私は人格的、性格的に彼を好いてはいませんが、アーティストとしてなら好きになれるかも知れないと彼の音楽を聴いた事があります。
芸術に人間性は関係ないと考えているからです。
例えば太宰治も文豪と誉れだかいですが、人間性を見てみると余り立派な人間とは言い切れない。
だから彼の作る音楽を好きになれれば人間性を気にしなくて済むはずだと思い至ったのです。
結果としては駄目でした。
先ずメロディーが私の嗜好には合わなかったのです。
私は所謂男脳で、歌詞から音楽を好きになるタイプではなくメロディーから音楽を好きになるタイプですのでメロディーが合わないと聞くのが苦痛になる人間です。
私は彼をどこから好きになればいいのか、とても苦悩しています。
外見を好きになろうとも好みの外見では無いのですから本当に困ってしまいました。
中学生の時には彼の中二病具合を面白く感じていたのですが、大人になった今では中学生の頃の自分やクラスメイトの痛さを思い出してしまいます。
アイデンティティを模索し始める思春期に中二病と呼ばれるモラトリアム期はある意味必要なものだと感じています。
ある種の万能感、自分が特別な人間だと思う時期はアイデンティティ確立の為の必要な自己肯定だと思っているからです。
然しその時期を越え、アイデンティティを確立させた人間はそれを必要としなくなる。
自分という人格が出来上がったからです。
彼はその作業を未だに続けていると感じてしまうのは定まらない言動の所為ではないかと推察しています。
そして常に他者と自身を比較して話す語り口がとても悲しくなるのです。
自分に自信がない彼が可哀想になるからです。
彼は自身で自己肯定が出来ずに他者を低く見て自分を肯定しているのかなと感じて、どうしてそこまで自分に自信が持てないのだろうと寂しい思いで一杯です。