おはようございます、大根餅です。
ブログ更新を棚上げし、せっせせっせと断捨離してました。
ブログタイトルを全部漢字変換したら、田舎(廃屋)のシャッターに落書きされてる奴みたい、と一部ひらがなに。
断捨離って、結構パワーワードになりますね。
字面というか、断、と離、という漢字。
すっかり定着してますけど、割と最近(15年?)の造語。
ときめきのコンマリさん、からのもったいないMottainaiと、一大ブームでしたね。
我が家、今の社宅に住んで3年経ちました。
1年ちょっとと転勤しまくりの近年だったので、我が結婚人生で一番長く住んだ街となります。
(同じ住所に2巡目したので、通算なら6年超え)
我が子の発達段階に合わせガンガン家財を減らし、住む部屋に合わせて減らし、家電も入れ替わり…。
就学で色々増え、転校進級でまた減り…。
(学校指定のヘルメットとか手提げとか指定される自治体もありますよね。あとは制服とか。)
そうでなくても一定場所に住むと、色々増えていくもの。
大事にしたい物も、断捨離する度に変わります。
一時保留していた物も、タイミング次第でスパっと手放せたり。
元彼からのプレゼントとか、別れた次の日には処分してました(笑)←別れ方が酷い場合ですよ?
私の場合、本については諦めが悪いです。
服や鞄は、ライフスタイルに合わなければサクサク手放せるのに、愛着という手ずれしまくりの文庫本が捨てれません。
(児童書20数冊は永久保存。もう)
社会人になったばかりの頃、購入した有吉佐和子の芝桜(カバーも無くなり剥き出し)。
古本屋を巡って探した武田泰淳の未来の淫女(手に入れた時点でボロボロ、今はようやくくっついてる状態。昭和26年版)。
初めて神田に行って買った女工哀史。
大好き過ぎて2回買い替えた立原正秋の残りの雪。
新生児育児の合間に何度も読み返した武田百合子の富士日記。
人生の節目に読み返す、森遥子訳のスカーレット。
元気を貰える安野モヨコのエッセイ。
物欲を刺激される高橋直子(現・谷川直子)のファッションエッセイと谷川志穂の買い物エッセイ。
何十回と読み返し内容も覚え、不要なようで、でも手放せない。
コロナ禍以後、図書館も本屋も利用しなくなり、ひたすら蔵書を巡っていました。
新しい本は、綺麗なうちに手放しても惜しくないのもあるかも知れません。
絶版本も電子で読めるようになりましたし、国会図書館の蔵書もしかり。
漫画もほぼ電子化して、30分の1です。
でも停電だろうが、スマホの充電無かろうが、サッと取り出せて楽しめる文庫の良さは捨てがたい。
断捨離スイッチが入り過ぎると、捨て変態になってしまう私。
体臭対策で鞄を物色してるものの、使い勝手やサイズ感に未だ納得がいかず、珍しく踏みとどまってます(笑)
新旧入れ替えではなく、新しいアイテムを投入する際に、捨てまくった鞄たちが胸をよぎるんです。
デザインや色は気に入っていても、容量が足りず手放したり、重さや持ち手の硬さにギブアップしたり。
あぁ悩ましい。
物との出会いも一期一会。今じゃないのかも、と見送る時なのか。
いや、でもやっぱり臭う。
体臭対策をもうちょい強化します。馬毛のボディブラシをポチり、体臭対策石鹸の種類を変えよう。
サウナか温泉行きたいなーと思いつつも行けないので、せめて垢擦りしよう。
(毎日湯船に浸かる派ですが、家事の段取り優先でカラスの行水になっちゃいます)