電気自動車とスポーツカー | 多発性硬化症と子供たち+奥様

多発性硬化症と子供たち+奥様

30歳より多発性硬化症になりましたが奥さんと子供たちから力を貰いました

さて今日の検査も終わりましたので今度は私の自動車遍歴を、18歳で車の免許を会社でとらせて頂き、最初の半年は会社のライトバンのサニーが私の車の始まりでした、どうせぶつけるから会社には悪いのですがいい訓練になりましたね、そして最初の愛車を何にするかで悩みに悩んでホンダS800にしましたその頃はそんなに高くなかったし、バイクに乗ってるのでオープンカーがイイと思いましたからね。この車は波のある車でして、調子のいい時はDOHCエンジンがカーンとレッドゾーンに飛び込んでは快適に走るのですが、一旦駄々をこねるとウントモスントモ謂わずに突然のエンジンストップとても安心して遠出が出来る車ではないので、泣く泣く手放して、フェアレディーZ2000を中古で買ったというか、50万付けてもらってS800と交換しました。この頃のスポーツカーは排ガス規制で牙の抜かれたものでスポーツカーのカッコをした乗用車でしたね。鼻先は長いから見えないし、1年ぐらいでトヨタセリカ2000GTハッチバックに変えました。でも面白くないんですね、DOHCエンジンだと思えない鈍重でリヤは見にくいし直ぐ飽きちゃいました。それからハコスカ2000GTに乗りこれが最後の日産の車でしたリーフ君を買うまでデザインがだんだん駄目になる頃で、トヨタの独り舞台の始まりの最初の頃でしたね。
そうこうしてるうちに、夜間の大学も卒業しており、会社の社長の息子と折り合いが悪くなり、気を熟す前に独立、会社の迷惑もかけたくないので横浜から中学2年で横浜に越してきて以来の地元の福井県敦賀で原電関係の本設工事を請負、会社を興しました。最初は3人の小さな会社でしたが、そこは冬は当然雪が降りますので、最低でも前輪駆動がいいので二代目ホンダプレリュードを買い、それから三代目プレリュード、に乗っていました。元請けから2ドア車は現場に合わないから中古でいいから4ドアを買えと謂われ、ホンダレジェントを買いこれを普段の足にしていたところにホンダからミッドシップスポーツカーが出るうわさが出て、たまらなく欲しくなり今か今かと待ち続けていたところにNSXがデビュー、しかし欲しくてもそうそう1000万の車がホイホイと買えるはずもなく、カタログを見続けては3年やっとの思いで現金片手にディーラーに行って買っちゃいました。その後12歳年下の看護師の卵と結婚そして多発性硬化症の発病、福井を後にしてまた横浜での会社の引越しといろいろありましたが、このNSXとバイクのCBX1000は手放さずに置いてきて今では私は車いすで殆んど寝たきりなので息子に乗ってもらっています、車は飾っていても何にもなりませんからね。そして家内の車を今流行のハイブリットCR-Zそしてかぞくも多くなってきたので初の電気自動車リーフ君がCR-Zの代わりにリーフ君が2台も我が家に来ることになりました。こうして振り返るとスポーツカーばっかりですね私の車はリーフ君がはじめてみたいですね。乗用車は・・・・・・・また明日