今回は、みうらじゅん憑依で綴る。
症例Nとして、尊厳は失わずにいたい。
父が学んだ阪大医学部解剖学教室にあった額。
屍は活きている師である。🚫逆読みは即ち...
壺は割れ、元に戻らず 別を成す 七五調🎶
🧠「脳灸」No.9
僕の人生、時系列がもう「璇璣図」みたいに入り組んでましてね。整理すると、これがまた凄まじい「執着」の物語なんですよ。青字の🔗先、踏んでってね!四次元曼荼羅よ。
始まりは1981年、17歳の多感な時期に、指の反抗期「ジストニア」が始まったんです。そこから僕は、楽器を離れて「後生畏るべし」なんて言い訳しながら、一介のソルフェージュ講師として余生を過ごす準備をしてたわけ。で、1999年、12年のブランクを経て、🇨🇭「The Victoria Hall」のステージに立たせて貰った。ご縁には恵まれた。実力は来世。
ボッシュ先生という🌹 の周りの僕は霞草。ブランク12年の即興演奏を許されたんです。イソヒヨドリを迎える、天国のコラール。鳥のカタログのイソヒヨドリは日本のそれとは、全く異なる。蝉の鳴き方が日仏で違う様に。主導権が渡ると、怖かった。ステージまで、段取り下さったご寛容に🙏 僕もこの時の教授の年齢、耳順を超えた。
で、更に20年。還暦を前にして僕はついに決断!あの『最後の講義』で「どうせ死ぬ時は脳を焼く」と豪語した通り、先取りして脳を焼く脳灸(やいと)を据えたんです。🎹を弾きながらの尖頭手術。 あの山本宣夫様に特注したオペ持込み🎹が却下された事は、無念である!
手術した結果が「角を矯めて牛を殺す」指が動かなくなった時は、こりゃペルシャの王様の壺じゃん、と思いましたよ。38年掛けて繋ぎ合わせた🏺を「こんなものっ」と叩き割った。神経回路に可塑性はない! 割れた🏺を新たな回路で🧩作り替える?執着という名のもう狂気の沙汰。いやぁ僕の脳味噌、罹患44年で焼きが回った。
追記:みうらじゅん「最後の講義」を手術を待つ間、繰り返し視聴。推敲中。



