ものすごい変化。

ほとんど革命的。

46年の人生ではじめて「生きよう」という意欲が湧いている。

未経験の感覚。

決して、青春漫画の青クサイ表面的なものではない。

思考内容を簡略すると、「生かされている、生を与えられた」ことを明確に実感しているが故に、

が正しい。

おこったことを検証してみよう。

2週間前、通勤中に「あること」が脳裏に浮かんだ。

私のmissionに関してのことだった。

それは、「ああ、そういう生き方になるのだろうなぁ」と以前から感じていたことではあった(実はこの夏ハフリン宮司の夢にも、私の今後として現れた)。

そうしたら、釈和尚のメッセンジャー女史から翌日明確に「使命として」伝えられたのである。

驚愕した。

つまり、脳裏に浮かんだのはメッセージ。

それが、和尚さまやハフリン宮司さまを通じて「上から」伝えられたのであろう。

昨今のブログにも記したが、それ以来、感覚がさらに鋭敏になってきていた。

何度か仕事関連で飲酒する機会があり、その際には消していたが、すぐに鋭感覚(感覚以上だな)は戻ってきていた。

それが昨深夜、布団で音楽を聞いていたら、すごい形で心象化した。

メビウスのような光の帯が宇宙空間から現れ(メビウス状ではないのだが、まあ帯と思って)、私を突き抜けた。

瞬時に変わってしまったのが感じられた。

パワーとか力といった感覚ではなく.....なんて形容していいんだろう?

覚醒に近いのかな?

意識の覚醒化...ちょっと違うな。

意識と肉体の一体化に近いかもしれない。

思ったこと、感じたこと、潜在的なもの、精神的霊体と肉体の一体化、とでも形容したらいいのかな?

とにかく、生へのappreciationが覚醒した。

霊的な存在と肉体を有しているそのギャップを感じなくなってきた、とでも表現しようか。

私は男性として生まれ、40数年館そのギャップに苦悶した。

私が仕事に没頭したのは、野心や名声の為ではなかった。

本来の姿である、女性を抑制していた反動、虐待され続け生まれた卑下感等、つまり叶うことのない、悲しさや憂いが、我を忘れて没頭するpathとして仕事に現れたにすぎない。

そして残ったものは虚無感のみ、そしてそれは未遂等の自己破壊行為として現れた。

性を転換しても、その哀しみや痛みは消え去るものではなかった。

以前にも書いたが、自殺念虜は絶えず脳裏にあり、いつ勃発するかもわからない危険性を持ち続けていた。

それが、光の帯の降臨以来、意識の革命とでも言おうか(陳腐だが)、生への感謝がはじめて意識できるようになり、現時点では念虜が消えている。

この覚醒した意識は、決して個人単体的自己満足のものではなく、人々全体の意識の一環のように感じられる。

でもそのためにはどうすればいいのだろう?

まだ全然わからない。

ただ永続させるためには、修行が必要と「感じる」。

9日にはハフリン宮司と、そして12日には釈和尚のお教えを受ける予定だ。

あっ、昨日の重大発表はまだ。上記のこととは別もの。

今日の夜にはご紹介できるかも。