どうでもいいを感じる


「私の世界が無になった日」


note更新しました。



私は、要所要所で星野源好き期間が浮上しているのだが、今回もまた「再浮上」。


コロナになって、今までの何もかもに興味関心が向かなくなった瞬間に浮上。


お誕生日が一日違いのおげんさん。

改めて、水瓶座的おげんさんの感覚を通して、私自身を眺めている。


そんな中、Netflixの「エミリー、パリへ行く」を観始め、まったく価値観の違う国の人同士の会話を覗いていると、「私は何に価値基準を置いて生きているのか?」ということに向かわざるおえず、また、深く自分を知る機会を得ているのであった。


 2023年は、数秘でいうところの『7』の年だそうだが、自分と向き合うということをトコトンやらされている。


特に9月は、それが顕著に現れている。

はあ、私は一体どこへ行こうとしているのやら。


病中、すべてがどうでもよくなった私が思うのは、「自分の内側以外に自分を突き動かすものはない」ということ。

何か欲するものが湧いてくるまでは、待つしかない。

そう思った。

結局、無理やり取りに行ったって、本当に欲しいものかどうか分からない。

なら待つしかない。

(今までの私は待てなかったんだけどね)


そして、今感じてるのは、世の中に溢れる人の言葉には、本人も気づいていないのか、心の声が行間からあふれていたりする。

本心だといっているその裏に、まだ本音が隠れている。

本当の自分の声が漏れ出していることに、気づいているのだろうか。

と思いながら、スマホの画面を閉じることが多くなった。