昨日は、飲み仲間とポールポッツのコンサートに行き、
撮影禁止の合間に撮った、奇跡の一枚(^^)v
オーケストラとの競演に感激し。
(「Let It Go」をあのフィルと競演できたら気持ちいいだろうな~(笑))
今日は午後から、観劇に行ってきました・・・。
マスター合宿から帰ってきてまったく片付けできてません(汗)
合宿のこと、少しはUPしないとな~と、思いつつ。
まぁ、いいね(笑)
行ってきたのは演劇集団キャラメルボックスの
「無伴奏ソナタ」
という作品。
http://www.caramelbox.com/stage/mubansou-sonata2014/
あらすじは、
すべての人間の職業が、幼児期のテストで決定される時代。
クリスチャン・ハラルドスンは生後6ヶ月のテストでリズムと音感に優れた才能を示し、2歳のテストで音楽の神童と認定された。
そして、7歳の時、両親と別れて、森の中の一軒家に移り住む。そこで自分の音楽を作り、演奏すること。
それが彼に与えられた仕事だった。
彼は「メイカー」となったのだ。
メイカーは既成の音楽を聞くことも、他人と接することも、禁じられていた。
ところが、彼が30歳になったある日、見知らぬ男が森の中から現れた。
男はクリスチャンにレコーダーを差し出して、言った。
「これを聴いてくれ。バッハの音楽だ……」
禁じられたことをすると、処罰が下る。
そしてその職業から離され、他の職業につくように訓練される。
それでも、クリスチャンは音楽の才能を隠しておくことができず・・・。
彼は、ウォッチャーという監視者に見つけられ、処罰のために指を切り落とされ、声をつぶされる。
処罰を行うときに、ウォッチャーが言う言葉。
「法律を破ったものには処罰が下る。あなたたちは法律を守っているから幸せに暮らせる。」
というせりふ・・・。
すごく違和感だった。
幸せって、誰かが決めることなの?
幸せって、政府が決めることなの?
そもそも幸せって、人によって感じ方違うよね。
誰かに決められることではないよね??
って。
指を切り落とされても、声を出せない状態にされても、クリスチャンは音楽に触れていることが幸せだった。
その人にとって、
どれだけ制限をかけられている状態でも「やりたい」と思うこと、
それができることが「幸せ」なんじゃないかな、と。
そんな風に思った。
きっと、観る人に「幸せって何?」っていうことを、突きつけるお芝居なんだなぁと。
キャラメルには珍しい、ハッピーエンドで終わらない作品。
初演を見ていないけど、考えさせられる作品だった。
おっきな気づきの後には必ずキャラメルに行っている気がする。
すごいね~(*゚ー゚*)
観終わってから、友人とごはん。
こんな
「表面張力」のスパークリングワイン。
うまうま(笑)
大学時代からの友人だから、元彼の話になった。
「あんたの性格なら、相手に何を言われてもやりたいことやると思ってたけどね~。」
「なんでそう自分殺しちゃうかな、って思ってたんだ。」
「あんたらしくないな、と思ってたんだよね」と。
はいはい、イタイイタイ(。>0<。)
何でだか、あの時はできなかった。
相手にあわせてあげることが、あのときの私は幸せだと思っていた。
そうすることが当たり前だと思ってた。
彼が仕事をしているときに、海外でのほほ~んとできなかった。
「行っちゃうの??」っていう言葉を、勝手に解釈した。
ただそれだけのことなんだよね。
でも、それがだんだん苦しくなって来て、うまくいかなくなって、結局は別れることになった。
今なら、絶対にしないと言える。
「お仕事がんばってね~。私ちょっと行きたいから行って来るね(≧▽≦)」って言える気がするんだ(^_^)v
マスターで出てきた「気づき」の話をしたら、
「そんなん、気を遣わないで言えばいいのに。
そういうところに行かないと、言えないことじゃないでしょうに。」ってさ。
↑決して心屋否定してないよ(笑)
そうだよね。
友人からしたら、そう言いたくなるよね(笑)
今までの友人たちに、言ってみたらたいしたことではなかったのに。
自分で勝手に気を遣いすぎてた。
もっと甘えてよかったのに、自分から距離を置いていた。
友人の一言、
「そんな自分の感情は出していいの。
あんたの周りの人は、あんたが言ったことだけで判断しないだけの人生経験してる人ばっかりだよ。」と。
はぁ~。
お疲れ様、自分。
どれだけ周りを信じていなかったんだろう。
どれだけ自分を信じていなかったんだろう。
心の勉強をするようになって、
いろいろなことを話ができる友人やマスターの仲間ができたことはうれしいけど、
何よりも、今までの人間関係の関係性がまったく違う。
そのことを確認できることが、今は何よりもうれしい(≧▽≦)