私たちのオープンキャンパス
とても恥ずかしいが
記事にしておこう。
NSKのオープンキャンパス。
全然申し込みがなかった。
土曜の午前中もあるが
今のところナシだ。
明るい出だしだけど
落ち込んでるよ。
申込がないと書くのも
恥ずかしい。
まあ、がっかりしながらも
昨日と今日
オープンキャンパスを
やっていたであろうその時間
さわ氏と打合せをしていた。
こんなふうにストップが
かかっている場合は
毎回私たちの中に
見なければならない何かがある。
これも経験済み。
ひとまず
それぞれの近況を話しながら
手放し案件が続々と出てきた。
時間をかけて対話をしていくと
「このままの状態では
NSKをお主らに任せられない」
とでもいわれているような
そんな内容になってきた。
そして
NSKとは自分たちにとってなんぞや。
NSKではどうあることが大切なのか。
そもそもNSKを続ける気があるのか。
などなどお互いに
質問する流れまでやってきて
何者かにNSKを
レクチャーされているような
そんな感覚になった。
そう、何を隠そう
「NSKオープンキャンパス」は
私とさわ氏への
申込みがない理由も含む
再講義のためのものだった。
(それが分かったとき大笑いしたよ)
自分たちで
募集記事を出し
参加者は自分たち。
アホみたいな自作自演。
なんともまあ…トホホな案件だ。
しかし
NSKでの自分たちのスタンスの確認。
つねにどう在ることが大切なのか。
ガイドといえど特別視はなし。
どんな状態にあっても
ベクトルの向きは自分。
厳しい講義だったけど
自分の未熟さが顕になったけど
とてもいい講義だった。笑
おかげさまで
自分たちの土台を見直す
チャンスを与えられ
ありがたいかぎりだ。
どんなことがあっても最善。
感情を持っていかれることもあるが
(虚無もやってくる)
状況に振り回され続けることなく
立て直す知恵もある。
一人では気づけないことも
NSKの仲間がいることで
自分を客観視することができる。
そんなことが分かった
オープンキャンパス。
すべては
やってみないと分からない。
行動してはじめて
フィードバックがやってくる。
そのフィードバックこそ
自分を知る術だ。
失敗を
失敗じゃなかったとは言わない。
残念な気持ちを
隠したりもしない。
恥ずかしさもさらけ出す。
けど私だけは
その気持ちに寄り添う。
「がんばり屋さん」は卒業だよ。
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