3
祖父とレッド叔母さんについて。
召集令状が届いた祖父は、死ぬ覚悟で戦地に向かいます。
当時は逃げられる状況ではありません。
当時の祖父には妊娠中の妻と小さな娘が一人、あと母と三人の妹がいます。
『天皇=神』という時代ですし、その天皇が戦争に参戦すると決めたからにはそれに従わないと自分が悪になるだけでなく、家族も後ろ指をさされる時代です。
戦地に行くと死ぬとわかっているために、祖父の家族は複雑な思いだったと思います。
祖父は国内で訓練を受けたあと、満州(現:中国)に向かいます。
数回の交戦をしたのち、そのうちロシア軍の捕虜となりました。
そして数ある捕虜収容所を転々としていたそうです。
移動の際はあの長いシベリア鉄道にも乗ったとか。
長い時間に渡る振動に耐え切れず、死んでしまった戦友もいたそうです。
兵士達は振動に耐えられない状態になるほど栄養失調だったのです。
他にも、収容所では支給される寝具は一人に付き毛布が一枚。
地面に直に寝るのに一枚で寝るのは寒すぎるので、一枚を地面に敷き、二枚をかけて三人で寝たそうです。
でも翌日には隣にいた戦友が亡くなってるという状況。
支給される食料といったら、塩茹でしたじゃがいもが2~3個ほど。これで一日分です。
食料もまともに支給されないので、重油を飲んで空腹をしのいだと聞いたこともあります。
ロシアは終戦後も捕虜を解放せずにいたのですが、こういう状況が続く中、昭和22年にやっと開放され帰国したそうです。
おじいちゃんこだった私は小さいころ、こういった話を一緒にお風呂に入りながら度々聞かせてもらいました。
というか正直、残酷な孫です(汗)
思い出したくないことを無理やり聞いてるようなものですから…。
今ではわかることなのですが、戦争後遺症というのがあります。
戦時中は人を殺すこともあると思いますが、特殊な環境であるため感覚が麻痺しているので何も感じないそうです。
でも終戦を迎え、帰国していつも通りの生活を数年していると「相手も国に帰れば自分と変わらないような普通の生活があったはずなのに、自分は何をしてしまったんだ…」と悩むそうです。これが戦争後遺症の一例です。
じいさん、ごめん…。
幼稚で無知で小さかった俺は何もわからず「敵を殺したの?」なんて普通に聞いてしまった。
「そうだなぁ…、どうだったかなぁ…」としか返事をしなかったじいさん。
はっきりとした返事をしてもらえなかったから、何度も同じ質問をしてしまった俺。
もしあの世というものがあって会えるなら、このことをまず祖父に謝りたい気持ちです。
とまぁ、話が変な方向に流れてしまいましたが元に戻します。
祖父が帰国した後、妊娠そして出産した娘、いわゆる私からしてレッド叔母さん。
祖父が戦争前から始めた商売は、戦後に軌道に乗りました。
乗ったというか、乗りまくりでかなり儲けたのです。
社員も10人近く雇えたくらいです。
言葉は悪いかもしれないですが『ガッポリ儲けた』というのが正しいかもしれない。
そういう環境で育ったレッド叔母さん。
死ぬ覚悟でいた祖父は新たに生まれた娘には苦労を掛けたくないという気持ちが強かったと思います。
そして仕事は予想以上に順調。儲けすぎ…。
その結果、娘が求めるものに祖父は応えすぎたのです。
身近な人の誰が見てもその育て方が間違いだとわかっていたかと思いますが、自分達を守るために命をかけて出兵したのをわかっているために、祖父には何も言えずにいました。
姪のレッドはお金の使い方が荒い・自分の思い通りに行かないと気がすまない。
そのことを知っている祖父の妹は、私の父の葬式のあとにメッセージをくれたと思います。
次回は祖父の認知症について書こうと思います。