ちょい乗り遅れたけど、
5日の土曜日、
ゆかぽん主催の
岸見先生の講演会、
「アドラー心理学から学ぶ、恋愛と結婚」講演会
に行ってきました。
Mayumiです。
ちょうど「幸せになる勇気」が出版されたばかりで、
先週の京都に向かう新幹線の中で読み始め、
木曜日くらいに読み終わったばかり。
申し込みの時点では、
まだ籍も入れてなかったけど、
講演会の日には、入籍してるからって、
旦那さんの姓にして申し込みをしてみた(/ω\)
もうさ、まだまだ見慣れなくて、
電話とかだと、
ちゃんと苗字言えるんだけど、
自分の名前フルネームで言おうとすると、
何だかつっかかる(笑)
何でだろう⁇(・・;)
まぁ、いいか(笑)
さて、講演会。
何が面白かったって、
ちょいちょい挟まれる、先生のシュールなひとこと。
マスター同期のけいちゃんと一緒に、大爆笑。
穏やかな語り口なのに、
さらっとシュールなことが織り交ぜられてて
いいわぁ~( ̄▽+ ̄*)
先生が心筋梗塞で入院されたときの話には、
あやうく泣きそうになったけど(ノω・、)
私に響いたのって、
質問のコーナーで、
「自己犠牲」っていう言葉が出てきたとき。
私ずっと、自己犠牲してきたな。
「私が我慢すればいい。」
「私が患者さん助けなきゃ。」
「誰もやってくれないから…。」
等々。
元彼にも、職業でも、
やってたわ~(_ _。)
承認欲求強すぎるし、
課題の分離できてないし。
あ~、残念、って感じY(>_<、)Y
今は、その感覚かなり減ってて、
やりたくなきゃやらないし、
そもそも患者さん助ける気がない(笑)
(↑治療しないってことじゃないよ)
自分が病気であることでメリットがあったり、
家族を病気にしていることで、自分を保っている人がいたり、
そういう人がいる、ということがわかったから、
距離を取って観察することができるようになってきた。
自分の承認欲求のために、
患者さんを、「助けなきゃいけない人」に仕立て上げることをしなくなった。
そのうち、看護師やめたくなるのかもしれないね(笑)
「嫌われる勇気」を読んだときに、
かなり衝撃だったけど、
結局は自分。
自分が選択をしてる。
過去がどうであれ、
親子関係がどうであれ、
「じゃあ、これからどうしていきますか⁇」
自分で選択をしていかないといけない。
それを教えてもらえた本だった気がする。
ほんと劇薬(><;)
一度知ってしまったら、戻れない(笑)
でもそのくらいに良薬かもしれないね。
私も「だめんずメーカー」だった(過去形にしとく(笑))けど、
そこから脱却できてきてるのかもな~(*゚.゚)ゞ
一番印象に残っているのって、
「人は『対等』な関係。
それは親子であっても。」という言葉。
どっちが上でも、どっちが下でもない。
人は、人として「対等」。
「褒める」という行為は、
上から下にしていること。
同格なら、
「ありがとう。」でいいはず。
妙に納得ができた。
コツ塾でも、同じようなことを言ってた。
「対人関係は、『半円』をやりきること。」
人と人は、二人で一つの円。
相手の領分まで入ってしまうとうまくいかない。
相手に入られてしまってもうまくいかない。
対等感ってそういうことなんだろうな。
いかりんもFBで
「人は平等に生まれないけれど、対等」
って書いてて。
より、腑に落ちた気がする。
三方向から、同じような情報が入ってきた。
信じないでいるなんて、無理無理(笑)
この今の時期にこの講演を聞けて、
本当によかった。
この先の自分の指針になるからな~。
岸見先生、ゆかぽん。
スタッフの方々。
本当にありがとう(≧▽≦)