対等であること。 | Mayumiのブログ

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心屋塾マスターコース14期修了。
カウンセラー活動をしないまま、なんか知らんけど37期アスターコースのアシスタント、そして、ご縁があって結婚(*^^)v

ただいま、またまた73期のアシスタントしております。

ちょい乗り遅れたけど、

5日の土曜日、
ゆかぽん主催の
岸見先生の講演会、
「アドラー心理学から学ぶ、恋愛と結婚」講演会
に行ってきました。

Mayumiです。

ちょうど「幸せになる勇気」が出版されたばかりで、
先週の京都に向かう新幹線の中で読み始め、
木曜日くらいに読み終わったばかり。





申し込みの時点では、
まだ籍も入れてなかったけど、
講演会の日には、入籍してるからって、
旦那さんの姓にして申し込みをしてみた(/ω\)

もうさ、まだまだ見慣れなくて、
電話とかだと、
ちゃんと苗字言えるんだけど、
自分の名前フルネームで言おうとすると、
何だかつっかかる(笑)

何でだろう⁇(・・;)

まぁ、いいか(笑)


さて、講演会。

何が面白かったって、
ちょいちょい挟まれる、先生のシュールなひとこと。
マスター同期のけいちゃんと一緒に、大爆笑。

穏やかな語り口なのに、
さらっとシュールなことが織り交ぜられてて
いいわぁ~( ̄▽+ ̄*)

先生が心筋梗塞で入院されたときの話には、
あやうく泣きそうになったけど(ノω・、)

私に響いたのって、
質問のコーナーで、
「自己犠牲」っていう言葉が出てきたとき。

私ずっと、自己犠牲してきたな。

「私が我慢すればいい。」
「私が患者さん助けなきゃ。」
「誰もやってくれないから…。」
等々。

元彼にも、職業でも、
やってたわ~(_ _。)

承認欲求強すぎるし、
課題の分離できてないし。

あ~、残念、って感じY(>_<、)Y

今は、その感覚かなり減ってて、
やりたくなきゃやらないし、
そもそも患者さん助ける気がない(笑)
(↑治療しないってことじゃないよ)

自分が病気であることでメリットがあったり、
家族を病気にしていることで、自分を保っている人がいたり、

そういう人がいる、ということがわかったから、
距離を取って観察することができるようになってきた。

自分の承認欲求のために、
患者さんを、「助けなきゃいけない人」に仕立て上げることをしなくなった。

そのうち、看護師やめたくなるのかもしれないね(笑)


「嫌われる勇気」を読んだときに、
かなり衝撃だったけど、
結局は自分。

自分が選択をしてる。

過去がどうであれ、
親子関係がどうであれ、
「じゃあ、これからどうしていきますか⁇」

自分で選択をしていかないといけない。

それを教えてもらえた本だった気がする。

ほんと劇薬(><;)

一度知ってしまったら、戻れない(笑)

でもそのくらいに良薬かもしれないね。


私も「だめんずメーカー」だった(過去形にしとく(笑))けど、
そこから脱却できてきてるのかもな~(*゚.゚)ゞ


一番印象に残っているのって、

「人は『対等』な関係。
それは親子であっても。」という言葉。

どっちが上でも、どっちが下でもない。
人は、人として「対等」。

「褒める」という行為は、
上から下にしていること。

同格なら、
「ありがとう。」でいいはず。

妙に納得ができた。


コツ塾でも、同じようなことを言ってた。
「対人関係は、『半円』をやりきること。」

人と人は、二人で一つの円。
相手の領分まで入ってしまうとうまくいかない。
相手に入られてしまってもうまくいかない。

対等感ってそういうことなんだろうな。

いかりんもFBで
「人は平等に生まれないけれど、対等」
って書いてて。

より、腑に落ちた気がする。

三方向から、同じような情報が入ってきた。

信じないでいるなんて、無理無理(笑)


この今の時期にこの講演を聞けて、
本当によかった。

この先の自分の指針になるからな~。

岸見先生、ゆかぽん。
スタッフの方々。

本当にありがとう(≧▽≦)