みなさん。

私は瀕死で今日はペンミです。

でも世の流れは無視して、ずっとちまちま書いてたこれを完成させたので上げてみます。

とりあえずまず目を瞑って2月まで時間を遡ってみてください。




あの。

あああああのですね。

実は2月14日に出だし数行くらいだけ書いたままずっと下書きになってるものがあるんです。

2月14日は何の日だったでしょう?

はい、そうですね。バレンタイン。

ではですね。

3月20日は何の日だったでしょう?

はい、そうですね。



ヒョンジン誕生日おめでとう!!
たくさんの人々の愛を感じてたくさんの人々を愛せる素敵な1年になりますように。

でもごめんヒョンジン、ちょっと待ってて。
いやもうすでにだいぶ待たせてはいるんだけど、私さらに待たせてる人がいるんです。
ということで今日の本題。

では2月8日は何の日だったでしょう?


って小声で言うな。

ごめん、勇気を出してフォントサイズ戻します。

下書きになってたやつ、これです。↓




2月9日は肉の日ですが、では2月8日は何の日でしょうか。

答えはもちろんパンの日ですね。

2パ、8ン。

読め。

 

ということで、イエニ誕生日おめでとうでした。(毎回安定の過去形)



 

はい。

え終わり!?っていうね。読めじゃねぇわ書けって話ですよね。

ごめんと思いながらも、他のことを優先させてしまってるうちにどんどん時は流れ・・・。

時が流れたついでにもともと書こうと思ってたテーマじゃなくて、ちょっと違うこと書こうかなと思います。長い間書きそびれていた話なんですが、何かよきタイミングに無理やりねじ込んでやろうと思ってて。(よきタイミングなのかそれは)

 

もともと書こうと思ってたのは、やっぱりアギパンの尊さですよ。イエニの笑顔がもたらす、あったかほやほや焼き立てパンのようなふわふわもちもちした幸せ気分。

アンパンマンは食欲を満たしてくれるけど(言い方)、アギパンは心を満たしてくれる。

アンパンマンはみんなの夢を守ってくれるけど、アギパンは私たちが守らねばと思わせてくれる。

成長とともに男らしくかっこよくなったし、親目線ですなんてごまかしがきかなくなるような彼氏っぽい顔を見せてくれるようにもなったけど、それでもやっぱりイエニは永遠のアギパンで、それはステイにとってもキッズにとってもすごくすごく愛しく誇らしいことなんだよ。

みたいなことを書こうと思ってたんですけど。

でもこれわざわざ書かなくてもみんなが常日頃から思ってることだしな。

もちろんわざわざ書いていいし何度でも書いていいし、なんなら教科書に載っててもいいと思うけど(なんの)、これはもしや今が例のよきタイミングなのでは?と閃いてしまったもので、アギパンの尊さについては今年は胸の内で語るにとどめて、代わりに胸の内で温め続けてきたこの話をしようと思います。


ってなんかハードル上がってしまった気がするけど、べつに心温まる素敵な話を書くわけじゃないです。

MVでのイエニの印象の話なんですけど。

スキズ世界のストーリー考察についていくのをだいぶ早い段階で諦めた私ですが、イエニがあの世界を解き明かす鍵の一つなんじゃないかなってのはなんとなく思ってます。

今までいろんなMVで、何か大事なことを知ってる様子のイエニの姿が印象的に描かれてきたと思うけど。

でも私が語りたいのはそういうことではなく。

スキズ世界のストーリーとは別に、私個人の中で物語を生むイエニの質感。


世界観関係なさそうな単発のMVだと、末っ子らしい可愛らしさや等身大の姿を見せてくれたりしてそれもまた魅力の一つなんだけど、私の中で物語を生むのはそれとはまた違う一面です。

けどこれを言葉で説明するのが難しいんだよね。

最近で言うとDLCの感じかな。

って言うとなんとなく分かる人は多いんじゃないかと思ってるけど、どうだろう。



MV自体の、えーと何だ、映像の質感と言うか雰囲気と言うか・・・の効果もあると思うけど、イエニのこのすりガラスのようなザラついた無垢さが好きなんです。
「ザラついた」とかの形容する言葉は作品によって違うけど、ただ透明で綺麗なだけじゃない、他人が踏み込めないような無垢さをイエニに感じることがあって。
だけどこの「無垢」というものも、私がイエニの中に見てるのは、無垢という言葉の一般的な意味とは違うのだと思う。

それはギリギリのところにある表面張力のようなものなんだと思う。誰も触れられないその膜が無垢なのだと、私は感じてるのかもしれない。

自分でもはっきりと核心を掴んでない気がするけど、とにかく私が「無垢」と呼ぶイエニ特有のイメージがあって。

そしてその中でも特に印象的で今も全く色褪せないイエニの姿があるんです。

悲しいほど公平な、でも無情ではない無垢という姿。

それはこの瞬間です。



いや足だけじゃん、なんですけど。
このWinter Fallsという曲は、曲も歌もMVもすべてが私には大きすぎて、言葉が追いつかなくて未だに真正面から語ることができないでいる名曲なんです。
他の人の解釈をなるほどねーと受け入れられる曲とそれが絶対にできない曲が私の中にはありますが、Winter Fallsは圧倒的に後者です。
MVの解釈どころかここがよかったここが好きっていう人々の声すら自分の世界に入れたくなくて、当時Winter Fallsについてはジソンが語った制作エピソード以外は何も検索しなかったと思います。
なので何が一般的な解釈なのか分かってないです。
これからちょっと独りよがりな語りをしますが、もしかしたらいやそれ普通にみんな思ってることですが、になるのかも。もしくは的外れすぎて失笑だったり。
どちらにしろご容赦いただくとして、私の中のあのMVはこんな感じです。

未練は時間の流れを停滞させる。
もう過去だと理解して、巡る季節を何食わぬ顔で過ごしていても、また冬が来て積もる雪とともに積もる時間。巡るだけで進んではいない時間の流れは、切なく苦しいようでどこか心地よい。
その心地よさを整理して決別することで動き出した時間は、一人残された手のひらに温かかった。
っていうようなストーリーの中でキッズそれぞれが未練を抱えた主人公を演じてるわけですが、イエニは違うと思うんです。
衣装の感じも一人だけ異質で、え妖精?みたいな感じだけど、まさにそれなんだと思います。
イエニは「時間」なんだと思います。擬人化された時間というもの。
電話ボックスでイエニだけが受話器を取らないのも、役どころが違うってことを示してるのかなと思ってる。

時間というものは不思議なもので、人間から見れば永遠という長い時間は年輪を重ねた老人のように見えることもある。自分がその姿に近づくことで時間の流れを感じ、寿命が尽きる時に永遠の終わりを見ることができる。
でも時間には始まりも終わりもない。流れることもない。時間が流れるというのは、変化していくものとの相対性の上に存在するんじゃないかと思う。時間というものそれ自体はただそこにあるだけで、不変のものなのだろう。
永遠というものが終わることなく流れ続ける時間ではなく流れることがない時間なのだとしたら、そこに人が描くイメージは老人ではなく若さな気がする。「あの頃」と呼んで切なく懐かしむ姿と重なる、若さ。
でも人に永遠はない。
永遠に似たものがあるとしたら、それは記憶だ。
だからこそあの物語に描かれる時間は、主人公たちよりも年若い姿であることが必要だった。

ってなんか面倒くさげなこと言ってみたけど、あんまり首傾げて考えずに感覚で大雑把に読んで下さい。私は感覚で言葉を連ねる人なので、つまりどういうこと?って聞かれてもむしろこっちが聞きたい状態。(ダメすぎるだろ)

でも頑張ってつまりって言ってみると、時間を擬人化した姿がもう戻れないあの頃のような年頃に描かれることで、時間の無情さと諦められない切なさが増幅してるように感じるって言いたいんだと思います。(思いますって笑)

だけどイエニが持ってる質感が、その切なさをさらにリアルにしてると思うんですよ。
何度も巡る季節の中で、彼女との記憶を追い続ける主人公の姿を見てきたイエニ。


そこにあるのは不変の無情さでも時計の公正さでもなくて、主人公の記憶を辿りシンクロしてみる、永遠しか知らない時間という少年の姿に見えた。

時間に流れてくれる時間はない。変わらず同じ場所にひとり居続ける。それが永遠ということ。

彼らが未練を手放して前に進めば、少年はまたひとりになる。

けれど少年はもちろん理解してる。自分にもまた手放さなくてはならないものがあるということ。


っていうようなアナザーストーリーを生み出す力があると思うんです、イエニの持ってる空気には。

擬人化された時間が少年の姿だってことだけでめちゃくちゃ刺さるのに、それ以上のものを生成してくるんです、アイエンさんという人は。

私はそれが羨ましい。


そしてこの瞬間は、それぞれが自分の手放すべきものを手放した瞬間だと思う。


彼らは未練を手放し、イエニは彼らを手放した。
前に進む者と、ただ公平にそこに存在するものへと戻る。
そして電話ボックスが燃える。

電話ボックスは誰かが火をつけて実際に燃えているというより、決別の象徴として描かれるイメージ場面なのかなと私は思ってる。
そもそも電話ボックス自体が実存するわけじゃなくて、未練を視覚化した象徴的なものなのかもしれない。
でももし火をつけた誰かがいるのだとしたら、それはイエニではないと思う。主人公がその手で燃やさないと意味がないから。自分の手で燃やしてこそ、未練は温かい灰になる。

そして余韻。


最後の最後、この画面が出てくる時まで、ずっと音が聞こえるんだよね。
風の音と、火が爆ぜる音。
これを聞いているのはイエニなのかなって思う。再び歩き出した主人公の小さくなっていく後ろ姿を見送りながら、ひとりその場所に佇んで。恋が終わる音を聞いている。

Winter Fallsはジソンが作った曲だということを差し引いても、私にとって特別な曲です。
琴線に触れるというより、1ミリも外れることなく琴線上で鳴り続ける曲。
そしてそれがMVになると、また別の琴線が交差する。喩え方おかしいけどなんかもうあれです、縦の糸はジソン横の糸はイエニ。ものすごいものを織りなしてしまった感じです。
もう解釈というより物語なんですが、こうやって人の中に物語を生み出させるっていうことはすごいことなんですよ。
このものすごい資質をイエニに感じてる人はきっとたくさんいると思うけど、でも食パンの魅力を紹介する時に見せるのってだいたい中のふわふわもちもち湯気ほんわーみたいなところじゃないですか。
確かにそこは素晴らしく魅力溢れる部位です。(部位・・・?)
だけど今回はあえて違うところを書いてみました。
食パン以上にアギパンは耳まで美味しい。
もはや遠いパンの日にちなんでそれをアピールしたかった・・・わけではないけど、いつか言葉にしてみたかったイエニの感触です。
全然誕生日おめでとうな内容ではないし半分以上曲の話な気がするし、そして何より1ヶ月半以上遅れてるっていうどうしようもないセンイル記事ですが、最後はやっぱり言わせてください。


イエニ、誕生日おめでとう。
何も添加物がない君の笑顔が大好きです。









おまけ。
あともう一つ、どこかで言わせていただきたかったこのやばイエニ。
樂ティーザー写真って全員の全部が全部とんでもなかったけど、ジソンを別枠にすれば、一番くらったの私はこれだと思う。


角度問題。

まじでジソンじゃなくてよかったと思った。


ちなみにイエニのこういう感じも大好物です。