け取っ・・・彼氏俺かよ。←ソチャンビン
はい。
満遍なく触れたぜみたいな顔してごめん。
でまぁそうやって私の中に膨大な数の名前がクレジットされたエンドロールのイメージができたところで、今度はあれです、メイキング。
衝撃だったのよこれ。

・・・え。
え、え、え。

客いないなおいとは思っていたよ。でも無名の自称ミュージシャンの路上ライブだからだと思ってた。今はまだ観客はいないけど、明日は一人増え、明後日はまた一人増え、っていう、夢の出発点だからこその無観客なんだと思ってた。
放浪の果てに辿り着いた廃屋でたまたま楽器を見つけ、「リノヒョンおれたちバンドやろう」「あ?」「楽譜もライブのポスターもあるよ(←全部人の)」「あー・・・・・・、うんやろう」で始まった二人のロードムービーだと思ってたけど。
ほんとだ、最初の方で地震みたいな描写ある!(よく見とけ)
そっか、これ二人はもともとバンドやってて、楽器や機材、楽譜やポスターも全部、お、こんなの落ちてる、じゃなくて、夢と思い出の詰まった「俺たちの」だったんだ。
だけど俺たちの歌を聴いてくれる人は、誰もいなくなったんだ。
なのに。

それでも二人は歌手であろうとする。

・・・だったりは、しないのかな。
しないのかもしれない。
歌手は、聴いてくれる人がいて初めて歌手になれる。
満足なんてできないし、絶望したらすべてが終わる。
だから二人はライブを続ける旅に出たんだ。

そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。
だけど分かるのは、これは自己満足じゃなくて、道のりなんだろうな。

そして。

涙を堪えられなかったよ。
メイキングまで見てきた中で自分がいろいろ感じたこと想像したこと、そういうものも重なって、本当に映画のクライマックスみたいに見えた。
誰もいない廃墟から始まったこのストーリーに、今はこんなにもたくさんの登場人物がいる。
風の音じゃなく本物の歓声がステージの二人を包み、
この映画館では今ここで生きてる人生という映画がずっと上映され続け、そのエンディングクレジットには必ず登場人物全員の名前が刻まれる。
その一人一人に向けて歌う言葉、
「Welcome to our CINEMA」
ああ。余韻。
余韻。
余韻。
もういい?
ああ、と余韻を残して本編は終わったのよ。
でも私にはまだ言いたいことがある。

でもべつに離婚危機が無理ってことはないんです。早く離婚しろとか言うけど単にネタです。
味噌には味噌の良さがあるし、離婚には離婚の良さがある。
リノとスンミンはこういうのが、

と、メイキングで準備体操はしてたけど。
CINEMAのステージ演出で私が知ってたのって、会場のSTAY全員の名前が載ってるエンドロールが流れるってことだけだったのよ。
そこだけは気合い入れて見ないと!と思ったけど、他はわりと無防備な状態で見始めたわけなのよ。
そしたら出だし大事件。
ステージに逆向きの仰向けで寝転んで、夜空見上げて順番に歌い出し、上体起こしたら自然と背中合わせになる二人って。
いいなと思う。
だいぶ思ってんなこれ笑
って味噌どーすんだ。
ジソンごめんねちょっと一人でいてくれる?
↑たぶん全然大丈夫かと。
あ私に関しては、離婚がどんなによくてもハマりはしないと思うから大丈夫。てか離婚よりマーガリンの方がやばい。(え?)
いやあのね。
真面目に、このCINEMAのステージ演出って最初から最後までとんでもなくよかったよ。
寝転びスタートも途中の一緒にダッシュもすごく二人に合ってると思ったし、あとスクリーンの映像も素敵だった。
この曲はやっぱりライブで聴く曲だね。
そして私ももう少ししたら生で聴けるんだ・・・よね?
まぁエコパでもユニットステージあるとして。
エコパでもエンドロールは流れるのかな。
そのエンディングクレジットから自分の名前を拾うのはちょっと無理だと思うけど、キッズとステイと同じ一つの物語を作り上げて来たいと思います。