残る想いを飛ばした風の音も、沈黙の耳の奥で鳴る風の音も。

ノイズキャンセリングのイヤホンを外した耳朶にふと感じる風の気配も。

8人にしか分からない。

でも8人には分かるんだ。

風の音も匂いも、飛ばされそうになる気持ちも。

だから一人だけ飛んでいったりはしないんだ、きっと。



やっとステイウィーク真っ只中の私です。

感心したり笑ったり拝んだり(どこ)、レコーディング風景やペンミのビハインドを見て、そして。

SKZ LOG。

前半の車内部分だけでこれ何回連載したらいいんだろうってくらいおかしすぎて、私明日ハローワークの駐車場にコナンで登場するかもと思った。(窓は閉めろ)

到着してもサイコロにカラオケに大騒ぎ。

ほんとうにうるさい。

まぁそれが君たちのいいとこよ。

だけどここから、私の中で流れが少し変わりました。



みんなで一緒に住んでた時って言葉で軽く感傷的になったけど、昔のステージ動画を見たりしたって、え、どれくらい昔のを?もしかして9人時代のを見たりしますか?と気になって。
そしたら普通にミューバンのD9とか見始めて焦る。
それが嫌だってことでは全然ないです。
ただ私にとってはタイミングが微妙だった。少しばかり、考えていたことがあったので。
で、当のキッズはと言うと。
「リノさんは老けないね」
「わあハンさんは本当に防腐剤が入ってるみたい」そっか私も入れよう!←
「スンミンさん本当に可愛いね」
普通に楽しそう。
いや、いいんです。
笑って懐かしむことができる思い出であってくれてよかったと思う。
だけどさ。
それは9人の思い出なのかなって思った。
ウジンの姿が目に入っても触れられないのはもちろん分かってるけど、カメラがなくてもそうなのかな。笑って語るのは今ともにいる8人のことだけなのかな。
そうかもしれないし、そうじゃないかもしれない。どちらにしろ、キッズの中にとどめておいていいと思う。
だけど私は少し、本当のところを知りたいと思った。
私の中の9人時代の記憶もだいぶぼんやりしてきたけど、鮮明に残っている場面はいくつかあるしそれはこの先もずっと変わりはしないのだろう。
語ることはたぶんないけど、私の中から失われることもない。(いや加齢には抗えないかも←)
キッズの胸の内はそう簡単ではないのだろうけど、でもそういう風に、口にはしなくても変わらず懐かしむものが彼らの中にもあるのかな。
なんて。
ただ単に答えを聞いてみたいっていうよりはほんの少し、そうであって欲しい気持ちに傾いていたんだと思います。
だけどそれはウジンとは関係ないことなんです。

ここまで書いたこともコナン以外はだいぶ悩みつつ書いたんだけど、これから書くのはこういう話をするべきじゃないと何度も自分を押し止めてきたことです。
それを書くことにしたのは自分の中でその先の答えが見えたからなんだけど、それでも誰かを不快にさせてしまうのかもしれません。
ステイ全般にあまりおすすめしませんが、ジソンペンには特におすすめできません。
大丈夫そうなら続きどうぞ。(誰も大丈夫じゃないのでは・・・)

私の知ってる中では、グループを去った人のことを残ったメンバーが口にすることはほとんどない。言いたくないというより言えないからなんだろうけど。
再スタートしたメンバーの人数が強調され、去ったメンバーの痕跡は薄れていく。
再スタートするというのはそういうことだし、推し続けていくならペンもそれを受け入れることが必要だと思う。
だから私はウジンが脱退した時一度は去りました。
それを呼び戻したのがジソンの活休だったんだけど、その時からずっと常に無意識に備えてる。ジソンにはこういう時がまた来るかもしれないって。
そしてS-Classのカムバ期、そういう時が来たんだと思った。(実際のところは分からないよ。ただ私がそう思っただけ)
でもジソンは踏みとどまった。
踏みとどまったからこそペンの反応もいろいろ目にしただろう。
それがジソンの力になったのか負荷になったのかは分からない。
過剰な心配も大袈裟な賞賛もよくないと私は思った。でもすべてを自分の中にとどめておくことができなくて、なんかポエムを吟じてた気がする・・・。
本当は言葉を選ばずに書き殴りたいことがたくさんありました。
休んでいいんだよ、と思った。
でも2回休んだら3回目はもう違う気がする。活動休止って言葉じゃなく、受け入れ難い言葉を聞く気がする。
いや。いやいやいや。
考えすぎだ。
飲み込め。
はぁ。
・・・・・・。
あ、10分経った。←ペンスタ。本当に心の支えだった。

そしてS-Class活動終わりから間もなくのペンミ。
低い位置で安定してると思った。
それでいいんだよと思った。
自分自身に向けて歌ってると感じたチャラゴイッソ。
それでいいんだよと思った。
ジソンはジソンなりにペンミを楽しんでると思ったし、ジソンに合わせたメンバーやスタッフの気遣いもあったと思う。
でもそういう光景を見ながら私は、もしもジソンがここを去る日が来たとしても、「うん分かったよ、お疲れさま」って言えるんじゃないかなって考えてた。
それは予感というわけではないです。
ただジソンに自分が思う道を行って欲しいと思った。その選択肢の一つとしての「ここを去る日」なんだけど。
なんでそんなことを思った?と聞かれても、自分でもよく分かりません。
でもたぶん、これだと思う。前に私が書いたこと。
ジソンがここを歌った時、ジソンの中に何かが生まれた気がした。
生まれたというか、しばらく微睡みの中にあったものが少し目を開いたというか。
その目を閉じさせたくなかったんだと思う。
もちろん今いる道がジソンの思う道であって欲しい。
でももしも違う道を選んでも、分かったよって言えると思う。その道の先で毎日君がどうしているのか知ることができなくなっても、よくやってるよジソンって、毎日言ってあげたいと思った。

でもその思考の先でふと思ったことがありました。
ジソンがいなくなったスキズを、私は同じように推していけるのか。
7人の、7人で、7人なら。
ウジンの時とは事情が違うとしても(いやそもそもウジンの事情も真実不明だけど)、そうやって去った人の痕跡は消されていく。
スキズのみんなが好きだよ。大好きだよ。
でも無理かもしれない。
いやそんなことはない。
一人一人も好きだけど、スキズというグループが生み出すものに、きっと私は惹かれ続ける。
だけど。
8人のスキズを受け入れられなくて去ったという前科が・・・ああ・・・あ、あ・・・
ハイッ!考えるのやめー!こんなの全部もしもの話ー!
と、無理矢理思考をぶっちぎって約1ヶ月後。
リストリーミング。
振り出しに戻る。

だから8人で9人時代の動画見てるのがちょっと複雑だったんです。
9人映ってても8人にしか反応しないのは当たり前なんだけど、でもなんかね。
自分の頭の中の「もしも」を重ねてしまって。
口にはしなくても変わらず懐かしむものが今もあるって答えを、少しだけ期待してしまった。

だけどそんな私の勝手な「もしも」を全部残さず吹き飛ばしてくれた場面がありました。


こんなに静かなキッズを見たことない気がする。
まるで静止画のようだった。


だからこそ、この沈黙が語るものがとてつもなく大きかった。
ソウルコンで流した涙も大きかったけど、それから短くはない時間が経った今、こうして想いを語るのが言葉ではないってことが胸を抉る。

私は何も分かっていなかったなと思った。


風が吹いている。
この沈黙の中で、8人にしか聞こえない風の音が鳴っている。

レバンタールは少年を旅立たせる。

「風が吹き始めた。彼はこの風を知っていた。人々はその東風をレバンタールと呼んでいた」
「彼は今まで慣れ親しんできたものと、これから欲しいと思っているものとのどちらかを、選択しなければならなかった」
「自分をしばっているのは自分だけだった」
(パウロ・コエーリョ「アルケミスト」)

だけどキッズに選択の余地はなかった。
レバンタはあまりにも辛く苦しい、始まりの風だった。
風は今も吹いているのだろうと思う。
8人にしか分からない音を立てて。
その音が彼らを固く繋いでいるのだと思った。
思い出は過去と過去を繋ぐ。直面している今ではないから懐かしさに慰められる。それは大切なものかもしれないけど、今じゃない。
今自分を縛るのは自分だけ、そして自分を繋ぐのは仲間だけなんだ。


きっと誰も去ることはない。
1人が飛ばされそうなら、7人がそこに合わせて飛ぶから。
だから1人で飛ばされはしない。


風はいつも吹いている。
彼らはこの風を知っていた。
LEVANTERという始まりの風。
吹き終える時も8人の頬を撫でる。






と、ポエムで切り上げてみましたが。
まだ吹き終わらない書き終わらない。
でもこれから数日間旅立ちます。
なので一旦上げるけど、またいずれ戻って来ます、チャンビンの背に乗って。(間に合わないと思うから言っておく。誕生日おめでとうー!)


おまけ。
どんな時もここにはジソンの居場所があると思った、なんてことはないけど心地よい光景。


フードごとすっぽり収まる安全地帯。
ここがいちばん安心。