風邪で約1週間寝込んでしまいました。読んでくださっている方にごめんなさいという気持ちです。新型ってこわいですね(>_<)
みなさんも気をつけてくださいね。
またまたジョギングのお話なのですが(これが最後です)、私が学生だったころ実家に帰り、真夏の炎天下に一日11キロは完走しようと決めて日課にしていました。ある日、残り3キロ地点で高校の友人に会って
友人「なぁに青春やってるのー?(´∀`)←こんな顔でした。」
と声をかけられたんです。
もしみなさんだったらこのように声をかけられたらどう思いますか?
その時私は立ち止まり、今からどこいくのー?的に普通に返事を返した気がします。
一見変哲のない会話かもしれません。でもよく考えてみるとイロイロ見えてきます。
走る目的はみんなそれぞれで、ダイエットという方もいらっしゃれば、趣味、健康、精神と肉体を鍛えるためとかみんなそれぞれです。当時私は、精神を鍛えるために走っていたということもあって、友人の掛け声にちょっと不快になり、バカにされたような気持ちにもなりました。
「走ることに意味を見いだせない友人には自分の気持ちがわかるまい!
┐( ̄ヘ ̄)┌ 」とも思いました。
しかし、本当にそれが事実なんでしょうか??
もし私が、ダイエット目的でゆるーく走っていても友人の掛け声に不快になっていたでしょうか?
また違ったと思います。 バカにされたと思うより「がんばってんじゃーん♪」の親しさゆえの違う言い方だったと捉えるかもしれません。
それだけ自分の感情によって、物事の見え方が変わってしまいます。 私が友人に対して、不快になってます( ̄へ  ̄ メ)オーラを出してたら、友人との関係という環境も変わってきてしまう可能性もあります。
今回のような例って、人であればプライベートでも仕事でもたくさん出会うと思うんですが、まず大切なことは人に対して この人はこういう人なんだからと決めつけてレッテルをベッタリと貼ってしまうと、視野が狭くなって、さまざまなリスクも出てくることもあります。 そういう失敗してる人をたくさん見てきましたし、私自身もそれで痛い思いをしてきました。 これについて考えることが、ショーバイにもっとも重要なカギの一つになります。
これから形を変えてイロイロ紹介できたらと思います(^_^)
キーワード
両義的側面、認知バイアス、協働における前提条件、思い込み人間、パラドックスに陥る、「柳は緑、花は紅」、自由なる選択
みなさんも気をつけてくださいね。
またまたジョギングのお話なのですが(これが最後です)、私が学生だったころ実家に帰り、真夏の炎天下に一日11キロは完走しようと決めて日課にしていました。ある日、残り3キロ地点で高校の友人に会って
友人「なぁに青春やってるのー?(´∀`)←こんな顔でした。」
と声をかけられたんです。
もしみなさんだったらこのように声をかけられたらどう思いますか?
その時私は立ち止まり、今からどこいくのー?的に普通に返事を返した気がします。
一見変哲のない会話かもしれません。でもよく考えてみるとイロイロ見えてきます。
走る目的はみんなそれぞれで、ダイエットという方もいらっしゃれば、趣味、健康、精神と肉体を鍛えるためとかみんなそれぞれです。当時私は、精神を鍛えるために走っていたということもあって、友人の掛け声にちょっと不快になり、バカにされたような気持ちにもなりました。
「走ることに意味を見いだせない友人には自分の気持ちがわかるまい!
┐( ̄ヘ ̄)┌ 」とも思いました。
しかし、本当にそれが事実なんでしょうか??
もし私が、ダイエット目的でゆるーく走っていても友人の掛け声に不快になっていたでしょうか?
また違ったと思います。 バカにされたと思うより「がんばってんじゃーん♪」の親しさゆえの違う言い方だったと捉えるかもしれません。
それだけ自分の感情によって、物事の見え方が変わってしまいます。 私が友人に対して、不快になってます( ̄へ  ̄ メ)オーラを出してたら、友人との関係という環境も変わってきてしまう可能性もあります。
今回のような例って、人であればプライベートでも仕事でもたくさん出会うと思うんですが、まず大切なことは人に対して この人はこういう人なんだからと決めつけてレッテルをベッタリと貼ってしまうと、視野が狭くなって、さまざまなリスクも出てくることもあります。 そういう失敗してる人をたくさん見てきましたし、私自身もそれで痛い思いをしてきました。 これについて考えることが、ショーバイにもっとも重要なカギの一つになります。
これから形を変えてイロイロ紹介できたらと思います(^_^)
キーワード
両義的側面、認知バイアス、協働における前提条件、思い込み人間、パラドックスに陥る、「柳は緑、花は紅」、自由なる選択