前回は、この世がホログラムであり、私たちの記憶は、書き換えられているのではないかと書きました。
確かに、記憶を書き換えられても自分自身は気づくことはありません。
では、自分の記憶だけ書き換えられたのなら、周りの人は「書き換えられる前の記憶を持っている」のでは?
確かにそれはあり得ます。
その現れが、思い違いだったりします。あるいは、マンデラエフェクトのようなものかもしれません。また、自分の記憶を書き換えられるのと同時に、周囲の人の記憶も書き換えられている可能性もあります。その場合は、以前に何が起こっていたか、何を考えていたかは誰も思い出すことはありません。
つまりのところ、私たちの記憶は、「外の世界から操作されている」ということになります。
そして、「私たちの記憶は操作されている」を別の言い方をすると、私たちに起きている日々の出来事は「最初から起こると決まっている」ということです。
私たちは、「自分でやり遂げた!」、「自分の努力が良い結果となった!」、「神様のおかげで願いが叶った!」、「あの人のせいでこうなった!」、「あの時あれをしなかったからこうなってしまった!」等々、ある過程を経て、このような結果になったと思っていますが、これは思い込みですべて必然的に起こった結果です。
つまり、すべて「シナリオどおりの流れだった」ということです。
だから、あの時、ああしていれば、本当はこうなっていたのにという「後悔」は無意味なものになってしまいます。
しかし、これを良い方に考えると、劇的に生き方が変わります。
自分の目の前で起こっていることは、必然的に起こっていることであり、しょうがないと納得し、感情に流されない自分がいることに気づくことができます。また、この先どうなるんだろうという「不安」も必要ではなくなります。どんなに不安になっても、どんなに楽観的になっても、起こることは起きるし、自分が選択することは変わりません。
「なんだ人生は決まっているんだ」と悲観的になるか、「決まっているならジタバタしても仕方がない、なるようになるさ」と楽観的になるか。
起きてることは同じでも、「この受け止め方の違いが世界を変える、人生を変える」と言ってもいいでしょう。
あなたはどちらの生き方を選ぶか。
おそらく気づかないうちにどちらかを選んでいます。
そう、出来事はすべて必然なのです。
私のブログを読みながら、頭でいろいろと考えている自分がいることにもう気づいているでしょうか。そのときに、立ち止まって、「ああ、頭で考えている自分がいる。」と気づくことが大切になってきます。
この「気づき」がこの世の仕組みを知るきっかけになり、あなたの生き方や進むべき方向を変えるでしょう。
でも、これも必然的に起こっていることなのです。
おそらく、私たちは、ゲームの中のキャラクターであり、プログラムである可能が高いと思います。この世界にいる間は、「生きている!」と実感できている気はしますが、実際は肉体も魂もプログラム、AIであり、現存しないのかもしれません。
この世の考察...この世の真実。
すべてはこの身体を脱ぐまでは誰もわからないことなのでしょう。
死後の世界、霊界、天国、地獄...
これは、すべて人間が作り上げた「空想と願望」であり、すべては信仰により「人間を統制するため」なのです。
起きてること、起こしたことに対する「良い」、「悪い」は、人間が意味付けしただけで、その出来事自身に「善悪」は存在しません。
そして、前世も来世もない、だからカルマも存在しない、さらには神も存在しない。
これも人間が作り上げた「空想と願望」なのです。
すべて「プログラミングされた幻想の世界」なのです。
確実に言えること、「この世界は現実ではない」。
そして、私たちは、プログラムの一部に過ぎないのです。
過去はない、あるのは今だけ、今も決まった未来からやってくる。未来あっての今なのです。
では、この先どう生きていくか。
(もう決まっているけど)、自分で考え、できるだけ人に依存せず、人に流されず、創造力を働かせ、楽しく生きる!
さあ、あなたはこの世をどう考察し、どう生きていきますか。
それは、自由。
でも、どう生きるかはすでに決まっている。
出来事はすべて必然なのです。