劇場で演劇をやる、お客さんを呼ぶ。
人が劇場に通うっていうのがごくありふれた風景になればいいなと思う一方で、もう演劇はお客さんに来てもらうという「受け身」の姿勢から脱却しなければならないのではないだろうか。そんなことを思います。
だって、作品を作って劇場に来てもらうっていうのは、極端に言えば、「自分磨きをして好かれるのを待つ恋」でしょう。
自分から行くっていう、攻め。演劇の方から観せに行く。くらいでないと、人は演劇なんて観ようとしないんじゃないか、もう。
音楽は、街に流れています。音楽は音楽を以て音楽を宣伝する。そんなものは当たり前だ。
だから演劇も、演劇を以て演劇を宣伝しなければ、いけないんじゃないか。ほんとは。
音楽との性質の違いはある、確かに。でもこのふたつは兄弟みたいなもんだと思ってますよ俺は。同じ方向にも相反する方向にも向かうアート。
チラシとか情報じゃもう間に合わない。テレビも違う。演劇の、人の言葉を借りるならば現前性、生身の感触、熱伝導。そういったものを、演劇を使わずに伝えようとするってのがそもそも甘いんじゃないか。
「観に来て」から「観せに行く」へ。
演劇なんて普段身近にないんだから。
でもモノを知れば来てくれる人はいるはず。
観劇機会の創世。これはもう劇場にいるだけでは夢物語だ。
ある劇団が1000人動員した。ある劇団が800人動員した。それで芝居を観る人が1800人いるかというと、そんなことはあるわけないし。
劇場に人を呼ぶために、まず劇場で起こってることを世の人が知ること。それこそが観劇人口増加の糸口。
売れてないミュージシャンは道行く誰かの耳に留まればと駅前で歌うのに、演劇は劇場でただ待つばかり。
まずは見せる。それで興味を持ったら、面白かったら観に来てくれる。単純な話。ストリートミュージシャンの歌を聞いた人が、ライブに足を運ぶのと何も違わない。
劇場に足を運んでもらうために、まずは演劇が劇場を飛び出す。何度でも同じことを言う。
攻めていかなきゃ、勝てっこない。
人が劇場に通うっていうのがごくありふれた風景になればいいなと思う一方で、もう演劇はお客さんに来てもらうという「受け身」の姿勢から脱却しなければならないのではないだろうか。そんなことを思います。
だって、作品を作って劇場に来てもらうっていうのは、極端に言えば、「自分磨きをして好かれるのを待つ恋」でしょう。
自分から行くっていう、攻め。演劇の方から観せに行く。くらいでないと、人は演劇なんて観ようとしないんじゃないか、もう。
音楽は、街に流れています。音楽は音楽を以て音楽を宣伝する。そんなものは当たり前だ。
だから演劇も、演劇を以て演劇を宣伝しなければ、いけないんじゃないか。ほんとは。
音楽との性質の違いはある、確かに。でもこのふたつは兄弟みたいなもんだと思ってますよ俺は。同じ方向にも相反する方向にも向かうアート。
チラシとか情報じゃもう間に合わない。テレビも違う。演劇の、人の言葉を借りるならば現前性、生身の感触、熱伝導。そういったものを、演劇を使わずに伝えようとするってのがそもそも甘いんじゃないか。
「観に来て」から「観せに行く」へ。
演劇なんて普段身近にないんだから。
でもモノを知れば来てくれる人はいるはず。
観劇機会の創世。これはもう劇場にいるだけでは夢物語だ。
ある劇団が1000人動員した。ある劇団が800人動員した。それで芝居を観る人が1800人いるかというと、そんなことはあるわけないし。
劇場に人を呼ぶために、まず劇場で起こってることを世の人が知ること。それこそが観劇人口増加の糸口。
売れてないミュージシャンは道行く誰かの耳に留まればと駅前で歌うのに、演劇は劇場でただ待つばかり。
まずは見せる。それで興味を持ったら、面白かったら観に来てくれる。単純な話。ストリートミュージシャンの歌を聞いた人が、ライブに足を運ぶのと何も違わない。
劇場に足を運んでもらうために、まずは演劇が劇場を飛び出す。何度でも同じことを言う。
攻めていかなきゃ、勝てっこない。