銀齢の果て | ディーダラスのひこーき工房 ~Dedalus's Aviation Studio~

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「ホップ、すてっぷ、ジャンプしたらそのまま飛んでいけ!」
 "Hop, step, jump and fly away!" This is the studio to build "airplanes" from materials in the storehouse in my brain...

雪。
今頃雪が降るのには驚いた。
しかし、結構降っているように見えるわりには地面にはさっぱり積もらない。
もうあなたとは終わったはずでしょ、と地面が雪を拒絶しているようだ。


結構前に読んだけど書くのを忘れていた本があった。

筒井康隆、「銀齢の果て」。

銀齢の果て
久々に来たよ、筒井康隆の真骨頂、スプラッタ&スラップスティックが。少子高齢化が進んだ近未来、若い世代にかかる負担を軽減する目的で老人の人口を減らすための法律が制定された。日本国内で数年に一度選ばれたいくつかの地域に住む70歳以上の老人は、互いに殺しあわなければならない。武器の使用は自由で、最後の一人になるまで殺しあう。生き残った一人は余生を英雄扱いされて過ごす―。そう、これは老人版「バトル・ロワイヤル」。小説中では筒井氏得意のドタバタ劇がこれでもかと展開される。拳銃で、包丁で、次々に無残に殺されていく人々の描写はいつもどおりの筒井節。嫌いな人にはとことん嫌われるが、好きな人にはたまらない。思うに、筒井康隆の作品を本当に楽しめるのは、ちゃんとした常識を持ち合わせた上で非日常のメチャクチャを楽しめるという人間だけだろう。上のあらすじを見て、「なんと非常識なことを!老人への侮辱だ!」と青筋立てて怒るような人は最初から筒井康隆に近づかない方が良い。実は俺は筒井康隆と誕生日が同じで、そのせいでもないのだろうが、筒井作品は小学校3年生の時から愛読している。筒井作品はあまり子供に良いとは言えない。エロやスプラッタはあらゆるところに出てくるし、放送禁止用語も仮借なく使用される。20年ほど前にはバットで父親を殴り殺した少年の愛読書が筒井作品だったなどということが報じられたこともあるし、てんかんに関して誤解を招く表現を使ったとして非難され、それに抗議して断筆宣言したのも記憶に新しい。どう考えても文部科学省推薦図書にはなるまい。一時教科書に所載されたのは奇跡に近い。何かと問題を起こしがちだが、その作品をよく読みこむと、これほど「文学の可能性」を追求している作家も珍しいのではないかと思う。日本で「文学」と言うと大抵は純文学という名の私小説群でのことを指す。俺はこの私小説というやつが大嫌いなのだが、それは何も私小説が文学性という粉飾を施した陰湿なナルシシズムを垂れ流すだけの小説であるからというだけではなく、文学の死が叫ばれて久しいにも関わらず、私小説がなんら文学の方向性を示せずにいるからでもある。そういう日本の文学の中において、筒井康隆はとことん大衆向けのエンターテインメント性を追求しながら、同時に文学の可能性をも切り開こうとする稀有な作家だ。嘘だと思うなら、「残像に口紅を」、「虚人たち」、「虚航船団」を読んでみるといい。俺は昔から筒井作品が好きで、おそらく精神形成に最も影響を受けた作家と言っていいと思う。この作品も存分に楽しませてもらった。しかし…正直に言って、今回俺はこう思った。「なんで今頃になってこれ?」断筆宣言以降はドタバタを離れていたように思っていたのだが、突然昔の作風に戻ってしまったような感じだ。扱っているテーマも、高齢化に対する政府の政策の戯画化、と言えば最近の話題のような気もするが、実は同じようなテーマでは「定年食」等も書いているし、立場の弱くなった人間が権力の犠牲になるというのも「最後の喫煙者」や「俗物図鑑」などで書きつくしている。なぜ今、これを書こうと思ったのかなあ…。おそらく、筒井氏自身が老人の域に入ったから、というのが一番大きな理由なのだろう。元々「毀誉褒貶」の「毀貶」に過剰に反応する作家として有名な人で、自分が虐げられていると感じるとそれをすぐに作品に投影させるから、この小説もそんな動機で書かれているとしてもおかしくない。そういう意味では典型的な筒井作品だ。いまだにこういうエネルギーを持ち続ける作家として健在であることを喜ぶべきか。