ワタシがワタシを躾ている


「言いたいことが言えない」


これは、自分に

「言いたいことを我慢させる」

行為だ。


自分に厳しく躾をしている状態。


私のかつての話をしよう。


私も言いたいことを

我慢させてきた勢(ぜい)。


黙ってさえいれば

日々の暮らしは安泰なのだからと


「ケンカするのがめんどくさい」


と、もっともらしい言い訳を

自分に課して

言いたいことのほとんどを

我慢して生活をしてきた。


そのうち、

彼が何を考えているのかも

分からなくなるくらい

ケンカだけでなく会話もなくなった。


そして、

彼の考えていることなどは

お構いなしに生活した。


ある時点からワタシは

自分の気持ちを

我慢しないと決め

それを口に出し始めた。


その後、家の中に

不穏な空気が流れ始めた。


そのうち、

生活費を減額され始め

最終的に生活費はもらえなくなった。

彼は、突然家を出た。


これが、

旦那との関係で

起こっていた事ではなく


自分の内側の

"自分と自分"のやり取りだとしたら?


どれだけ自分が

自分を無視して

気持ちを抑えさせたり

突然言いたいことを言えと

言わせてみたりして

勝手に自分をコントロールして

生きてきたのか…。

そんな自分に愕然とした。


これが、

NSKを始めたきっかけだ。


そもそも、

旦那が家を出た時点では

NSKは存在していない。


だから、

この事象はどういうことなのかと

友人(後の仕事のパートナー)との間で

一つ一つ確認作業のように

検証するために

お互いの内側を見せあった。


そのプロセスがNSKなのだ。


「言いたいことを言えない」


ここから


「言いたいことを言う」


逆振りしたとて

根本を変えなければ

変わらないということが

わかった。


それからは、

本気で自分と向き合った。


自分自身と仲良くなるために。


そして、

お仕事のパートナーである

友人との間でも

思ったことは伝えるを実践した。


どんなフィードバックがあっても

自分の内側に目を向けた。


このスタンスがNSK。


こうやって自分と対話を続けてきて

今思うのは


「ワタシはワタシのことを知らなかった」


ということ。


「あなた誰?」と言いたいくらい

知らない。


そりゃそうだ。

ワタシは、ワタシを

無視して生きてきたのだから。


これからも新しいワタシとの

出会いをし続けるだろう。

なんせ、

何十年と無視し続けたのだから。


「あなたは誰?」

「どんな自分も許せるかしら?」