今の若いカープファンや、美しきも聡いカープ女子、昨年の活躍で急遽カープファンになった人たちは知らんじゃろーけー、この健さんが言うとかんといけん。

 かってのカープは、今のように打ちまくり、タイムリーもどんどん出て、神ってる!、サイコーです!のような戦い方じゃなかったんじゃ!コチョコと、バントし、走りまくり、ファウルでかく乱、頭を使い、外野フライで何とか点をもぎ取る、頭脳プレー、生きずまる投手選がおおかったんじゃ。そうせんと勝てんかった。タイムリー、ホームランを打てる打者が、山本コージ、衣笠くらいしかおらんかった。あの衣笠もチャンスに弱く、大空振り三振が多かったな。かろうじて勝、これが広島の野球じゃった。引き分けの多かったな。今年の9567日、対阪神3夜連続逆転!などはまずなかったな。

 ほとんどは広島出身の安い給料の選手で、巨人、阪神のように硬水人間、スター選手を集めた選手層の厚い球団ではなかったんじゃ。あの、1980年に初優勝する前とそれ以降ではなー。でも、軟水人間野球で、1980年以降セリーグV7,日本一3回を達成しとるんじゃデー。

 この軟水人間野球は、広島では大いに意義があったんじゃ。広島は原爆の惨禍からの復興で、皆貧しかった。カープ選手たちも貧しかった。その貧しい球団を、樽募金や、大洋、国鉄線を見に行け!で乗り越えてきたんじ。巨人、阪神線はほっといても人が入るから。同じ軟水人間の多い広島市民がカープを支え、ともに戦ってきたんじゃ。物量豊富な、金持ちの巨人、阪神に対してのう。頭脳プレーでのう。じゃけ―、カープが勝つとほんと、うれしかった。選手たちに自分を重ね合わせることができ、より親しみがあったんじゃ。

 頑張れば必ず報われる。それを選手たちは示してくれたんじゃ。広島の学校教育でも、カープの頑張りは、大いなる目標だった。ゆっくり、じっくり、頑張ること、を教えることはこれはいろいろ、個性を伸ばせないとか能力をそぐなどいろいろ考え方もあろうが、健さんは、教育の基本だとも考えている。

 特にあの頃はまだ多くの原爆被災者や粗位の家族も多かった。貧しかった。頑張って、頑張って乗り切る力を、夢を、カープの選手たちは与えてくれたんじゃ。勝ってくれて、ありがとう、ありがとう!明日も頑張って働ける、苦しくとも頑張る、という気持ちを与えてくれたんじゃ。今も、パワーで力と夢と元気は与えてくれるが、なんか昔と違う人が、スターが、マツダスタジアムで戦って、我々を盛り上げ乗せてくれているような気がするのは、健さんだけかのー。

 まあ、年寄りじゃけ―、昔が良く見えるだけかもしれん。ただ、原爆の復興から、25年、カープセリーグ初優勝の時まで、カープの選手たちは大いに力を与えてくれたことは、間違いのない事実じゃ。

 広島は被爆地じゃ。今あの惨劇は決して繰り返してはイケン。そうならないように広島市民は頑張る、このメッセージも、昔のカープの勝利には、優勝には、あったような気がしてならんのんじゃ。このことは是非知っておいてほしいんじゃ。