どう映っているのか?


等身大の自分と

ホロスコープ上の

DC(ディセンダント※以下省略)

という点の関係性を

より深く知ったことで


受け入れ難い事実を

突きつけられた気がした。


私は ずっと

その事実から目を逸らして

生きてきたんだなぁ。


その事実から なるべく遠くを目指し

まるで そんな事実なんてない

とでも言うように 生きてきた。


心の内側では ずっと

その事実が 突き刺さり

離れたつもりでも 無くなりはしないのに。


DCの様な人と

出会うたびに

私の心は チクチク痛み

それでも 私は もう違うと

その頃の私ではないと

自分を誤魔化し 生きてきた。


私は 何から解放されたいのか

父を 何から解放してあげたいと

思ってきたのか。


私が見てきた家庭が

すべてを 物語っていた。


これに気がついた今

DCが表す 自分とは真逆の他者を

受け入れない限り

自分の中は調和しない。


私は DCの質をもつ人ではない。

けれど

等身大の自分と DCの人

その2つの質を

ちゃんと受け入れたとき

私は 本当の意味で

私として 存在する。


出会う人は鏡と言うけれど

出会う人を通して

自分を真っ直ぐに見る質が

育っていないと

鏡の見方を間違うことに

なるのだなぁ。


鏡の性質を よく理解すること。


これが大事なんだなぁ。


今後 このような話もしていこうとおもう。

次回をお楽しみに♡