ここにもいた、「役に立ちたかった私」。 | Mayumiのブログ

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心屋塾マスターコース14期修了。
カウンセラー活動をしないまま、なんか知らんけど37期アスターコースのアシスタント、そして、ご縁があって結婚(*^^)v

ただいま、またまた73期のアシスタントしております。

今日は半日勤務。
パスポート取りに行ってきました。

Mayumiです。

海外逃亡していいって(笑)
お墨付きもらった~♡





お昼食べて、久しぶりに、
献血してきました。





気がついたら、もう前回は去年の3月。

以前は年に4から5回くらいやってたのにね。


ここのところ、
半日勤務の後は、
「昼飲み」を楽しんでたから、
献血しようと思いもしなかった( ̄ー ̄;




ぢんさんが献血してるの見たり、
旦那さんが献血して帰ってきたりして、

そういえば最近やってないな、って思ってね。


私、ほそっこいので(←自分で言う⁇(笑))、
貧血っぽく見られるのだけど、

過去にできなかったことないんだよね(*^^)v


大学病院の病棟勤務時代、
「湯水」のように「輸血」を使ってた。

本当に、
湯水のように。

こんな風に使われているなんて、
想像もできないように。

それに、
輸血がなければ、
生きていけない人をたくさん見てきた。


献血することが、
献血してもらうことが、
大変なこともわかっていたから。

だからこそ、
できるなら、
できる限り、献血をしよう。

そう思ってたのかも。


しかも、少しでも、
自分が、
「役に立ってる感」欲しかったんだろうね。

あんな風に使ってること、
罪悪感だったんだろうね。


クリニック勤務になって、
「輸血」を使わない現場にいるようになって、

少し感覚が薄れてきたのかもしれないね。


相変わらず、
採血で人には刺してるけど(笑)

今回は、
「たまには、刺されてみるか( ´艸`)」
みたいな感覚。

ほんと、上から目線(笑)


血液は、
今の医学では作り出すことができない。

もし作れるようになったら、
きっとノーベル賞だろうね。

心の持ちようで「病気」という概念がなくなるのと、
さて、どっちが先か。


輸血が、
献血が、
必要のない世の中に、
早くなってほしいね。

そんなこと思った、
今日の午後でした(*v.v)。