1月末からまた地獄の忙しさなんだけど、ここ数日は仕事一段落してわりと余裕のある日々を過ごしてる私です。
でもなんかブログ書く気分でもなくて、神棚の整理をしたり恋心ちゃんの植え替えをしたりしてました。
神棚の整理はですね、あ、神棚ってもちろんあれね、グッズ収納棚。
ついにもともとの棚にいろいろ収まりきらなくなって、カラーボックス買い足しました。
もともとの棚っていうのは作り付け収納で、普段は引き戸を閉めてます。生活空間に日常的にオタク臭漂わせないっていうダンナとの約束があるもので。でもまぁ時々枕元にアクスタ立てて寝るし、クリスマスとか特別な日はテーブルにズラッと並べるし、そんなに厳しいルールではないんだけどね。(ちなみにハン子はグッズじゃなくてぬいぐるみ枠なので、日常的にその辺います)
ダンナは気に入ればスキズ曲も聴くしオタクへの理解もだいぶあると思うけど、でもやっぱり壁一面にジソンがいる生活には耐えられないそうなので、神棚の戸を閉めておくのは必須です。まぁ私としても、おいこれいくらかかってんだ感を隠すために戸は必須なんだけど。
だけどカラーボックスには戸がないわけで。
突っ張り棒でカーテン的なものつければいいかなと考えてたけど、まだ買ってなかったんだよね。
なので、でもまぁまだちょっとしか物入ってないしとりあえずいいだろ、と思ってそのままにしておきました。
そしたら仕事から帰って来たダンナが、カラーボックスをじーっと見てるんだよね。(シーグリの箱とか入ってる)
やべぇアウトかなと思って、「今度の休みにカーテン的なもの買ってくるから」と言うと、いやべつにいーよとのこと。
え、なんで?と思ったら、
「お前のそのオシャレなスリッパ見た時から、なんかいろいろどうでもよくなった」
私のオシャレなスリッパとはこれだ。

「オタクは足元からって言うからね」
「言わねーよ」
そんなわけで、カラーボックスの方は目隠しいらないそうだけど。
でもこの先またグッズが増えたらたぶん私が目隠ししたくなると思う。
オタクのキャッシュフローは綺麗に隠して、旦那様には明るい未来だけを見せてあげたいの。
だからさ。
「ねー、目隠しこれどう?」

オタクな嫁と一緒に未来へ行こうや。
そして次は植え替えの話。
大晦日に写真撮った後、なんか急に恋心ちゃんの元気がなくなってきたんですよ。
葉っぱが黄色く萎れて何個も落ちちゃって。
「どうしよう、私のこ⋯この木なんの木枯れちゃうのかな?」(ダンナには恋心って名前だとは教えてないし、ジソンの誕生日に買ったことも内緒です)
「冬場は日当たり悪いからな」
「部屋の照明じゃダメなのかな」
「知らんけど電気代高いからそいつのために点けっぱはやめろ」
「じゃあどうすればいいんだよー!」
となった時、ダンナが提案したのが植え替えでした。もっと大きな鉢にちゃんと栄養ある土入れて植え替えたらどうかって。
私同様ダンナも植物とか育てたことないし、調べたわけでもないから、ただの思いつきなんだけど。でもとりあえず言われるままに鉢とか土とか買って来ました。
だけどさ、こんな元気なさそうな時に環境変えるのってどうなのかな。とも思うわけよ。
なので買っては来たけどしばらくそのまま様子を見てました。
そしたらタイミングよくここちゃんがLINEで恋心ちゃんの話題に触れてくれたので、元気がないこと話したらいろいろアドバイスしてくれました。
植え替えは普通は暖かくなる4月頃にやることが多いそうだけど、今やっても大丈夫みたいだったので、思い切ってやっちゃいました。
そしたらこんな感じになったんだけど。


普通は根をほぐしたりするけど、今回は元の鉢から出したそのままの状態で新しい鉢に入れてねってことだったから、そうしたつもりだったんだけど、なんか2株の間隔が空いてしまって寂しいよ。鉢大きくなったんだからその方がいいのかもしれないけど、でも葉っぱが触れ合わないのが寂しいよー。
ってこの子たちは私のジソン愛の象徴であって、右の株がジソン左の株が私とかではないんだから、べつに離れていたっていいのでは。
⋯⋯うんまぁそうなんだけど。
えい。

仲良く元気になるといいな。
おしまい。
っていう日記で終わるんでしょ今日もどうせ。
と思いましたよね?
でも今日はあるんです。
スクショが。
干からびかけた私のジソンペン細胞を瞬時に活性化させた、ハンジソンのあの質感をお伝えするためのスクショです。
ここでしょ?これでしょ?こういうことでしょ?と、全私を共感の渦に巻き込むこと間違いなし。いや一人やが⋯
一体何を見たのかと言うとこれです。
あ、トーカー?と思った方、違います。いや合ってるけど違う。
このMOUNTAINSの振付練習の場面、ここは私にとっては完全にジソンのチッケムなんです。繰り返し繰り返し何度でも見てられる。
こんなに↑小さくても頭の中早くもあああああ連呼です。
でもさ、全私を共感の渦に巻き込むと言ってみたけど、皆さんにもそれが通じるのかは分からないです。
たぶん、いや絶対分かると思ってるけど。
こんな感じ。
服と姿勢ね、と言われればそうかもしれないけど。
でもそれだけじゃないこの感じ、何て言ったらいいのかいつも思い浮かばなくてすいません。
だけどきっと分かるよね。濃くて甘くて淡くて細くて逞しく、しっとりサラッと時にザラッと、乾いて遠くて部屋の隅でひとり湿気て、ちんまりもこもこ柔らかくて、温かくて優しくて大きくて、男の匂いも子どもの匂いもいい匂いも全部して、可愛くて可愛くて可愛くて可愛い、ハンジソンというテクスチャー。(テクスチャーという言葉の定義はとりあえず無視で笑)


こういうさ、私の手の甲では試せない君の体温とかさ。








照れて隠したやさしさも。
全部君というテクスチャー。
君を作る質感、君が生きる質量。

笑うまでのほんの一瞬、瞬きをするほどの間に変わる表情の一つ一つを撮っておく。
これとこれ何が違うの?ってスクショを量産することもよくあるけど、それでも捨てられないたくさんの君の欠片。気のせいレベルの「ここからのこれが刺さるの」って語り。画像フォルダ見てバカだな私といつも思う。
でも私には画面越しのジソンの感触がすべてだから。
それでいいと思う時もあるし、一瞬だけでも視線を交わしたいと思う時もある。
感触、質感、私はそういう言葉の方がよく使う。でもその感触も質感も、触れて知ってるわけではないから。
君という「テクスチャー」。
知ってはいるけど私の回路に馴染まないこの言葉。
不意に浮かんだそれは、私が想像上のハンジソンを作りすぎないための安全装置なのかもしれない。このお話はフィクションですという注意書きと似てる。
だけどフィクションは作り話じゃなくて物語だ。
君というテクスチャーは君という物語なのかな。
想像は時に混迷するけど物語にはハッピーエンドがある。
ジソンの物語が幸せであることを願って、私は君というテクスチャーを張り合わせるんだろう。

みんなでの振付練習から切り取ったセルフチッケムも好きで好きでたまらないけど、やっぱりこういう顔が一番好きだな。
君の幸せそうなテクスチャー。
柔らかいね。