自分に返ってきちゃったわ(苦笑) | Mayumiのブログ

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心屋塾マスターコース14期修了。
カウンセラー活動をしないまま、なんか知らんけど37期アスターコースのアシスタント、そして、ご縁があって結婚(*^^)v

ただいま、またまた73期のアシスタントしております。

ソチオリンピック、観たいけど時差がねえ・・・。
眠い日々を過ごしております(-"-;A

私が楽しみにしてたのは、
・カーリング
・フィギア
・ジャンプ

かな(≧▽≦)

羽生くん、すごかったね。
でも、試合後の記者会見の方が、印象的だった。

ちょっと長いけど、新聞記事から抜粋します。

日本男子初の快挙にもかかわらず、記者会見場の羽生選手に笑顔はなかった。

自らも震災で被災した。「被災者である自分がメダルを取ることで、傷ついた日本を元気づけられれば」と、これまでも公言してきた。しかし、実際に頂点に立つと、「メダリストになっただけでは、復興の手助けにならない。何も出来ていない無力感を感じた」と心境を正直に話した。

2011年3月11日の震災発生時は、仙台市内のリンクで練習中だった。氷が波打ち、壁が壊れる中、スケート靴を履いたまま逃げた。市内の自宅も壊れ、家族4人が避難所で過ごした。

「震災後は生活することで精いっぱい。スケートができなくて、やめようと思っていた」。声を絞り出すと、その場は金メダリストの記者会見とは思えないほど静まり返った。

練習リンクは壊れて一時閉鎖に追い込まれ、全国のアイスショーを転戦し、練習場所を確保した。12~13年シーズンから、練習拠点をカナダ・トロントに移した。世界で戦う力をつけたいと考えた末の苦渋の決断だったが、「本当はずっと仙台で練習したかった。震災が起きたところから離れて良かったのか」と、揺れる思いをのぞかせた。

練習環境の良いトロントに移って、わずか2シーズンで世界の頂点に立った。「日本で、世界中で応援してくれる皆さんの思いを背負って、表彰台の真ん中に立ててうれしかった。恩返しが出来たんじゃないかと思う」。落ち着いて、そう話した羽生選手。今後も、金メダリストとして、被災地の復興に取り組んでいく。

金メダリストの記者会見だよ、これ(・・;)
切なくなっちゃった。

でもな、無力感わかる気がする。
私も持っていたし、まだ残っている気がするから。

「ここにいていいのかな」って思っていたから、
産まれてきたことがよかったのか、
そう思っていたから。

自分よりも環境の悪い人たちに、何か手助けをしないといけないと思ってた。
看護師であるからこそ、患者さんを助けなきゃいけないと思ってた。

自分が、恵まれている環境であればあるだけ、苦しくなってたんだよね(_ _。)

こんな私が、いい生活をしてはいけない。

そんな風に思ってたんだよね(><;) 

私は、自己否定から無力感出てきていたけど、
羽生くんはそんな風に思っているとは思わないけどね。
そこは同じではないと思ってるけど。

でも被災したのに、自分だけが好きなことをやっていることに、
きっと罪悪感持っちゃったんだろうな。

読んでてさ、

もっと楽しく滑ってほしいな~。
楽しく滑ってくれるだけで、私たちは充分受け取ってるよ~。
好きなように滑っていいよ~。
充分、勇気もらったよ~。

そんな風に思った。

でもね、これって、
ある意味自分に言いたいことだよね。

好きなように、好きなことしていいよ。
楽しいことしていいよ。
それだけで、周りは勝手に受け取ってくから。

・・・、流れ弾じゃなくて、
自爆?
誤爆?
(><;)

自分に返ってきてしまいましたY(>_<、)Y