超今さらですが”RE_PRAY”ドキュメンタリー、素晴らしかったですね。

(今日は昨日の佐賀公演の話しでしょ!という空気は読まず)

羽生くんは頭がいいだけじゃなくて、思考も柔軟なんだなあといつも思います。

最近で一番それを感じたのは、YouTubeで初めて「Goliath」を見た時です。

ラストでカメラにぶつかっていくというアイディアには本当に驚きました。

競技時代のプログラムも、決められたルールの中にもかかわらず

何度見ても見飽きないものばかりで驚きの連続だったのに

ルールがなくなった今もその才能に圧倒されるばかりです。

 

羽生くんがフィギュアスケーターとして史上最高の存在であることは

羽生くんを知る世界中のほとんどの人の共通認識だと思います。

でもファンの認識はそれだけじゃないし

彼のスケートはもちろん、慈悲深さ、ストイックさ、聡明さなど

知りうる限りのほぼ全てが好きだし愛おしいので

ついついアツく語ってしまったり(私ですすみません)

ついついポエミーなことを口走ったり(私ですすみません)するので

ファン以外の人たちからはいったいどう思われているんだ?と

心配になることがあります。

その心配というのは、自分自身に対する他人からの印象ではなく

「ファンというものを通した羽生くんの印象」です。

 

たいていのファンは推しのことをフィルターを通して見ています。

ファンとファンじゃない人との境界線にあるフィルターのおかげで

ファンは一般の人が気づかないような推しの変化に気づいたり

推しに結び付く些細なことにも敏感に反応したりしますし

そんな感覚を楽しめるのが推し活の良さだと思います。

余談ですが私なんかは

「自分だけがこの人の良さを知っている」

みたいな感覚が好きなので

羽生くんの人気がこんなになければよかったのに…

なんてことも考えたりします(笑)

これほどの人気があるからこそ見られる機会にも恵まれているんですけどね。

 

ただ、そのフィルターを装備している状態で、ファンでも何でもない人と話す時

気をつけないと相手に引かれてしまうことがあります(え、私だけ?)

リアルな友人でさえそうなのですから

ネット上であまりにもグイグイいっちゃうと

「いや、アナタはオタかもしれんけどこっちは違うし」

「ちょ、しらんがな💦」

と、なるかもです。

最近Xで、推しを褒めてくれた人に濃ゆいリプをしている人がいて

それを見た同担が

「相手が戸惑っているからいいねだけに留めようよ」と言っていて

ああ、最近こういう光景をよく見るなあと思いました。

 

ファン以外の人には努めて冷静に

溢れるはにゅ愛をセーブしつついいねだけして(笑)

ファンダムの中では彼への愛を惜しみなく自分なりに表現する。

ファンのフィルターは付けたり外したりが簡単にできる代物ではないので

ファン以外の人に、推しについてむやみに話さない方がいいのかもなと思います。

 

でも!ファンのフィルターはアンチのフィルターよりはよっぽどマシです。

ファンのフィルターが推しの何もかもを良く見せるように

アンチのフィルターは対象の何もかもを気に食わなくさせます。

しかも厄介なことに

アンチはフィルターがかかっているという自覚を持ちません。

ファンは推しにただ愛を叫ぶだけですが

アンチはただひたすらに推しを中傷してお仲間と盛り上がります。

そしてアンチが自分をアンチだと絶対に認めないのは

アンチはクズだとわかっているからです。

自分たちのやっている誹謗中傷を

「ファンが言えない苦言を呈したまで」

「あくまでも私見」

と言うのがデフォ。

悪口は言いたいけどアンチ扱いは困るらしいです(笑)

自分たちの言っていることに正当性がなくなるから。

 

羽生くんのファンは時々”信者”とか”盲目”などと揶揄されますが

特定の個人を誹謗中傷したりするのでなければ

信者であろうが盲目であろうがいいじゃんと思います。

大人になって、遠い存在でしかない人を信じていられることは

それができずに遠くから石を投げてくる人よりずっと幸せだと思います。

 

私はフィルターがあるおかげで

一般の人には見えない推しの素敵なところまで見えると思えば

それも悪くないと思えます。

推しは所詮、手の届かない世界の人。

フィルターを外して見る必要などないのです。

なのでこれからも盲目上等!でいきます。

 

 

羽生くん、昨日は佐賀公演初日お疲れ様でした。

私はレポを読み漁って、現地に行った気分を味わっています。

14日も頑張ってください!

フィギュアスケートランキング

フィギュアスケートランキング